NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/1


大峰城 Oomine-jou 

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 素晴らしい眺望で有名な、標高八二二mの大峰山(おおみねさん)。その山頂に、西の本城葛山城と旭山城、東の髻山城(もとどりやまじょう)と共に、長野市の善光寺を見下ろす形で大峰城(おおみねじょう)が築かれた。
 詳しいことは定かではないが、文明年間(1469~1486年)初期に上杉氏によって築かれたとされている。天文二二(1553)年からの一二年という歳月に、五度に及んだ川中島合戦では大峰城をはじめ、葛山城、旭山城といった山城を巡っての争奪戦が行われたという。
 城は尾根を利用して築かれ、雑木林の中に厚みのある土塁や深い堀切が残っており、保存状態も良好で見応えがある。
 市内が一望できる頂上までは車でも登れるが、気軽なハイキングも楽しめる。現在では観光用に模擬天守も建てられている。
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2008/2/29


矢川緑地 Yagawa-ryokuchi 

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 昭和五二(1977)年に東京都の緑地保全地域の指定を受けた「矢川緑地(やがわりょくち)」は、南部線・矢川駅から西へ進んだところに位置する。広さは約2・1ヘクタールあり、流路の所々に湧水が見られ、湿地帯が広がっている。
 矢川は、立川段丘崖下からの湧き水を源とし、途中甲州街道を横断して、青柳段丘崖先で府中用水の支流と合流する、長さ約1・5キロメートルの小川である。矢川という名前の由来は、流れが早いため、まるで弓から離れた矢のような川の流れであることから、その名がついたといわれている。
 緑地の半分は矢川の水をひいた湿原、もう半分は水辺を好むヤナギが目立つ雑木林になっている。貴重な湿地性の草本類が多く見られ、ミクリなどの貴重な制裁植物を見ることができる。
 植物や鳥などの生育環境が整い、湿地の上に整備された木道を進みながら散策することができる。
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2007/1/29


両子寺 Futago-ji Futago-ji Temple

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 大分県、国東半島の最高峰、両子山の中腹にあり、六郷満山の総持院として栄えた名刹。
 養老二(718)年に宇佐八幡神の化身といわれる仁聞菩薩が開いたとされ、由来は祭神である宇佐八幡神の子である両子大権現から来ている。
 平安の昔から神仏習合の独特の寺院と信仰が形成され、往時には国東半島一帯に多くの寺院を擁した六郷満山仏教文化圏が開かれた。
 境内には大講堂、奥の院などの建物や、百体観音、仁王像、苔むした石段などが往時をしのばせる。
 瀬戸内海の国立公園、大分県史跡に編入され「全国森林浴の森百選」の指定を受けており、四季折々大勢の参拝客で賑わう。
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2007/1/23


老谷の大ツバキ Oidani-no-ohtsubaki The Giant Camellia Tree of Oidani

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 富山県老谷の「大ツバキ」は老谷の奥深く、山峡の開けた高台の雑木林の中に立つ巨木。幹回りは最大3.87メートルもあり、単独樹幹では日本でも屈指の巨木だと言われている。
 枝張りは、東西に7.9メートル、南北に11.0メートルの広がりを持ち、その面積は約51平方メートルにもおよぶ。天空に向かって縦横に伸びる枝ぶりはきわめて神秘的で、枝と枝が絡み合うかのように接合・癒着している様はまるで木の精が宿っているかのように荘厳だ。
 このような枝ぶりになったことについて古くからの言い伝えが残る。その昔、池田城に仕えた武士が無実の罪で打ち首になった。その妻は悲しみのあまり死んでしまったが、墓標の代わりに植えられたツバキが不思議なほど成育がよく、池田城主を恨むかのように枝を固く交差させた。やがて池田城は落城したが、これと前後してツバキの成長は遅くなった、というものである。
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