NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


茶室 Chashitsu 

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 茶室(ちゃしつ)の歴史は室町幕府の八代将軍・足利義政が、京都大徳寺の一休禅師の門下、村田珠光(むらたしゅこう)と能阿弥(のうあみ)とその子芸阿弥(げいあみ)孫の相阿弥(そうあみ)の四人とともにそれまでとは違う、茶会の作法を編み出した時にはじまる。四人は広い座敷の中に一丈(十尺四方)の屏風で囲み、茶の道具である台子を前に行う台子手前で茶礼を行った。これが茶室のはじまりである。
 村田珠光の時代は書院風茶室であったが、武野紹鴎(たけの じょうおう)の時代には四畳半の茶室がつくられた。その後、千利休の時代になると屋根の形は入母屋から切妻へと変わり、壁も土壁、格子も細竹の連子と草庵の茶室に変わっていき、さらに、三畳から一畳半の広さで行う侘茶の作法と変わっていった。
 その後江戸時代にかけて活躍した古田織部(ふるたおりべ)が床の間をもつ四畳半台目の席を考案し、徳川将軍家の茶道指南役であった小堀遠州が完成させた。
 茶室とは日本文化が作り出した美と意識の交差する空間である
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2007/6/25


駒止湖 Komadome-ko 

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 北海道・十勝平野の北西にある山ヌプカウシヌプリ。アイヌ語で「野の上にある山」を登り詰めた先に、駒止湖がある。
 比較的小さな湖で、周囲800mほど。しかし、その湖は神秘性をまとって、鏡のような湖面を湛えている。
 元は火山の火口跡だとされるこの湖だが、不思議なことにここに流れ込む川もなければそれらしい沢もない。それでもいつも水位は変わらず、満面と張り巡らされている。
 近くの然別湖とこの湖との間に、ナキウサギの出没する格好のスポットがあるため、多くの人はこの美しい湖のことをあまり知らない。だからこそ、この湖の美しさが保たれている、という考え方もあるかもしれない。
 一人静かに、どこから沸いてくるのか分からない、不思議な湖面やそこに写りこむ木々に目を落としていれば、写真に撮られて満足顔のナキウサギが一休みにやってくるかもしれない。
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2006/12/15


一休 Ikkyuu Ikkyuu

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 室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧。諱(いみな)は宗純、号は狂雲、一休は字(あざな)。
 1394年、京都生まれ。後小松天皇の落胤といわれている。一休の生涯には、二つの大きな流れがある。早熟の天才として知を極めた若年期と、あらゆる権威や戒律を否定し、風狂に生きた壮年〜晩年期である。
 6歳で京都の安国寺に預けられ仏門に入った彼は、幼い頃から詩才を発揮、都中の評判となった。しかし20歳の時、自殺未遂を起こす。煩悶の時期を経て、26歳の時、烏の鳴き声を聞いて大悟。
 その後は、一転して寺にも住まず、民衆の中で風狂の生活を送った。飲酒・肉食を行い、晩年には盲目の女性「森侍者」と生活を共にするなど、仏教で禁じられていた戒律をことごとく破り、人々を驚かせた。しかし、その思想こそ禅の神髄に通ずるものとして、彼の詩・狂歌・書画などは後に高く評価された。
 1481年、88歳で没す。代表作として、「狂雲集」がある。
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