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2007/8/31


川崎神楽 Kawasaki-kagura 

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 宮城県栗原市に、川崎神楽(かわさきかぐら)という郷土芸能が受け継がれている。明治の中頃に、県境のすぐ向こう岩手県の達古袋(だっこたい)より伝わったといわれる。
 平成七(1995)年に、高清水町(現・栗原市)の無形文化財の指定を受けている。
 大正時代に地元に住む高橋喜一郎により完成し、一時は衰退したが、昭和四七(1972)年に町民の有志により復活した。
 川崎神楽では、法童丸(ほうどうまる)を題材にした演目がいくつかある。法童丸とは、平敦盛(たいらのあつもり)の子である。
 平敦盛は一ノ谷の合戦の後、源氏方である熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)に見つかり首を刎ねられる。この敦盛の死後生まれたのが法童丸である。直実は、自分の息子と同年代だった敦盛を討ち取ったことに後悔し、後に出家して蓮正(れんしょう)と名乗り、法童丸の育ての親となる。このような話を川崎神楽では、非常に勇壮な太刀使いで見せてくれる。
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鶯沢八ツ鹿踊り Uguisuzawa-Yatsushika-odori 

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 宮城県栗原市の鶯沢八ツ鹿踊り(うぐいすざわやつしかおどり)は、旧・鴬沢町に約二百年前から伝承されている郷土芸能である。
 その昔、鹿撃ちの猟師である勘太郎が、鹿好きの息子を誤って撃ってしまい、以後息子と鹿の霊を弔うため、この鹿踊りを伝承したといわれている。
 鹿踊りには「庭回り」「墓踊り」「案山子踊り」「縄引き舞い」「女鹿隠し」などがあり、目的により演じ分ける。素朴な動作の中に込められた、先祖への思いと郷土への愛情。そして迫力ある動きに圧倒される。
 栗原市では鶯沢八ツ鹿踊りのほか、旧・一迫町に伝わる八ツ鹿踊りなど、さまざまな鹿踊り保存団体が後世にこの踊りを受け継いでいる。
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2007/8/10


和霊神社 Warei-jinja 

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 和霊神社(われいじんじゃ)は、愛媛県宇和島市和霊町にある神社である。祭神は、山家清兵衛公頼(やんべせえべえきみより)。
 山家公頼は伊達秀宗の元で産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した人物だが、元和六(1620)年、これを嫉妬する者により讒言(ざんげん)され、秀宗は公頼とその息子らを殺害させた。これが世に言う和霊騒動である。
 その後この事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死し、公頼の無罪が証明され、人々が公頼の怨霊だと恐れたため、承応二(1653)年、秀宗は山家公頼を祀って、和霊神社を創建した。
 7月23・24日の和霊大祭では名物の闘牛が行われ、四国を代表する祭りの一つとされている。また、高さ15mの花崗岩の大鳥居は、日本一の大きさを誇る。
 和霊神社は、荘厳な社殿を持つ四国でも指折りの大社である。
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2007/6/27


日浦海岸 Hiura-kaigan 

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 日浦海岸(ひうらかいがん)は、北海道函館市の函館から恵山への道の途中にある、約1・6kmにもわたる変化に富んだ岩礁海岸である。
 国道278号線を戸井町から恵山町に入り、トンネル脇を国道から外れて下った場所に存在する。
 切り立った崖と奇岩が連なっており、うねうねした海沿いの道路には、素掘りしただけの素朴なトンネルが断続的に続いている。
 風波の浸食でできた奇石・奇岩、柱状節理の絶壁が見事な海岸線を見せ、恵山の眺めも良く、10あまりの洞門が続き、釣りの名所としても知られている。
 その中の一つ、「サンタロナカセ岬」は道沿いにある奇岩で、その昔、漁師の「三太郎さん」の息子が遭難し、泣きながら息子の帰りを待っているうちに岩になった、という言い伝えがある。
 日浦海岸は、珍しい景観が続く奇勝地である。
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2007/6/25


