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毎年旧暦一月一五日、新暦の二月一〇日の夜、刈和野の大町通りは、引き手のかけ声と観客の歓声とで興奮のるつぼと化す。「刈和野の大綱引き」である。
上町・下町の2町に分かれた数千人の「刈和野衆」が100mを越す大綱に取り付き、建元(たてもと)と呼ばれる両町のリーダーの合図で一斉に大綱を引き始める。「ジョーヤサノー、ジョーヤサノー」という威勢のいい掛け声に合わせ、双方が波打つように綱を引き合う。
大綱は上町側を雄綱、下町側を雌綱と呼び、それぞれ64m、50mの長さ。太さはそれぞれ80cm前後もあり、重量はそれぞれ約10トンにもなるという。
祭りが始められた当初は、町の市場の開設権をめぐる勝負であったとされるが、現在では観光の意味合いが強くなって、上町が勝つと米の値段が上がり、下町が勝つと豊作になると言われるようになった。
五百年以上の伝統を誇ると言われるこの大綱引きは、刈和野の伝統行事として国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。
上町・下町の2町に分かれた数千人の「刈和野衆」が100mを越す大綱に取り付き、建元(たてもと)と呼ばれる両町のリーダーの合図で一斉に大綱を引き始める。「ジョーヤサノー、ジョーヤサノー」という威勢のいい掛け声に合わせ、双方が波打つように綱を引き合う。
大綱は上町側を雄綱、下町側を雌綱と呼び、それぞれ64m、50mの長さ。太さはそれぞれ80cm前後もあり、重量はそれぞれ約10トンにもなるという。
祭りが始められた当初は、町の市場の開設権をめぐる勝負であったとされるが、現在では観光の意味合いが強くなって、上町が勝つと米の値段が上がり、下町が勝つと豊作になると言われるようになった。
五百年以上の伝統を誇ると言われるこの大綱引きは、刈和野の伝統行事として国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。
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