NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/19


猿の子踊 Saru-no-ko-odori 

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 猿の子踊(さるのこおどり)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市池田下門にて、不定期に開催されている伝統の民俗芸能である。市の文化財に指定されている。
 延享二(1745)年、今和泉島津家の領主・島津忠郷(しまづたださと)が、日向から猿使いを招き、猿の習性を面白おかしくふりつけ、春と秋の2回、人々の苦労をなぐさめたという。
 猿は山の神、田の神の使いとして考えられた事から、その後、豊作のお祭りとして猿の子踊りが伝えられるようになったとされる。
 踊りでは、子供が真赤な衣装で顔一面赤く塗って扮装した親猿や子猿が、猿使いの命令に従い入り乱れてさまざまな芸をする。
 この奇妙な動作が整然と続けられていく様は実に見事なもので、見る者を楽しませてくれる。
 猿の子踊は、ユーモラスで可愛らしい郷土芸能である。
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2007/8/13


遊子谷七鹿踊り Yusudani-nanashika-odori 

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 古来より、鹿は神の使者として信仰の対象にされてきた。祭事としての鹿踊りは各地に見られるが、特に多いのは東北地方と宇和島地方である。それもそのはず、宇和島地方の鹿踊りは、初代宇和島藩主伊達秀宗(だてひでむね)によって仙台からもたらされたといわれている。
 奥伊予・城川町遊子谷(ゆすだに)に伝わる鹿踊りには、七頭の鹿が登場する。鹿の頭数は地域によって異なるが、主流は五頭、古式では八頭とされ、七頭は非常に珍しい。一説によると、遊子谷の七鹿踊りは土居村三嶋神社の八鹿踊りを習ったもので、一頭減らさないと教えないと言われ七鹿にしたという。また、いつのころからか猿が一頭加わった。毎年10月の天満神社秋祭りに、五穀豊穣と地域住民の平安無事を祈願して鹿踊りを奉納している。
 頭に角の生えた鹿面を乗せ、赤い前垂れの中の締太鼓(しめだいこ)を叩きながら、一時間以上も歌い踊る。愛媛県指定無形民族文化財。
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2007/6/1


北上川 Kitakami-gawa The Kitakami River

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 岩手県から南下して宮城県、そして太平洋に流れでる「北上川」は全長249km、流域面積10150平方kmを誇る東北最大の河川である。日本の河川としては勾配が緩い事が特徴で、その水の流れを利用して江戸時代には江戸への「囲米」の輸送が行われていた。現在はこの川に沿って国道4号線、東北本線、東北自動車道が走る。
 上流の清らかな流れの中ではアユやヤマメ、そして川の淀みにはウグイやニゴイ等が見られる。また、その魚達を狙って川辺には日本最大のサギやアオサギが現れ、美しい宝石の様なカワセミも姿を現す。10月になると、秋の使者であるサケが遥か遠い北太平洋からやってきて、産卵の為に盛岡市の中心部まで遡上していく。太古より、この川は流域に暮らす人々に潤いをもたらし、多くの生き物達を育みながら、今日も滔滔と流れる。
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2007/2/6


龍口寺 Ryuukou-ji 

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 龍口寺は、神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の寺である。日蓮宗霊跡本山で、本尊は日蓮聖人像。
 龍ノ口法難と言われる事件がある。文永八(1271)年、捕らえられた日蓮上人は、9月12日に処刑される事となっていた。
 当日、首切りの座に据えられた時、にわかに雷鳴が轟き、刑吏が振り上げた刀が感電して折れてしまった。そこへ北条時宗の使者がきて、処刑は中止、佐渡への流罪になったのである。
 以来、この地は日蓮法難の霊蹟と言われ、日法はこの霊蹟を保護する為にここに草庵を結んだ。延元二(1337)年、自ら刻んだ日蓮像を安置し、寺を創建した。延文二(1357)年には、豪壮な伽藍の大寺を建立した。
 龍口寺は、県内最古の唯一木造の五重の塔や仏舎利塔、宝物館など、見所の多い場所である。
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2007/1/25


衆楽園 Shuraku-en Shuraku Garden

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 「衆楽園」は、津山藩2代藩主、森長継が、京都から小堀遠州流の作庭師を招いて造営した近世池泉回遊式(池とその周囲を巡る園路を中心に作庭する庭園)の大名庭園。明暦年間(1655〜1658年)に造営された。
 京都の仙洞御所を模したもので、池を海に見立ててレイアウトした島の配置や水面に移る島影の美しさ、四季折々の樹々の枝ぶりに、京風の洗練された美を感じることができる。
 当時の面積は約2万3千坪と、現在の3倍ほどの広大な規模で、藩主の清遊の場として使われていた。また、津山藩は防備の面から、他藩の使者を城内に入れずにこの衆楽園で応対したことから、「御対面所」とも呼ばれていたという。
 春には桜、秋には紅葉で庭園を染め上げ、訪れる人々の目を楽しませている。
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志賀島 Sika-no-sima The Island of Shika-no-Shima

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 志賀島は、福岡県福岡市東区にある島で、博多湾の北部に位置し、砂州により本土と陸続きになった陸繋島である。
 志賀島は、周囲約11km、全戸数約790戸、人口約3000人余り。このような形態の島は、全国的にも珍しい。
 天明四(1784)年、2人の農民がこの島の田んぼで偶然「漢倭奴国王」の金印を発見した。
 中国の後漢書に、57年、光武帝が奴国の使者に金印を渡したと書いてあり、これがその金印だと言われている。歴史的にも貴重な品で、国宝である。
 この金印は日本の歴史の始まりを示す品であり、今は福岡市博物館に展示されている。金印がなぜこの志賀島に埋没していたかは今でもよく解っていない。
 志賀島は、古代日本の大陸・半島への海上交易の出発点であり、古から続く歴史的舞台である。
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2007/1/11


琉球王朝絵巻行列 Ryuukyuu-ouchou-emaki-gyouretu The Ryukyu Kingdom Royal Procession

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 琉球王朝絵巻行列は、那覇市で行われる県民参加型のお祭、首里城祭のメインイベントである。
 琉球王朝絵巻は、中国皇帝使者・冊封使が琉球に訪れた時の行列を再現したものである。
 那覇市中心部の国際通りで、国王、王妃、明・清の使者(冊封使)、伝統芸能団体を加えた1300人が、艶やかな衣装をまとい、路地楽や古典音楽を奏でながら厳かに行進する。
 イベント性を持たせるために、芸能行列を加えるなどのアレンジを施している。全て県民からの公募で選出されており、祭の期間中、首里城内では伝統芸能披露のステージが催される。
 琉球王朝絵巻は、壮大で華麗なる行列であり、まるで琉球王朝時代にタイムスリップしたかのような異空間を感じさせてくれる、歴史と幻想のお祭りである。
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