NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/6


紙相撲 Kamizumou 

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 それまでの戦乱が一時の終息を迎え、江戸時代は平穏な時が流れるとともに、庶民の文化も大きく発展していった。そんな中、相撲は当時の人々にとっても、非常に人気を博した娯楽であった。そのため、相撲に関連した遊びが多く生み出されたという。紙相撲(かみずもう)もその中の一つであった。
 紙で作った力士である人形を、土俵に見立てた板や厚紙をの上に置き、その隅をトントン叩く。すると紙の力士が互いに動き出し、どちらかが倒れるまで勝敗を争う遊びである。
 昭和二九(1954)年に徳川義幸氏という当時一七才の少年が、独自の紙相撲の方法を考案。これがマスコミに大きく取り上げられ、全国的ブームにまで発展し、遂には、日本紙相撲協会が設立されるまでに至った。
 現在では、紙の大きさや土俵の大きさ、土俵においた時の人形の角度など、本物の大相撲のようにきめ細かい約束事が決められており、全国に多くの愛好者がいる。
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2008/2/5


川内大綱引 Sendai-oo-zuna-hiki 

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 「川内大綱引(せんだいおおづなひき)」は、別名「けんか綱」とも呼ばれる。昔から、喧嘩一切お構いなしという男の祭りで知られた。
 綱の長さは、三六五メートル、直径三五センチメートル、重さ五トンもあり、川内の大綱引きは、日本一といわれている。
 慶長五(1600)年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の頃、関ヶ原の戦いに向かう薩摩藩主・島津義弘が、兵士を鼓舞するために始めたといわれている。
 祭りの当日、早朝より大綱を作る作業が行われ、これを「綱練り」と呼ぶ。保存会が中心となり、市内の中高生や陸上自衛隊も加わって、数百本の縄をよりあわせ、数時間掛けて作り上げる。
 夜八時頃、約三千人の若者が上方と下方にわかれて大綱を引き合う。上方が赤、下方が白と色分けしており、九時半頃にどちらの陣営にあるかで勝敗が決定する。
 大綱の一部を持ち帰ると、一年間健康に過ごせるといわれ、玄関先におく風習も残っている。
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2007/12/26


めんこ遊び Menko-asobi 

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 めんこ遊びは、江戸時代から親しまれてきた素朴な遊びである。
 初めは人の顔や紋が面型に抜かれた粘土を焼いて作られたもので、直系2cm~3cmほどのものだった。
 明治に入ると、薄い鉛製のものとなり、この時代に、めんこあそび特有の相手のめんこを反転させる、いわゆる“起こし”が生み出されたといわれている。
 その後は厚紙でできた紙めんこへと姿を変え、今に至っている。
 遊び方も至極単純で、地面に置いためんこに対して別の者が手にしためんこを叩きつけ、地面のめんこが裏返るかどうかで勝敗が決まる。また、裏返されためんこは、叩きつけた者の所有となることも特徴である。
 表面には、その時代の人気の風物が図柄として用いられてコレクションのような価値観もあったため、取ったり取替えしたりといった競争心も、遊びの盛り上げに一役買っていたようだ。
 近年ではその他の様々な遊びに押されて衰退気味ではあるが、平成の世になった今もその面白さは脈々と受け継がれている。
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2007/12/21


鳥羽神明社の火祭り Toba-shinmeisha-no-hi-matsuri Himatsuri (the Fire Festival) of Toba Shinmeisha Shrine

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 ごうごうと燃えさかる大松明の炎の中に飛び込んで行く勇猛果敢な男たち。三河の鳥羽神明社(とばしんめいしゃ)で行われる火祭りは、天下の奇祭として知られる。起源はおよそ千二百年前と伝えられ、県の無形民俗文化財に指定されている。
 祭りは高さ五メートル程度の「すずみ」と呼ばれる大松明を二基作り、中に神木と、月の数と同数の十二縄を納め、それに火打ち石で点火して始まる。地元鳥羽地区を西の「福地(ふくじ)」と東の「乾地(かんじ)」とに分け、海で身を清め神前でお祓いを受けた厄男とそれを助ける奉仕者たちが、神主の合図で「すずみ」の火の中へと一斉に飛び込む。最後に「すずみ」の燃え具合と「福地」「乾地」の勝敗によって、その年の豊凶を占う。「福地」が勝てば山間部は豊作に恵まれ雨も多く、「乾地」が勝てば干天が続いたり異変が起こるという。
 祭りは毎年旧暦の一月七日に行われていたが、現在は二月の第二日曜日に行われている。
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2007/11/29


