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2008/6/10


鳩車 Hato-guruma 

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 鳩車(はとぐるま)は長野県野沢温泉地方の伝統ある郷土玩具。アケビの蔓(つる)を細工し、鳩に車輪の付いた玩具である。全国郷土玩具番付で「東の横綱」に推挙されている。
 はるか昔、野沢温泉近くの貧しい農家に来たお坊さんを快く泊めてあげたところ、一家はお礼につがいの鳩を授かり、幸運に恵まれたという話に由来する。子孫である河野安信がそれを思い出し、アケビの蔓で鳩の細工を作ったところ、飛ぶように売れたという。
 その後、村内に蔓細工が普及した。しかし、明治時代に入ると蔓細工の売れ行きが悪くなり、とうとう鳩車を作る人はいなくなってしまったという。
 それから二〇年程が経ち、安信の作った蔓細工を河野虎之助が研究し復元に成功。現在の形に整えられ河野平作に伝承された。
 平作は昭和三六(1961)年の産業博覧会につがいの鳩車を出品。その時、訪れた皇太子妃殿下(現在の皇后陛下)の目にとまり、鳩車を献上したというエピソードが残されている。
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2008/1/17


盆栽 つるうめもどき Bonsai Tsuruumemodoki 

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 「蔓梅疑(つるうめもどき)」とは、にしきぎ科つるうめもどき属で、冬に葉がなくなる落葉低木である。
 「つるうめもどき」という名前は、もちのき科の「梅疑(うめもどき)」に似ていることからその名がつけられた。
 初春に新芽が出て、みるみるうちに葉が茂っていく。5月から6月頃、黄緑色の小さな花がたくさん咲き、穂長が20センチメートルほどになる。葉は長さ10センチメートルくらいの楕円形である。
 秋に入り、葉が落ちたあと黄色の実がなり、熟すと裂けて黄色の仮種皮に包まれていた赤い種子が顔をだす。黄色の実と赤い実の対比が美しいことから、生け花の材料として使われることも多い。また、樹皮から繊維をとり、糸撚りなどの材料としても使われる。
 冬の乾燥に強く、育てやすい樹木として知られている。春の新緑から秋の紅葉、そして冬の落葉など、四季折々の変化を気軽に楽しむことができる。
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葛(クズ) Kuzu 

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 マメ科に属する葛(くず)は、秋の七草のひとつで、蔓(つる)性の多年草である。
 成長力が非常にあり、節々から根を出し、地中深く根付く。蔓もまた成長が早く、木を覆い尽くすように伸びるため、中国奥地では緑化のために植えられたこともある。
 大きな葉を持ち、夏に咲く赤紫色の小さい花は甘い香りがするのが特徴である。
 葛きりや葛湯などに使う葛粉は太い根からとれる澱粉から作られる。中でも吉野で採られ何度も晒された吉野葛は葛粉の代名詞となっている。また、風邪に効く漢方薬もまた、葛の根を干したものを原料としている。
 長い蔓は籠などの生活用品に利用され、またその繊維は温かみのある葛布として生まれ変わるなど、日本では生活に役立つ植物として親しまれている。 
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2007/12/3


おぎおんさあ・かごしま夏祭り Ogionsaa Kagoshima-natsu-matsuri 

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 おぎおんさあ・かごしま夏祭りは鹿児島の夏の風物詩として有名な、鹿児島市天文館地区を中心に繰り広げられる壮大な夏祭りである。
 おぎおんさあ(祇園祭)の由来は平安時代、貞観一一(869)年に日本全国に疫病が蔓延したときに遡る。時の朝廷は疫病の原因は八坂神社の御祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであると、その霊を鎮める御霊会(ごりょうえ)を全国で行った。これが祇園祭の始まりといわれている。江戸時代に入ると庶民の祭りとして定着していった。
 祭りは市を上げて行われ、八坂神社のご神幸行列や夏祭大ハンヤ等など色々なイベントが開かれている。
 近年は三味線、太鼓などによる祇園ばやしも復活し、多くの人で賑わいをみせている。
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2007/10/5


