NIPPON Kichi - 日本吉

記事数28件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/4/4


平清水焼 Hirashimizu-yaki 

Jp

 平清水焼(ひらしみずやき)は山形市平清水で焼かれる陶磁器をいう。江戸後期の文化年間、地主の丹羽治左衛門が茨城から陶工の小野藤次平を招き、地元千歳山の土を使って焼かせたのが始まりとされる。
 原土の性質を活かしたものが多く、美しさだけでなく、温もりと優しさのある作品に仕上がっている。現在は六つの窯元が伝統を守り続け、また、それぞれに個性を発揮している。
 平吉窯(へいきちがま)は、従来の釉調を一段と高め研究に余念がない。天沢窯(てんたくがま)は、平清水焼の伝統技を主力に自然青地なども手がける。七右エ門窯(しちえもんがま)は、豊富な種類の釉薬に力を入れる一方、ほとんど釉掛けをしない作品も手がける。青龍窯(せいりゅうがま)は、千歳山の原土を生かした「梨青瓷(なしせいじ)」発祥の窯元として知られる。文右エ門窯(ぶんえもんかま)は、土味を生かした素朴な風情のある作風が魅力。雷神窯(らいじんがま)は、個性豊かな工夫をこらした芸術性の高い作品が目を引く。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/18


松橋焼 Matsubase-yaki 

Jp

 熊本県宇城市(うきし)の松橋町で生まれた陶磁器として知られる「松橋焼(まつばせやき)」は、江戸時代初期から伝わる焼物である。
 文禄・慶長の役(1592~1598)の際、加藤清正・細川三斎らが朝鮮から陶工を呼び寄せ、熊本の近世の窯業が始まったといわれている。
 松橋町の松橋焼も、江戸時代初期から中期にかけて盛んに焼かれ、松橋の土を焼いた素朴な風情は当時の茶人達に好まれたと伝えられる。しかし、当時のものは散逸してほとんど伝わっていない。
 昭和四七(1972)年、陶芸家を父に持つ原構成が、松橋焼の再興と新たな気を吹き込むため現在地に「構成窯」を築窯。松橋焼は、松橋の鉄分を含む砂気のある粘土と青磁釉でつくられ、主に食器類が生産されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/11


天草 丸尾焼 Amakusa Maruo-yaki 

Jp

 熊本県天草地方で焼かれる陶磁器類をまとめて、天草陶磁器(あまくさとうじき)と呼ぶ。平成一五(2003)年に国の伝統的工芸品に指定された際、新たに名付けられた呼び名で、丸尾焼(まるおやき)はこれらを代表する陶器の一つ。生活に根付いた焼物が多く、土もの以外に天草陶石で作った白陶の器なども人気がある。
 家伝によれば、弘化二(1865)年に金澤與市が創業したという。しばらくは瓶類や土管類を製造していたが、昭和四二(1967)年にこれらの製造を中止。日曜雑器を中心とした小物類の生産への転換を図り、窯名も粘土の採土地である丸尾ヶ丘の地名をとって「丸尾焼」と改称した。代々の地道な研究が実を結び、現在は年間の来窯者数が四万人を超える、九州を代表する窯元にまで成長した。
 普段着感覚の焼物にこだわり、生活空間をより豊かにする日用品としての陶器の可能性を求め、その技法はさらに進化し続けている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/25


中島宏(人間国宝) NakajimaHiroshi 

Jp

 なかしま・ひろし。昭和一六(1941)年、佐賀県武雄市生まれ。中国の陶磁器でも最も難しいとされる青磁(せいじ)一筋に作品を作り、伝統をそのままコピーするのではなく、独自の「中島青磁」を確立したことが高く評価され、平成一九(2007)年九月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 磁器を焼く窯元に育った氏は、泥だらけになる家業を好きになれなかった。転機になったのは、父親に連れられて始めた窯跡の調査だった。「青磁なら自分の存在感が出せる」と進む道を決めてからは、窯跡を歩き、文献をひもとき、手探りで研究を続けた。常に白紙からスタートするという姿勢で臨み、中国青銅器や印象派の絵から、技法のヒントを得ては試行錯誤を繰り返してきた。
 氏は「より良いものを作らなければ、世間も自分も納得しない。原点に立ち返り、青磁とは何か自問自答したい。見た人の琴線に触れ、使う人の情が移るような作品を手掛けたい」と語る。原点回帰と創造へのこだわりが、人を感動させる作品を生み出していく。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