阿寒富士 Akan-fuji Akan-fuji

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 マリモで有名な阿寒湖のすぐそばに、寄り添うように二つの大きな山がある。
 一方は比較的凹凸のある大きな山頂を持ち、隣にあるもう一方は、寄り添うように隆起しながらもその姿はまるで正反対の、鋭い円錐状の山容を誇っている。
 その見た目から北海道の富士山にも例えられる山が阿寒富士である。
 標高は1477mあり、すぐ隣にある最高峰の雌阿寒岳よりわずかに低い程度である。
 多くの場合において、阿寒の名峰と呼ばれる雌阿寒岳とセットの見られる傾向にあるが、その山容とは裏腹に程よく登りやすい山であるため、雌阿寒岳からの縦走者や山麓にある神秘の湖オンネトー経由の人など、多くの登山者が訪れる山でもある。
 書物によっては隣の雄大な雌阿寒岳のピークの一つとして記されている場合もあり、ある意味阿寒富士はその子供のような存在なのかもしれない。
 活火山でもある厳しい母の元で育った息子はずいぶんと大きいようだ。
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2007/4/25


熊崎聡 Kumazaki Satoshi 

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 岐阜県、飛騨高山地方に伝わる伝統工芸品、飛騨春慶の伝統工芸士。1995(平成七年)労働大臣表彰を受賞。
 飛騨春慶は江戸時代初期、高山の大工の棟梁、高橋喜左衛門がサワラの木目の美しさに目をつけ盆を作り、これに塗師、成田三右衛門が透き漆の塗りを施して、領主に献上したのが始まりとされる。
 茶道の名器である加藤四郎左衛門景正の作「飛春慶」の柄に似ていることから「飛騨春慶」と命名され、数多くの作品が作られたという。塗師である氏は、漆器店に勤め、周囲の職人の技を見て独学で技を身につけた。
 木目と漆だけ。職人の技量が問われるが、氏はどのような作品も見事に作りこなす。
 後進の育成にも力をいれ、息子の信行氏を始め何人もの弟子を育て、伝統の技術を今に伝えている。
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2007/4/5


高知 大文字の送り火 Kouchi Daimonji-no-okuribi 

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 「土佐の小京都」と呼ばれる旧中村市。その夏を締めくくる風物詩が、毎年旧暦七月十六日に行われる「大文字の送り火」。
 応仁の乱を避け、土佐へ下向し中村に京都さながらの町を築いた前関白の一条教房。この送り火はその息子である房家が、京都を懐かしみ、父と祖父・兼良の霊を慰める意味も込めて始めたとされている。
 山の斜面には縦横25メートルの大きさの「大」の字形の溝が掘られ、当番の住民が周囲の雑草を刈り、たいまつを配置。花火を合図に点火されると、炎が山肌をなぞり、「大の字」が、筆順の通りに浮かび上がる。
 真っ赤な炎が夜空一面を彩り、およそ30分間の炎の宴に大勢の見物客は過ぎゆく夏を惜しみつつも、一時の熱気に酔いしれる。
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2007/3/16


曽根天満宮 Sone-tenmanguu Sone Tenmangu Shrine

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 学問の神様、菅原道真公を祀る神社として知られる曽根天満宮。兵庫県の高砂市に所在する。
 伝説によると、平安時代の延喜元(901)年、道真が九州大宰府に流される途中、日笠山で休息していた折に「我に罪なくば栄えよ」と、無実の罪を悲しんで足元の小松を自ら手植えたのが、後の「曽根の松」といわれている。その後、道真の息子、淳茂がこの松のそばに父を祀ったのが曽根天満宮のはじまり。現在の曽根の松は、六代目となっている。
 10月13・14日の秋祭りには一ツ物神事やお面掛け、大竹を割り砕く竹割り、色鮮やかな15台のふとん屋台の練り合わせなどが行われ、多くの観光客を魅了している。
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