NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/6


こきりこ祭 Kokiriko-matsuri 

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 こきりこ祭(こきりこまつり)は、富山県南砺市上梨にある神社・白山宮(はくさんぐう)境内にて毎年九月下旬に行われている祭りである。
 白山宮は元正天皇の時代(715~724)、白山信仰を中央にまで広めた泰澄大師(たいちょうだいし)によって創建されたとされる神社で、祭神は白山菊理媛命(しらやまくくりひめのみこと)。
 民謡の宝庫五箇山に残る代表民謡「こきりこ」は、筑子竹、ささら、板ささらなど、珍しい往時のままの楽器を今に伝える日本最古の民謡とされる。
 祭りでは、白山宮境内にて奉納こきりこ踊りを舞い、夜の舞台でむぎや踊りや八尾おわら踊り、五箇山こきりこ踊りを競演する。五箇山の歌と踊は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 また、踊りの講習会やのど自慢、獅子舞、舞台競演会なども行われている。
 こきりこ祭は、古より伝わる伝統の神楽舞祭りである。
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2007/12/20


東京 福相寺 Toukyou Fukusou-ji 

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 東京の福相寺(ふくそうじ)は、東京都杉並区堀ノ内にある日蓮宗の寺である。本尊は日蓮上人像、十界諸尊。
 天正一七(1589)年、一如院日重により下谷に開創され、その後、寺地が上野・寛永寺の境内地となったため小石川白山前に移転し、昭和一二(1937)年、現在地に移転した。
 寺の僧・日元が大阪に行った際、長病の某氏の為に同家に安置されていた伝教大師作の大黒天を清めお祈りした所、全快した。
 以来この像は、病気平癒の御利益がある寺鎮護の神として境内に安置され、これが江戸後期に庶民の信仰を集め、遠く関西方面からも参詣客があり、その人々が奉納した石塔が今も境内に残っている。
 墓地には、俳人・長谷川零余子(れいよし)・かな女(かなにょ)夫妻の句碑と墓がある。
 東京の福相寺は、江戸時代から人々に親しまれている寺である。
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2007/11/29


石川 檜細工 Ishikawa Hinokizaiku Ishikawa Cypress Weaving

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 石川県白山(はくさん)市に四〇〇年受け継がれている伝統工芸である。昭和六三年に県の伝統工芸品に指定されている。
 檜細工は、約四〇〇年前、白山麓の旧尾口村深瀬を訪れた旅の僧が檜傘の作り方を伝授したのがはじまりとされる。以降、江戸時代中期には村の重要産物になった。
 檜細工は、「ヒンナ(またはヘギ)」と呼ばれる檜を薄く切った板を編み上げて作る。代表的な産物に昭和初期に考案された「白山傘」がある。軽くて丈夫、その上雨や日差しを良く防ぐと、屋外での農作業用に重宝されている。
 春の農繁期前には白山傘作りがピークを迎える。年間約700個の注文に対し、伝統を受け継ぐ6人の職人が製作を一手に担う。
 檜細工には、白山傘のほかに、おぼけ、籠、花器などの民芸品がある。そのどれもが「用」の美と端正な意匠を併せ持つ、魅力的な伝統工芸品である。
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2007/10/9


八王子 白山神社 Hachiouji Hakusan-jinja Hakusan Shrine in Hachioji

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 八王子の白山神社(はちおうじのはくさんじんじゃ)は、東京都八王子市中山にある神社である。祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)。
 創建年代は明らかではないが、平安時代に比叡山、西塔の僧武蔵坊弁慶の血縁であった弁智が法華経を奉納した、関東七社の一社であると伝えられている。
 天正一八(1590)年、豊臣秀吉と北条氏政・氏直が戦った小田原合戦で焼失したが、慶弔一八(1613)年、再建された。
 境内には、仏教の経典を埋めた経塚があり、出土した仁平四(1154)年の如法経奥書には、かつて神社に隣接した神宮寺である長隆寺があったと記されている。
 また、樹齢1000年以上の高野まきの老木があり、都の記念物に指定されている。
 八王子の白山神社は、長い歴史を誇る古社である。
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功雲寺 Kouun-ji Kounji Temple