三浦小平二(人間国宝) MiuraKoheiji 

Jp

 みうら・こへいじ。昭和八(1933)年三月二一日~平成一八(2006)年一〇月三日。日本の陶芸家。
 佐渡の小平窯という無名の窯元、三浦小平の長男として誕生。昭和二六(1951)年、父の勧めで入学した東京芸術大学在学中に陶磁器の道に入り、卒業後は青磁の伝統技法を学んだ。
 数回にわたり中近東や東アフリカ、アジア諸国を巡り、各国の磁器の研究や自らの作品づくりに励んだ。特に、古代中国の皇室御用達であった南宋官窯に強い影響を受け、これを目標としながら研究を重ねた。
 その結果、佐渡の赤土を下地とした器に青磁釉(せいじゆう)をかけるという独特な技法を開発。さらに、青磁の一部に豆彩(とうさい)の技法を用いて人物や風物を絵付けして作風を確立した。器そのものの形にも感性が反映され、その現代的な感覚は、陶芸の世界に新風を巻き起こして注目された。
 平成八(1996)年に紫綬褒章を受章。平成九(1997)年には重要無形文化財「青磁」保持者(人間国宝)に認定された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




金重陶陽(人間国宝) KaneshigeTouyou 

Jp

 かねしげ・とうよう。明治二九(1896)年一月三日~昭和四二(1967)年一一月六日。岡山県出身の陶芸家で、昭和三一(1956)年、備前焼の陶工として初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 和気郡伊部村(現在の備前市伊部)に生まれた陶陽は、備前焼の窯元であった父・楳陽に陶技を学ぶ。二二、三歳の頃には、その技術の高さが近隣の窯業地帯に知れ渡り、村まで引き抜きに訪れる者がいたほどだったという。
 初めは細工物を制作していたが、後に桃山備前の研究に取り組み、ついに予期しない色を生み出す「窯変(ようへん)」を人為的に作ることに成功。桃山備前を現代に甦らせた。また、昭和七(1932)年にはろくろによる作陶を開始、以降は茶陶を中心とする制作を続けた。
 有田焼や九谷焼などに押されて人気を失っていた備前焼を再興させた陶陽は、「備前焼中興の祖」と称される。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から人間国宝が輩出するなど、功績は計り知れない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/22


賤機焼 Shizuhata-yaki 

Jp

 賤機焼(しずはたやき)は、静岡県静岡市の民窯で焼かれる陶器。江戸時代初期に太田七郎右衛門によって創始され、徳川家康より徳川家の御用窯として朱印地と賤機焼の称号をもらい、数百年にわたって繁栄した。しかし、文政一一(1828)年に安倍川の洪水によって窯場が流失。以後は衰退の一途をたどった。
 明治に入り、太田萬二郎によって再興が試みられるも往年の勢いは戻らず、県が郷土産業として青島庄助を招き再興に乗り出すと、二代目五郎が常滑の技術を、三代目秋果が南蛮手という技術を採り入れるなど尽力し、地方色豊かな焼き物として生まれ変わった。現在は四代目が継承している。
 なお、わずかに現存する江戸時代の賤機焼には「鬼福」と呼ばれる意匠が残されている。これは、徳川家康が三方原合戦で武田軍を駆逐した際に「鬼は外、福は内」と叫びを上げながら戦い勝利したという逸話にちなんでいる。
 静岡という穏やかな風土に育まれ、長い時を経て独特な味わいを備えてきた賤機焼は、使う人の手に馴染みやすく、温かく、優しい。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/7


水の平焼 Mizunodaira-yaki 

Jp

 熊本県天草地方で焼かれる陶磁器類をまとめて、天草陶磁器(あまくさとうじき)と呼ぶ。平成一五(2003)年に国の伝統的工芸品に指定された際、新たに名付けられた呼び名で、水の平焼(みずのだいらやき)はこれらを代表する陶器の一つ。
 水の平焼は、江戸時代末期の明和二(1765)年、山仁田窯を受け継いだ岡部常兵衛によって創業され、地名にちなんで命名された。三代目弥四郎が内国勧業博覧会に出品し受賞すると、水の平焼は一躍その名を全国にとどろかせることになる。五代目源四郎が釉薬(ゆうやく)を研究し、独特の海鼠色(なまこいろ)を完成させたことにより、ほかには真似のできないオリジナリティあふれる陶器として、その地位を確立した。
 代表的な青色や赤色の絵模様を描き出すため、土を掘って粘土を作り、釉薬の原料となる稲藁を焼くなど、先代が築き上げてきた技法を今も大切に守り続けている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数28件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter