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2008/10/17


船橋 灯明台 Funabashi Toumyoudai 

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 灯明台(とうみょうだい)は、千葉県船橋市宮本にある意富比神社(おおひじんじゃ)境内に残る灯台である。
 当時は、灯明台周辺が東京湾沿岸であったため、往来する船舶に位置を知らせるための常夜灯があったが、慶応四(1868)年の戊辰戦争の際、戦災によって社殿とともに焼失。その後の明治一三(1880)年に、地元有志らの寄付によって同社境内にある標高27mほどの小高い丘に本格的な灯台として建てられた。
 肝心の光源には、石油ランプに錫製の反射鏡を組合わせた構造が用いられ、その光は11km先まで届く程だったという。
 木造瓦葺きの三階建てで、一階と二階が和風、三階は西洋式灯台の和洋折衷の造りとなっており、明治二八(1895)年に廃止されるまで、政府公認の私設灯台として活躍した。
 今はもう、灯台としての機能は果たしていないが、その歴史的価値から県の有形文化財にも指定され、建設から一二〇年以上を経た現在にあっても、文明開化の趣を垣間見せてくれている。
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2008/9/4


大阪浪華錫器 Oosaka-naniwa-suzuki 

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 大阪浪華錫器(なにわすずき)は大阪府の伝統工芸品の一つで、種類は金工品。主な製品に神仏具、酒器、茶器、菓子器、花器などがある。
 その歴史は古く、今から約千三百年前の七世紀初め、遣隋使によって錫器が伝えられたのが始まりとされている。江戸時代中期に盛んになり、大坂に産地が形成された。昭和五八(1983)年四月、通商産業大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定。現在八名ほどの伝統工芸士がその技法を守り伝えており、毎年九月頃に開催される大阪の伝統工芸品展に出品される。
 材料には、純度九七パーセント以上の錫が用いられる。錫には水の浄化作用があり、イオン効果が高く防湿性や密封性に富むことから、酒器や茶器、花瓶、茶筒に最適といわれる。柔らかく機械加工しにくいため、「鋳込み」「ろくろ挽き」「研磨仕上げ」など、工程のほとんどが緻密な手作業で行われる。製品は独自の風合が生かされ、使い込むほどに愛着が増す。
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2008/7/28


小田部庄右衛門 (御鋳物師) Kotabe Shouemon (On-Imonoshi) Shouemon Kotabe (Metal Worker)

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 小田部庄右衛門。昭和46(1971)年、茨城県生れ。
 御鋳物師(おんいものし)として八〇〇年以上の伝統を守り続ける。小田部家三七代。
 父である先代の元、子供の頃より梵鐘作りを手伝う。国立高岡短期大学(現富山大学)金属工学科卒業後、盛岡の鉄瓶工房で修行。その後、小田部鋳造に戻り、25歳で御鋳物師を継ぐ。
 筑波山の麓にある工場では梵鐘、半鐘、天水鉢の鋳造を行っており、全国から注文の他に、外国からのベルの製作依頼もある。
 文字と模様を相談し、地元の砂と粘土で鋳型を作り1200度の銅と錫を流し込む。小田部鋳造では鐘に着色しないので、鋳型にとても手間をかける。一つの梵鐘を作るのには、4ヶ月~半年、さらには一年かかることもある。鋳型から取り出された鐘はオレンジがかった赤銅色をしており、しだいに赤、紫、青緑を帯びてゆく。時とともにその土地の空気が色を変化させるのだ。
 イメージの先にある梵鐘の響き。心を震わせる音を求めて小田部さんは試行錯誤を続けている。
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2008/6/23


剣岳 Tsurugi-dake 

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 空を切り裂く剣のような鋭い岩峰をもつ剣岳(つるぎだけ)は、標高二九九九mの、北アルプスの山岳の中でも最も険しい山である。剣岳または剱岳と表記される。
 その名のとおり鋭い山容で明治時代まで前人未踏の山と思われていた。ところが山頂には祠があり、その付近からは奈良時代後半から平安時代初期にかけての修行僧が置いていったとされる錆びた鉾(ほこ)や錫杖(しゃくじょう)が発見されたという。古来より信仰の対象になっていたことを物語っている。
 人を寄せ付けない厳しい姿をしているが、一般の登山者でも登頂できる道が整備されている。それでも山頂付近は「カニのタテバイ・ヨコバイ」と呼ばれる、鋭い傾斜した岩がある。スリルと壮大なパノラマを目指す登山者達の憧れの山である。
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2008/4/22


