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2008/7/11


紺絲威鎧 Konitoodoshi-yoroi 

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 紺絲威鎧(こんいとおどしよろい)は、愛媛県今治市大三島町宮浦の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に伝わる防具である。国宝に指定されている。
 大山祇神社は、推古天皇二(594)年に創祠されたと伝わる、日本総鎮守ともされる古社である。祭神は大山積神(おおやまつみのかみ)。国宝8件、国の重要文化財75件を所有する日本有数の神社である。
 源平合戦で、屋島合戦に軍船130隻を率いて源義経軍に加わり、後には奥州藤原氏の討伐にも参加した三島水軍の総帥である河野通信(こうのみちのぶ)所用と伝わっている。
 見目が大変美しく、現在は源平合戦時代の鎧の代表作であるとされている。
 紺絲威鎧は、屋島・壇ノ浦の合戦の戦勝のお礼に奉納したと伝わる貴重な鎧である。
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2008/1/8


奥州 善光寺 Oushuu Zenkou-ji Oshu Zenkoji Temple

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 奥州善光寺(おうしゅうぜんこうじ)は宮城県栗原市の愛宕山公園内にあり、信州・甲州・奥州の日本三善光寺のひとつである。
 平安時代末期、奥州藤原氏ニ代当主の藤原基衡(ふじわらのもとひら)が父清衡の菩薩を弔うために創建したとされており。本尊には信州善光寺の分身像である善光寺如来が奉ってある。
 また、その当時植えられたといわれる推定樹齢八〇〇年以上という枝垂れ桜の巨木があり、毎年四月中旬には、奥州善光寺の庭園は「愛宕山(あたごやま)の桜」と称され、桜の名所となっている。この時期に併せて善光寺如来大祭も開催され、桜の花びらが舞う中沢山の観光客で賑わう。
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2007/9/28


東山和紙 Touzan-washi Tozan Washi Paper

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 東山和紙(とうざんわし)は、岩手県一関市東山(ひがしやま)町に伝わる伝統工芸品である。
 起源については諸説があるが、平安末期の文治五(1189)年、鎌倉勢に滅ぼされた奥州平泉藤原氏の落人が、東山町一帯に土着して農耕の傍ら、生活用品として作り始めたといわれている。
 一関市には紙生里(かみあがり)という地区があり、地名から東山和紙発祥地と考えられている。
 地元で栽培したコウゾやミツマタを原料とし、独特な技法を忠実に受け継ぎ、紙質の良い素朴な和紙を漉いており、障子紙や書道用紙だけでなく、名刺や賞状の用紙としても利用されている。
 特色は、コウゾ色をした自然の色と繊細優美、素朴で丈夫な紙質とされる。
 東山和紙は、平泉・藤原文化遺産の一つとして長い間受け継がれてきた、伝統の和紙である。
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2007/9/6


熊野神社(旧新宮社) Kumano-jinja(kyuu-shinguu-sha) Kumano Shrine (Old Shungusha Shrine)in Natori

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 熊野神社(くまのじんじゃ)は、宮城県名取市高舘熊野堂にある神社である。祭神は、速玉男大神、伊邪那伎大神、事解男大神。
 保安四(1123)年、熊野から勧請したと伝えられる新宮・本宮・那智社のうちの一つ・新宮社であり、この旧名から、旧新宮社(きゅうしんぐうしゃ)とも呼ばれている。
 一帯は、中世には東北地方の熊野信仰の中心的存在とされた地である。源頼朝が平泉を滅ばした時、敗れた奥州藤原氏側について捕われた、名取熊野三社の別当寺的存在にあたるとされる。
 本殿には、貞亨年間(1684~1687)に書かれたと見られる「古絵図」があり、県指定文化財になっている。
 春には無形民俗文化財の熊野堂神楽と熊野堂舞楽が、秋には神楽が行われる。
 熊野神社は、池に浮かぶ神楽殿での舞も麗しい古社である。
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2007/5/14


