NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/19


二本松城 Nihonmatsu-jyo Nihonmatsu Castle

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 二本松城は、福島県二本松市郭内にあった城である。日本100名城の一つに数えられる。
 応永21(1414)年頃、畠山(二本松)満泰が、この地に城を築城したという。
 戦国時代になると二本松氏は伊達政宗と激しく争った。二本松氏が降伏を装い、正宗の父を拉致した事で激怒した正宗は、天正14年、二本松氏を滅ぼした。以後、二本松城の主は時代ごとに入れ替わった。
 寛永20(1643)年、丹羽光重が入城して大改修を行い、明治維新まで居城とし続けた。
 戊辰戦争に際し幕軍についた二本松城は落城し、明治5(1872)年、廃城となった。
 現在は霞ヶ城公園として整備されており、石垣や、再構築された遺構がある。城の入り口には「戒石銘碑」が建っている。
 昭和10(1935)年、国の史跡に指定された。
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2007/2/12


百済寺 Hyakusai-ji Hyakusai Temple

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 押立山(771・8m)の山腹にあり、石垣がどっしりとした城郭の趣を見せている天台宗の寺院が百済寺だ。
 湖東三山の中で最も古く、建立時は「くだらじ」と呼ばれた。平安時代に天台宗に改宗してからは300余坊の塔頭を構え、「湖東の小叡山」と云われるまでになったが、 度重なる大火や兵火によってほとんどが焼失してしまい、平安時代のものは現在の本尊などの主な仏像や経巻類が残るだけである。
 総門から参道を登ると、参道を固めるように道の両側には削平地が各所にあり、まるで安土城大手道の雰囲気があり、湖東三山の一つに数えられ、荘厳な雰囲気を漂わせる寺の境内を目的に大勢の観光客がおとずれる。
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2007/1/29


居醒の清水 Isame-no-simizu Isame Spring

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 居醒の清水(いさめのしみず)は、滋賀県米原市醒井にある加茂神社から、湧き出る名水である。
 古くは「古事記」や「日本書紀」にも登場し、東征からの帰りに伊吹山の荒ぶる神を退治に出掛けた日本武尊(やまとたけるのみこと)が、熱病に倒れた時、体の毒を洗い流した霊水とも伝えられている。
 その時、武尊はこの泉を「居醒の清水」と名付けたと伝わる。
 水源は霊仙山水系で、湧き出る過程で岩や土の間を通り、味や成分が変わるという。
 神社境内脇の石垣の下から湧き出て、旧中山道のほとりを川となって流れるこの水は、近在の西行水、十王水とともに、醒井の人々にとって欠かせない生活の水であり、この宿場を訪れた旅人の疲れをとるオアシスの水でもある。
 居醒の清水は、古より連綿と続く癒しの名水である。
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2007/1/26


角牟礼城址 Tsunomure-joushi Tsunomure Castle Ruin

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 角牟礼城址(つのむれじょうし)は、大分県玖珠町にある中世の山城跡である。
 角牟礼城址は、標高577mの角埋山に存在する。角牟礼城は、弘安年間(1280年)に森朝通によって築かれた。
 戦国時代には、交通の要衝の地であったため、玖珠郡衆により城はより堅固に修築された。
 天正十四(1586)年の島津義弘の侵攻にも、堅固な要塞は耐え、防ぐことに成功した。
 城跡には、穴太(あのう)積みの高さ約7m、長さ約100mに及ぶ石垣が残存している。
 他にも、豊臣時代の城主・毛利高政の頃の櫓跡及び虎口、礎石立ちの門の遺構、桁行5間・梁行3間の礎石建物などが、1993年からの発掘調査によって出土した。
 2004年、国指定史跡に選定される。
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2007/1/25


鶴山公園 Kakuzan-kouen Kakuzan Park

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 「鶴山(かくざん)公園」は、岡山県津山市のほぼ中央に位置する。別名「津山城跡」。
 津山城は、津山藩初代藩主森忠政が13年もの歳月をかけて元和二(1616)年に完成させた輪郭式の近世平山城。往時には五層の天守がそびえ、櫓(門や城壁の上に造った一段高い建物。敵状の偵察や射撃のための高楼)は60棟を数えたが、明治6年に廃城となり、現在は豪壮な石垣と2005年に復元された備中櫓が勇壮な姿を見せている。
 鶴山公園は、「さくら名所百選」にも選ばれた西日本一の桜の名所でもあり、ソメイヨシノなど五千本の桜が咲き乱れる。ぼんぼりに浮かぶ夜桜も美しく、毎年10万人を超える人々で賑わう。また、新緑の頃の藤、ツツジ、秋の紅葉、雪景色など、四季折々の美しさで訪れる人々を魅了している。
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広兼邸 Hirogane-tei Hirogane Mansion

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 江戸時代、小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造で巨万の富を築いた大野呂の庄屋、広兼家。広兼邸は、同家2代目元治が享和・文化年間(1800年頃)に建てた大邸宅である。
 楼門づくりで城郭にも劣らない堂々たる石垣は、往時の富豪ぶりを偲ばせる。山の斜面に造られた城というべき威容を誇り、春には桜が山城の威厳を引きたてるかのように咲き、見事な景観を楽しめる。
 二階建ての母屋のほかに、土蔵3棟、桜門、長屋が広い敷地内にあり、庭園には水琴窟が心地よい音色を奏でている。
 近年は横溝正史の「八つ墓村」のロケ地になったことで有名になった。映画の渥美清が活躍する姿を思い浮かべながら見学するのも楽しい
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