地蔵菩薩 Jizou-bosatsu Jizou Bosatsu

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 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教における菩薩の一人である。
 サンスクリット語での仏の名を表す梵名(ぼんめい)、クシティガルバが大地の母胎という意味を持つことから、地蔵という名が付けられたという。
 その姿は、剃髪で袈裟を身につけており、右手に錫杖、左手には宝珠を持っている。
 釈迦の入滅後、五六億七千万年後に弥勒菩薩が出現するまでの仏が不在の間、六道を輪廻する衆生を救う菩薩として信仰されている。そのため、六道それぞれの地蔵菩薩を並べて祀った「六地蔵像」を日本各地で見ることが出来る。
 日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、地蔵菩薩に対する信仰も広がっていき、その後、六地蔵信仰が全国的に広まり、古来より日本にあった道祖神とも習合し、今に至っている。
 菩薩は本来なら如来に次ぐ高い見地の仏だが、地蔵菩薩は「一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」としてその地位を退き、六道を自らの足で行脚しながら、衆生の魂を救う旅を続けているという。
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2008/2/8


壬生寺 Mibu-dera 

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 京都府京都市中京区にある寺。
 奈良時代の創建と伝えられ、正暦二(991)年、大津にある三井寺(園城寺)の僧・快賢が再興して「小三井寺」と呼ばれた古刹である。中世には円覚上人が寺を再興し壬生狂言(壬生大念仏狂言)を興した。壬生寺は京都三大狂言の一つである壬生狂言を伝える寺として、今も京の庶民に親しまれている。また幕末には、新撰組がこの寺を「兵法鍛錬場」として使用したことから、新撰組のゆかりの寺としても有名である。境内の壬生塚には、近藤勇の銅像や隊士の供養搭などが残っている。
 壬生狂言が演じられる「大念佛堂」、秘仏である辧財天が祀られている「弁天堂」をはじめ、五仏錫杖頭(ごぶつしゃくじょうとう)(重要文化財)や列仙図屏風(れっせんずびょうぶ)(長谷川等伯筆・重要文化財)などや、室町時代の作を含む190点もの狂言の面を今に伝えている。
 今も、壬生の地の人々の中にある寺である。
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2007/12/10


碁石山 浪切不動明王 Goishizan Namikiri-fudoumyouou 

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 碁石山(ごいしざん)は、香川県小豆郡小豆島町の岩窟内にある真言宗の寺である。小豆島八十八ヶ所霊場第3番札所とされる。
 開基は不詳で、伝説では行基菩薩によって開かれたと言われる。
 安永三(1774)年、下野国の人である一翁道夢居士が、この岩窟内で念仏を唱えながら入定したとされ、岩窟内には、祈願の為の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。
 浪切不動明王(なみきりふどうみょうおう)は、この碁石山に安置されている本尊である。
 海難事故を防ぐ不動明王としてはるか昔より、漁師や海運関係者に広く信仰され、多くの危難を防いだと言われ、弘法大師も止錫したと伝えられる。
 1番札所の洞雲山、3番札所奥の院の隼山とともに、験者が修行した道場とされている。
 碁石山の浪切不動明王は、地元の人たちから浪切さんと呼ばれて親しまれている不動明王像である。
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2007/11/15


大栗山花蔵院大日寺 Oogurizan-kezouin-dainichi-ji 

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 四国霊場第一三番である大栗山花蔵院大日寺(おおぐりざんけぞういんだいにちじ)。
 弘仁六(825)年、この地を巡錫中の弘法大師が「大師が森」で護摩修法をしていると、空中に紫雲と共に大日如来が出現し「この地は霊域なり、心あらば一宇を建立せよ」と告げられた。
 感得した大師は尊影の大日如来を刻んで本尊とし、堂宇を建立して安置したことが寺号の由来となっている。
 山門をくぐると、正面に合掌した手の中に安置された「しあわせ観音」の像がある。その名の通り幸せを祈ると良いとされ、参詣者に親しまれている。
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