NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/26


姉様人形 Anesama-ningyou 

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 姉様人形(あねさまにんぎょう)は江戸時代から流行した女の子向けの紙人形である。和紙と千代紙からできており、すらりとした若い女性のシルエットをしている。女の子から見る姉様、いわゆる若く美しい大人の女性への憧れが人形に映し出されていると言われている。
 昭和初期までは、おままごとなど日常の遊び用玩具として使われていたが、今日では民芸品として残されている。
 衣装、飾り付け、着物の柄など色彩豊かで、髪型もお下げ、桃割れ、島田などその人形の年齢に合わせ、様々に結い上げられている。
 顔は簡略化され描かれてない事が多いが、島根県松江市に伝わる「松江姉様」は、花をあしらった大きな髪飾の下に色白の肌、伏目勝ちの切れ長の瞳におちょぼ口という和風美人が描かれてある。かの小泉八雲もこれをこよなく愛し、机に飾って愛でていたという。
 他にも長野県松本市の日本髪の美しさを強調した「松本姉様人形」など、全国で五〇種類以上もの姉様人形が確認されている。
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雛人形 Hina-ningyou 

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 雛人形(ひなにんぎょう)の起源は、古くは「形代(かたしろ)」と言われる川や海に人の身代わりとして人形を流して幼子の無事な成長を祈るものといわれ、時代とともに現在の様な形に変化していった。
 形代は三月の上巳の節句に、草木などの簡素な素材の人形(ひとがた)で体を撫でることにより、身の汚れ(けがれ)や災いを移し代わらせてお祓いを行っていたものであるが、天正年間の頃、平安時代の宮中で行われていた「雛あそび」と言われる遊びごとと、この厄除けの習慣が結びついて、「雛祭り」へと変わっていったとされる。
 現在のような平安装束を模した雛人形は、江戸時代には武家の子女の大事な嫁入り道具の一つとなり、次第に華美で贅沢なものになっていった。
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2007/10/19


おはじき遊び Ohajiki-asobi Ohajiki (Flat Marbles) Game

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 おはじき遊びとは、丸い平たいガラス玉を使用した、女の子に好まれる遊びである。
 直径が12ミリ前後の小さなガラス玉を指で弾いて遊ぶので「おはじき」と名付けられた。
 日本でおはじきを使った遊びが行なわれるようになったのは奈良時代の事で、この時代に中国から伝わった遊びとされている。古くは小石を用いて、石弾き(いしはじき)とも呼ばれていた。
 当初、主に宮廷での大人の遊びとして広まったが、江戸時代に入ってから女の子の遊びとして一般化し、明治時代後期に現在のガラス製のおはじきになった。
 遊び方はいろいろあるが、基本の遊びはおはじきを指ではじいて、当たったおはじきはもらえるというもの。最終的には、持っているおはじきの数で勝敗を決める。
 おはじき遊びは、おはじきの見た目の美しさとゲームの両方を楽しめる歴史のある遊びである。
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2007/10/5


足助春まつり Asuke-haru-matsuri 

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 足助(あすけ)はかつて塩の道と呼ばれた中馬街道の宿場で、奥三河の中枢拠点として栄えた。今も往時の面影を残す古い町並みが、足助川沿いの約二キロにわたって残る。
 足助では、毎年四月第二週の土日曜日に「春まつり」が開催される。この祭りは、明治三五(1902)年に創建された足助神社の例祭で、元弘の乱において京都笠置山で奮戦した足助次郎重範(あすけじろうしげのり)を偲ぶ。勇壮な秋祭りに対して、華やかな女の子の祭りと言われている。
 旧足助町域にある親王町、田町、本町、新町、西町、宮町、松栄町の七つの町から花車が出る。花車はピンクの造花で美しく飾られており、十代以下の女の子がお囃子の太鼓をたたく。そして若連と呼ばれる二〇代中心の男衆が花車の梶を取り、足助の町並みを練り歩く。その後、七台の花車は足助神社に集結し奉納囃子が始まる。奉納囃子の演奏は、一台ずつ順番に行われる。
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2007/9/7


秋保の田植踊 Akiu-no-taue-odori Taue Odori in Akiu

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 秋保の田植踊(あきうのたうえおどり)は、宮城県仙台市太白区秋保町に伝わる郷土芸能である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 この田植踊は、長袋に落ち延びた平家の落人たちが昔を慕って始めたものといわれている。昔から大規模な構成で、総勢50~60人から、多い時には100人を越えたという。
 毎年4月中旬~5月はじめにかけて長袋神明社、馬場大滝不動堂、湯元薬師堂で演じられている。
 五穀豊穣を祈願し、年少の男の子2人の「鈴振り」を従えた、2人の男の子扮する「弥十郎」の前口上に続いて、小中学生の女の子の扮する「早乙女」(8~14人)の「田植振り」が演じられる。
 秋保の田植踊は、秋保町の湯元、長袋、馬場に受け継がれ続けている神聖な伝統芸能である。
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2007/7/11


雛祭り Hina-matsuri Hina Matsuri

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 三月三日の桃の節句に女の子のいる家で成長、幸福を願い行なわれる行事。
 ひいなまつり、上巳(じようし)の節句ともいわれる。
 中国の五節句の一つで、三月始めの巳の日の上巳に禊をして厄払いをしたことが起源とされる。
 日本では厄払いに人形をもちいていたが、これが「ひいな遊び」に使われた人形と結びつき、お雛様の原型となった。その後、雛人形を飾り、祀ることで幸せを祈る現在の姿となっている。
 お供え物の、菱餅は土台となるヨモギが邪気を払い、白酒は身を清め、蛤は貝のように合う相手を願うものであり、その他に多くの縁起物が子供の成長を祈って揃えられる。
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2007/6/12


七五三 Shichigosan 

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 三歳、五歳、七歳に行う子供の成長を祝い、一一月一五日に氏神様に参拝する年中行事で、元々は関東で行われていた行事だが、現在は全国で行っている。
 現在は満年齢で行う場合が多いが、本来は数え年で祝っていた。
 かつて乳幼児の死亡率が高かった時代には、七歳になって社会に出ることが認められたとされた。
 三歳で髪ののばし始める「髪置き」、五歳の男の子がはじめて袴をつける「袴着」、七歳の女の子が帯をつかいはじめる「帯解き」の三つのお祝いを行った。
 また、一五日は何事をするにも吉とされており、一一月一五日は、収穫の感謝と共に子供の成長を感謝を行った。
 七五三は、千歳飴を食べて祝う。千歳飴は長寿を願う飴で、細く長い形状をしており、白や赤などの縁起が良い色で着色されている。江戸時代に、浅草の飴屋「七兵衛」が売り出したとされている。
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2007/5/11


はこた人形 Hakotaningyo Hakota Dolls

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 鳥取県倉吉市に古くから伝わる張子の人形。300年の歴史を持つ伝統工芸品だ。こけしに似た、手足のない円筒形の張子は全国的にも珍しく、山陰では倉吉でしか作られていない。
 起こりは江戸時代の天明年間(1781〜89)。備後(現在の広島県)から行商にやってきた備後屋治兵衛という商人が、この地の女の子たちの素朴さに感動して作ったのがこの「はこた人形」の発祥とされる。
 昭和初期の頃までは「はーこさん」と呼ばれて、幼い女の子の遊び道具として親しまれていた。怪我や病気をしないで無事に育つという願いを込めた縁起物でもある。
 今も続く備後屋六代目の手ほどきによる、絵付け体験もできる。
 自分だけの「はーこさん」。どんな表情になるのだろう。
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