四半的矢 Shihanmato-ya 

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 四半的(しはんまと)、正式には四半的弓道という。宮崎県日南市にあった飫肥藩(おびはん)に伝わっていた武道弓技である。四〇〇年の歴史を持つ。
 特徴としては標的の直径が4寸5分(約13.6センチ)、弓矢の長さが4尺5寸(約1.36メートル)、標的までの距離が4間半(約8.2メートル)と、4と5の数字を基準としたルールになっており、正座姿勢の状態で弓を射る。
 現在では弓技スポーツとして鹿児島県や熊本県にも広がり、競技大会も数多く開催される。
 競技内容は4間半の距離で的を射て当たりを競い合うというもの。矢を10射して3回、合計30射の当たり本数で勝敗が決められる、団体戦、個人戦がある。
 競技に使用される矢は高山に自生するクマザサを長期間乾燥させた後、火であぶり、微妙な色合いを出したものがつかわれる。竹の素朴さを生かした優れた工芸品でもある。
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2007/11/9


相撲 Sumou 

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 相撲(すもう)は、日本に古来から伝わる武道・格闘技であり、現在はスポーツとして世界的にも知られている国技である。
 その起源は「古事記」や「日本書紀」に登場するほど古く、神話として扱われている。平安時代には宗教文化色が増し、神事として扱われるようになった。
 やがて武芸となり、江戸時代には芸能として成り立ち、現在は大相撲として全国を興行している。
 競技としては、腰にまわしを巻いた裸の2人が土俵上で取り組み、相手を押したり、ついたり、投げたりしながら、倒すか土俵の外に出す事で勝敗を決める。
 力士は頭にまげをゆい、審判役の行司は1400年頃の侍と同じ服装をしている。力士が取り組み前に土俵で塩をまくのは、神聖な土俵を清める為とされる。
 また、力士には番付があり、かつては大関が最高位だったが、明治以降は実績と品格により最高位・横綱が与えられるようになった。
 相撲は、古より伝わる神事であり、日本の伝統文化である。
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2007/10/19


おはじき遊び Ohajiki-asobi Ohajiki (Flat Marbles) Game

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 おはじき遊びとは、丸い平たいガラス玉を使用した、女の子に好まれる遊びである。
 直径が12ミリ前後の小さなガラス玉を指で弾いて遊ぶので「おはじき」と名付けられた。
 日本でおはじきを使った遊びが行なわれるようになったのは奈良時代の事で、この時代に中国から伝わった遊びとされている。古くは小石を用いて、石弾き(いしはじき)とも呼ばれていた。
 当初、主に宮廷での大人の遊びとして広まったが、江戸時代に入ってから女の子の遊びとして一般化し、明治時代後期に現在のガラス製のおはじきになった。
 遊び方はいろいろあるが、基本の遊びはおはじきを指ではじいて、当たったおはじきはもらえるというもの。最終的には、持っているおはじきの数で勝敗を決める。
 おはじき遊びは、おはじきの見た目の美しさとゲームの両方を楽しめる歴史のある遊びである。
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2007/10/17


香川 蹴鞠 Kagawa Kemari Kemari in Kagawa

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 香川の蹴鞠(けまり)は毎年五月五日、七月七日、年末に金刀比羅宮で公開される蹴鞠である。五月五日に行われる蹴鞠を「奉納蹴鞠」、七月七日に行われるのを「七夕鞠」、年末のものを「納め鞠」という。
 蹴鞠は一四〇〇年ぐらい前に中国から伝わった遊びで鞠庭(まりにわ)と呼ばれる神聖な場所で行われる。相手に受け取りやすく、打ち返しやすい球を返すのが大切で勝敗よりも見た目の美しさが重視される。
 蹴鞠が行われる鞠庭には神職や巫女が鞠水干(まりすいかん)や鞠ばかまと呼ばれる色とりどりの衣装で現れ、座の長老である宮司が梶(かじ)の枝から解き放つ「解鞠(ときまり)」という秘伝の儀式を行い、六人が輪になり、「アリヤー」「アリ」の独特の掛け声とともに蹴鞠が行われる。
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