竹駒神社 Takekoma-jinjya 

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 宮城県岩沼市にある「竹駒神社」。創建は古く、平安時代の初めの承和九(842)年、小倉百人一首にその名のある小野篁(おののたかむら)が陸奥守としてこの地に赴いた際、奥州鎮護を祈願して伏見稲荷を勧請して創建。後に平泉藤原三代や、伊達家歴代の手厚い庇護を受けた。
 朱塗りの一ノ鳥居をくぐり、社殿に向かって参道を進むと、どっしりと構えた随身門(桜門)が見えてくる。文化九(1812)年に建築されたこの門は彫刻や意匠に優れ、江戸後期の秀作である。仙台藩五代藩主伊達吉村によって造営された社殿は、1990年の火災で焼失し、4年後に現在の社殿が再建されている。更に進むと唐門に至る。天保一三(1842)年に建築されたもので、随身門と同じく、総けやき造り、銅板葺の屋根であるが、こちらは、そり曲がった曲線状の破風を取り入れた重厚な唐破風造りとなっている。
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栗原寺跡 Kurihara-ji-ato 

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 宮城県栗原市にある栗原寺は、長く幻の寺とされていたが、近年の発掘で、寺の一角に跡が発見され、現在その寺は栗原寺と改称されている。
 「義経記」によると、金売り吉次に伴われ平泉に向かっていた少年の義経は、栗原寺に泊ってから平泉に入り、藤原秀衡に匿われ養育された。また、平氏追討で偉功をたてた義経が、兄の頼朝に追われ二度目の平泉入りをした時も、やはりこの栗原寺に泊まり、秀衡(ひでひら)に面会している。
 鎌倉幕府の正史ともいうべき「吾妻鏡」には、秀衡の子・泰衡(やすひら)の遺臣・大河次郎兼任が、羽後から一迫に討って出て、鎌倉方の武将達と清水田で戦って敗れ、栗原寺に逃げ隠れたとされる。まさに、奥州藤原氏の歴史の一端が眠る場所である。
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2007/5/7


高蔵寺阿弥陀堂 Kouzou-Ji Amidadou 

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 高蔵寺は、宮城県角田市高倉にある高野山真言宗の寺である。本尊は、薬師如来。
 高蔵寺阿弥陀堂は、治承元(1177)年に藤原秀衡の妻などによって建立されたと伝えられる宮城県最古の木造建築物である。
 平安時代の阿弥陀堂で現存しているのは全国に7箇所しかなく、国指定重要文化財となっている。
 阿弥陀堂の本尊阿弥陀如来坐像は、像高2.7mで、こちらも国指定の重要文化財である。
 阿弥陀堂の風格、様相は平泉建築の流れを組んだものであり、奥州藤原文化が東北一円に広がっていたことを示している。
 方3間、低い廻縁をめぐらした宝形造、茅葺の木造で、巨大な円柱に単純な舟肘木をのせる一軒の簡潔な架構になっており、装飾を加えない単純素朴な姿である。
 高蔵寺阿弥陀堂は、800年の歴史を誇る堂宇である。
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鹽竈神社 Shiogama-Jinja 

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 鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、宮城県塩竃市一森山(いちもりやま)にある東北鎮護・陸奥国一之宮の神社で、多賀城の東北に位置する。祭神は、塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主神(ふつぬしのかみ)。塩土老翁神は、潮(しお)と塩(しお)、潮流を司り、製塩の神である。この地の人々に製塩を教えたことに始まると伝説にある
 全国にある塩竈神社(塩釜神社)の総本社である。
 仁和四(888)年以後は天皇の代替わりごとに神宝を奉献した大神宝使の対象社として選定され、奥州藤原氏・伊達氏など歴代領主からも崇敬された。
 境内には、塩竈桜(シオガマザクラ)という珍しい八重桜がある。眺望のよい海に面しており、花菖蒲、宮城野萩なども美しい。 今も昔も「しおがまさま」と呼ばれこの地の人々に親しまれている。
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