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 功雲寺(こううんじ)は、神奈川県相模原市津久井町にある曹洞宗の寺である。本尊は釈迦如来。
 応永一五(1408)年、宝ヶ峰の裏側、昔の太井村に創建され、当時は、耕雲庵と称されていた。その後、戦国時代になって、津久井城主・内藤景定が現在地に移し功雲寺として開基された。
 下総国鴻台(しもうさのくにこうのだい)、現在の千葉県市川市国府台にある総寧寺(そうねいじ)の末寺にあたる。総寧寺は、江戸時代に曹洞宗の関東僧録司・三ヶ寺の筆頭である。
 かつては、広い境内に山門、本堂、開山堂、白山堂、鐘楼などが立ち並び、寺領50石を封じられた大寺院だった。本堂の裏手には歴代住職の無縫塔群、その中央に景定夫妻のものといわれている宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建つ。
 これを囲んで代官守屋左太夫一族、城代家老馬場佐渡、元家臣で津久井総代名主・島崎律直らの墓が並んでおり、津久井城主の墓は、町指定文化財となっている。
 功雲寺は、領主内藤氏とゆかりの深い寺である。
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2007/8/24


石鎚山お山開き Ishizuchi-san-oyama-biraki 

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 石鎚山(いしづちやま)は、加賀白山、越中立山、大和大嶺山及び釈迦嶽、駿河富士、伯耆大山とともに、日本七霊山のひとつにも数えられる四国の霊峰。標高は1982メートルである。この石鎚山お山開きは石鎚神社最大の御祭儀で、毎年七月一日〜一〇日までの一〇日間に渡って行なわれる。
 石鎚神社は、修験者の役小角(えんのおづの)が和銅三(710)年頃開山、後年、空海が修業を行ったとも場所とも伝えられる由緒ある神社。
 大祭前日の六月三〇日は出御祭で、神輿に納められた智・仁・勇の三体のご神像が、七合目にある成就社まで運ばれる。翌七月一日の朝、大太鼓の音に送られ、白装束姿の信者が御神像を背に、険しい山道を山頂へと駆け上がる。山頂では、ご神像拝戴(しんぞうはいたい)と呼ばれる、信者の背中にご神像を押しつける神事が行なわれ、人々は一年の無病息災を祈願、その後ご神像は頂上の社に納められ、祭りの期間中鎮座する。
 元々は女人禁制のお山であったが、現在ではそれは七月一日のみとなった。
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2007/6/28


小迫祭 Obasama-matsuri 

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 小迫(おばさま)祭は、小迫の延年(えんねん)とも呼ばれ、旧暦三月三日、現在は毎年四月の第一日曜日に行なわれている。
 延年とは僧侶や稚児たちによって催された芸能の総称で、平安から室町時代にかけて盛んに行われていたもの。
 祭りの当日、白山神社に付属する別当寺・楽峯山勝大寺に一泊していた神輿が衆徒、僧侶、宮司などに担がれて神社へ向かう。
 その後白山神社前の「野舞台」では、古式ゆかしい献膳・獅子舞・御法楽・入振舞・飛作舞・田楽舞・馬乗渡し(ばじょうわたし)の神事が奉納される。
 坂上田村麻呂が建立したとされている白山神社に伝わる、頼朝の流鏑馬「那須与一・扇の的射」の奉納神事の謂れと、勝大寺に伝わる「延年の舞」とが習合して、小迫祭りとなった言われている。
 小迫の延年は、白山神社と深いかかわりを持つ平泉の毛越寺の延年とともに、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2007/6/1


岐阜 阿弥陀ヶ滝 Gifu Amidaga-taki The Amida Waterfall

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 「阿弥陀ヶ滝(あみだたき)」は、白山中宮長滝寺の僧であった道雅法師が、この中で修行の為に護摩を焚いたところ、阿弥陀如来の姿が浮かびあがったとされることから、現在の名でと呼ばれる様になった。
 長良川にも繋がる阿弥陀ヶ滝は、落差が約60mあり、樹木の間から瀑音を響かせて落ちる様子は、東海一の名瀑と呼ばれてもおかしくない。同時に「日本の滝100選」にも選ばれていて、水の透明度も高い。
 朝陽を背にして滝の前に立つと、水煙りの中に自分の影が映り込み、ぼんやりと虹色にふちどられて見えてとても幻想的な風情を楽しめる。。また、春には新緑、秋は紅葉、夏でもひんやりとした空気が漂って清涼感に溢れ、厳冬期には滝が氷結する。四季を通じてそれぞれに趣がある、奥美濃の景勝地となっている。
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