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2007/5/11


矢部家住宅 Yabekejutaku 

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 鳥取県八頭町(やづちょう)用呂(ようろ)の集落に「矢部家住宅」がある。鳥取県内で最古の民家だ。国の重要文化財に指定されている。
 江戸時代に代々庄屋を務めてきた矢部家の屋敷で、江戸時代の初め、17世紀初頭に建築されたとされる。
 茅葺きの大きな屋根を戴いた要り母屋造りの母屋は庄屋らしい堂々たる外観を持つ。梁行(はりゆき)は五間半。桁行(けたゆき)は十一間と規模も大きく格調の高い建物だ。間取りは当時の上層民家の典型である「広間型五間取」である。座敷の大きな囲炉裏が、江戸期の生活の様子を偲ばせる。
 庭には樹齢およそ270年のヤブツバキがあり、冬には白、赤、桃色の花を咲かせる珍しい「咲き分け椿」が見られる。
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2007/4/27


洞口家住宅 Horaguchi-ke-juutaku 

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 洞口家住宅(ほらぐちけじゅうたく)は、宮城県名取市大曲にある古民家で、国指定重要文化財となっている。
 大曲の旧家である洞口家の住宅で、和室が田の字に4つ並んだ名取型という間取りになっており、この形式では旧仙台藩領内最大規模である。
 建築年代は、江戸時代の宝暦年間(1751〜63年)と推定される。敷地は1500坪以上で、堀と居久根を巡らした近世の環濠大型古民家であり、「たてやしき」又は「たてのいえ」と呼ばれ親しまれてきた。
 母屋は、寄棟造、茅葺、石場建てで、桁行24.8m、梁間11mほど。母屋前には明治二一年の建築といわれる寄棟造、茅葺の表門と馬屋が配されている。
 洞口家住宅は、中世の面影を今に遺す貴重な古民家である。
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2007/4/19


静岡 黒田家住宅 Shizuoka Kuroda-ke-jyuutaku The Kuroda Family’s Residence in Shizuoka

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 静岡の黒田家住宅は、静岡県菊川市下平川にある歴史ある代官屋敷であり、国の重要文化財に指定されている。
 黒田家は源氏の血を引く武士であった。永禄年間(1558〜70)に、黒田義重が遠江国に移り下平川に住んだといわれる。
 江戸時代後期、旗本の本多助久が不平川村周辺を領すると、黒田氏はその代官に任じられた。明治維新以降は、村長、町長を歴任して、この地方の発展に寄与した。
 黒田家住宅の母屋は寄棟造り、桟瓦葺きの建物で、玄関は格式の高い式台を有している。
 江戸時代の代官屋敷らしい念入りな造りが随所に施されており、長屋門は寄棟造り、茅葺きの建物で、築後250年とされる。
 黒田家住宅は、江戸時代末の代官屋敷の建築様式を今に伝える、貴重な文化遺産である。
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大鐘家住宅 Oogane-ke-jyuutaku The Ogane Family’s Residence

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 大鐘家住宅は、静岡県牧之原市片浜にある旧家の民家である。母屋と長屋門は国の重要文化財に指定されている。
 大鐘氏は、戦国時代には柴田勝家の家臣であった。江戸時代中期から末期までの間、この地方の大庄屋となり、また豪農として3000石以上の格式を持っていた。
 手斧造りの母屋は、慶長2(1597)年頃の建築といわれている。母屋の横には、小堀遠州作と伝わる庭園もある。
 長屋門前には1万2千本のアジサイ、3千本の花菖蒲が咲く「あじさい庭園」もあり、5月下旬〜7月上旬には「あじさい祭」が開催される。
 米蔵を改装した蔵の資料館は、宝物の展示やギャラリーとして使用されている。
 大鐘家住宅は、江戸の暮らしを今に残す古民家である。
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江川家住宅 Egawakejuutaku The Egawa Family’s Residence

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 江川家住宅は、静岡県伊豆の国市韮山にある民家である。国の重要文化財に指定されている。
 江川家は清和源氏の流れをくむ中世以来の武家の家柄で、1156年、保元の乱にて崇徳上皇側について参戦して敗れ、落ち延びて伊豆のこの地に定住した。
 江戸時代には世襲代官を務め当地方を支配し、特に坦庵江川太郎左衛門英龍は、幕末に活躍した科学者、技術者として有名である。
 特徴のある母屋は高さ12メートル余りの美しいカーブの大屋根を支える架構で有名であり、土間からその構造を見ることが出来る。邸内の中央に建つ屋敷は、鎌倉時代に建造されたものと言われている。
 1261年、日蓮聖人を屋敷に数日間泊めて以来、ご利益でこの家は700年以上にわたり無事に保たれてきたと伝えられる。
 江川家住宅は、長い歴史を持つ貴重な建築物である。
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2007/4/16


広島 吉原家住宅 Hiroshima Yoshiwarakejutaku Yoshihara Family Residence in Hiroshima

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 吉原家住宅は、京都吉原から移ってきた藤原鎌足の子孫である、豪農・吉原家の住宅。平成三年に国の重要文化財に指定されている。
 同家に伝わる祈祷札などから、江戸時代の寛永十二(1635)年の建築とされる。寄棟造、茅葺の農家としては国で最も古い遺構である。
 間取りは六間取りに土間を持つ規模の大きい構成。土間の中央には柱を建てず、二重の梁組みで大きな空間を支えており、当時としては贅を尽くした作りとなっている。
 天にそびえる切妻の茅葺屋根が端正な姿を当時のままとどめ、大変美しい。また、母屋裏側の大きなぬれ縁は日本情緒たっぷりだ。
 吉原家住宅は、日本の家屋の原型であり、やすらぎを与えてくれる日本人の心の原風景である。
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2007/3/28


江川邸 Egawa-tei 

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 江川邸は静岡県伊豆の国市、韮山に位置する屋敷である。
 江川家が保元の乱で崇徳上皇側に味方して破れた後、この地に移り住んだ頃に立てられたとされ、約850年前の建築と言われる。
 途中幾度も建て直しが行なわれており、1261年には日蓮が訪れ、繁栄を祈願した棟札を送られた。
 江戸時代に入ってから、徳川家直轄領の代官屋敷として使われ、伊豆地方を支配、管理を行なった。現在、建物、敷地が国の重要文化財として指定されている。
 広大な敷地内に母屋を中心に書院、仏間、蔵が建ち並び、裏山には神社が建立されている。屋敷内には古文書や民具、武具が展示され、千年、四十代に及ぶ江川家の歴史が記されている。
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2007/3/27


双柿舎 Soushi-sya 

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 双柿舎は静岡県熱海市に位置する坪内逍遥の邸宅である。
 大正九(1920)年に建てられたもので、逍遥が晩年を過ごした。
 建物は逍遥自らが設計を行なったもので、木造二階建ての日本家屋と母屋、鉄筋コンクリート造りの仏塔のような外観の書屋が建ち並ぶ。庭先には舎名の元となった二本の柿が建ち並び、現在は二代目。
 逍遥はこの地で、自身最大の業績のひとつである「シェークスピア全集」の全訳を行い、完成させた。
 現在は早稲田大学に寄贈され、一般に開放されている。
 邸内には当時の資料が遺され、明治時代の文豪に思いをはせることが出来る。
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