薬師谷渓谷 Yakushidani-keikoku 

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 薬師谷渓谷(やくしだにけいこく)は愛媛県宇和島の市街地から7キロぐらいのところに位置する。
 渓谷には谷に沿って900メートルほどのウッドデッキの遊歩道が設けられ、自然に富んだ景観を身近に堪能することができる。
 遊歩道を進んでいくと、岩戸の滝、磨かれた岩盤が続く千畳敷、積年の水の流れによって造りだされた大ひょうたん、小ひょうたん、流れる水滴が刻々と変化する様子が楽しめる雪輪の滝、橋の上から見下ろせる萬代(よろずよ)の滝など、様々な風景を見ることができ、森林浴と一緒に楽しめる。また、付近にはクロマツやアカマツ、ヤマビワ、ミミズバイなどの常緑広葉樹、カギカズラ、テイカカズラなどの蔓生植物も生息している。
 薬師谷渓谷には訪れる者を魅了する、自然が作り出した多くの芸術品がある。
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2007/6/29


チセ Chise Chise

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 チセとは、アイヌ語で「家」に相当する言葉で、アイヌの人々の集落であるコタンに見られた、人々が日常暮らす家の事である。
 住む地域や環境によって素材が変わり、笹・草・萱・葦・樹皮などを壁や屋根に使用し、葡萄の蔓や樹皮などで固定していた。
 外観は寄せ棟造りで、支柱などは栗・桂・イヌエンジュなどを使用し、土台を置かずに地面に直接埋められる。
 チセには、入口から一番奥の、儀式等に使われる神窓、右側の奥の採光用窓、一番手前の炊事等に使用する窓、の3つの窓がある。
 建てられる際に向きが決められていて、チセの中心から神窓が東に向いていたり、西に向いていたりした。そのため、コタン単位でチセの建っている向きは同じ方向となっている。
 チセは居住性が高く暖かい、小さなもので10坪、大きなものは30坪ほどのアイヌの家である。
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2007/4/9


島田人形浄瑠璃芝居 Shimata-Ningyo-Joururi-shibai 

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 島田人形浄瑠璃芝居は山口県光市島田地方に伝わる人形浄瑠璃芝居である。
 室町時代、島田川河口の島田庄で疫病が蔓延した際、病気の平癒を祈願して胡瓜に着物を着せ、人形に見立てて浄瑠璃を行った事が起源と伝えられる。
 江戸時代には本頭と称される人形遣いと浄瑠璃の世襲制が作られ、氏子の支援などにより継承が行われた。
 戦後、継承者が危ぶまれたが、保存会が設立され、現在は広く技術の継承を行っている。昭和四十二(1967)年には山口県の無形文化財にも指定された。
 毎年8月4、5日松浦神社で奉納上演が行われる他、講演会などでその演目を披露している。
 地方職豊かな郷土芸能として、長く継承していきたい芝居である。
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2007/2/15


墨坂神社 Sumisaka-jinjya Sumisaka Shrine

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 墨坂神社は奈良県宇陀市榛原区、宇陀川沿いに位置する神社である。
 元は墨坂の天の森、西峠に位置していたが、文安六(1499)年に現在の地に遷座された。
 明治時代までは天野寺が神仏混合で祀られており、六社権現、天野宮とも称された。
 祭神は墨坂大神であり、この神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の六柱を総称したものである。
 伝承によれば崇神天皇の御世、疫病が蔓延した時、夢枕に現れた神を祀るとたちまちに平癒したとされ、これが墨坂大神と言われる。
 毎年11月には「墨坂渡御行列」が行なわれ、本社から旧社の天の森のお旅所まで神輿に赤楯、赤太刀を担いで練り歩く。
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