NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/8


壬生寺 Mibu-dera 

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 京都府京都市中京区にある寺。
 奈良時代の創建と伝えられ、正暦二(991)年、大津にある三井寺(園城寺)の僧・快賢が再興して「小三井寺」と呼ばれた古刹である。中世には円覚上人が寺を再興し壬生狂言(壬生大念仏狂言)を興した。壬生寺は京都三大狂言の一つである壬生狂言を伝える寺として、今も京の庶民に親しまれている。また幕末には、新撰組がこの寺を「兵法鍛錬場」として使用したことから、新撰組のゆかりの寺としても有名である。境内の壬生塚には、近藤勇の銅像や隊士の供養搭などが残っている。
 壬生狂言が演じられる「大念佛堂」、秘仏である辧財天が祀られている「弁天堂」をはじめ、五仏錫杖頭(ごぶつしゃくじょうとう)(重要文化財)や列仙図屏風(れっせんずびょうぶ)(長谷川等伯筆・重要文化財)などや、室町時代の作を含む190点もの狂言の面を今に伝えている。
 今も、壬生の地の人々の中にある寺である。
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2007/11/29


日州透かし象嵌 Nissyu-sukashi-zougan Nisshu-Sukashi Zogan

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 日州透かし象嵌(にっしゅうすかしぞうがん)は、寛永九(1632)年、熊本藩藩主、細川忠利に召抱えられた林又七が、鉄砲や刀の鐔(つば)に象嵌を施した「肥後象嵌」の流れをくむ。
 鐔とは刀剣の柄と刀身との境に挟んで、柄を握る手を防御するものであり、象嵌とは地の素材を彫って、その部分に他の材料をはめこむ技法のことである。
 造りは鍛錬された鉄地に0.3ミリほどの細かい透かし彫りをし、埋め込んだ金が取れないように緻密な彫込をほどこす。人間の手作業としては限界に近い作業である。出来上がった象嵌は華麗な文様と無類の美しさで見る人を魅了する。
 現代でも日州透かし象嵌はこの地方で製作されているが、その作業の困難さから年に数枚しか作ることが出来ない貴重な工芸品である。
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2007/11/20


居合道(抜刀術) Iai-dou(Battoujutsu) 

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 居合道(いあいどう)は、日本刀を用いた抜刀術(ばっとうじゅつ)で、抜刀から納刀までの一連の動作を中心とした、武道の事である。
 居合の起源は、戦国時代の永禄四(1561)年頃、出羽の国林崎村に生まれた林崎甚助重信(はやしざきじんすけしげのぶ)が、仇討ちのために修行した剣術を、後に流儀として伝えたのがはじまりであると言われている。
 居合とは立会いに対する言葉で、敵の不意の攻撃に対して一瞬をおかず抜刀し敵に勝つ、鞘放れの一刀で勝負をきめる剣技である。
 居合は座った状態からの抜刀術であるが、ただ抜刀術と言った場合、立会いからのものも含む。
 居合道は武道であり、技能の向上のみならず、人格の修練など、各自による精神・肉体鍛錬までを含めた意味を持つ。
 居合道は、世界でも希有な、日本特有の座状の武術・武道である。
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2007/10/12


沈金 Chinkin Chinkin (Gold-inlay Carving)

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 沈金(ちんきん)は、漆芸の装飾技法で、漆の塗面に沈金刀と呼ばれる特殊な刀で紋様を彫り、漆を摺りこんだ後、金箔や金粉などを窪みに埋めるもの。日本には室町時代に伝わったと言われ、石川県輪島市に伝わる伝統工芸だ。
 沈金の重要無形文化財保持者(人間国宝)である前史雄氏(1940〜)は、昭和38年金沢美術工芸大学美術学科卒業後、沈金の名工と謳われた父・前得二に師事、技の鍛錬に努めた。
 沈金ノミについて研究を深め、自身でノミのかたちまで考え、各種沈金技術を駆使した作品を生み出す。卓越した沈金技術で描く繊細で情感豊かな表現が独自の作風をつくりだしている。
 後進の指導にも尽力しており、石川県立輪島漆芸技術研修所などにおける漆芸の技術教育に貢献している。
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2007/8/1


小斎 奉射祭 Kosai Yabusame 

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 小斎の奉射祭(こさいのやぶさめ)とは、宮城県伊具郡丸森町小斎にある小斎鹿島神社(こさいかしまじんじゃ)にて旧正月1月15日に行われる神事である。
 寛永二〇(1643)年、小斎佐藤家四代領主・清信が奉射祭を行ったのが始まりとされる。
 小斎鹿島神社のやぶさめは、馬に乗って矢を放つ流鏑馬(やぶさめ)とは違い、立ったまま射るやぶさめであり、一年の天候を占い、五穀豊穣・地区の安全を祈願し、武術の練磨及び精神鍛錬の目的もある祭りとされる。
 前日の水垢離、祭礼当日の再度の水垢離の後、目隠しをした神官が矢を射て今年の天候を占う御神的神事が行われ、10人の射手による大的射礼、かりがねの的射礼と続く。
 小斎の奉射祭は、古より続く厳かな神事である。
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2007/7/25


大場松魚(人間国宝) Ooba Shougyo 

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 大場松魚(おおばしょうぎょ)は、蒔絵の技術である平文(ひょうもん)を得意とする蒔絵作家である。
 大正五(1916)年3月15日、石川県金沢市に生まれ、祖父から続く塗師の家で、父について家業の「きゅう漆」を学ぶ。
 昭和一八(1943)年、上京して松田権六に師事。昭和二〇(1945)年以後独立を果たし、金沢で蒔絵作家として活躍する。
 後の昭和五七(1982)年、重要無形文化財「蒔絵」の保持者に認定され、人間国宝となった。
 平文は、漆工芸の加飾法の一種で、金・銀などの薄板を文様に切り、漆面に貼りつけ、更にその上に漆を塗り、金属文様が出るまで文様の上の漆を剥ぎ取ったもの。
 高度な技と鍛錬で、金粉や銀粉をまくだけの従来の蒔絵にはない、美しく強い光を手に入れた。
 近年は、平文を中心に螺鈿や変塗などの技法を駆使した華麗な作風で慈愛を表現している。
 大場松魚は平文と呼ばれる加飾技術で、優雅な和の世界を表現し続ける。
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刀剣研磨 Touken-kenma 

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 刀剣研磨(とうけんけんま)は、通常の刃物研磨とは一線を画するものである。
 通常の刃物研磨は、切れ味が悪くなったものを研ぎ直すことを一番の目的としているが、刀剣研磨においては、刃を付け斬れるようにしたり、より切れ味を増すことも前提としてあるが、さらにそこから様々な作業を行い、刀身の地鉄や刃文の美しさが際立つように砥ぎ、最終的には刀工の個性を最大限にまで引き出すことを大きな目的としている。
 その歴史は古く定かではないが、平安時代の書物からは研磨に関する記述が発見されており、鎌倉時代にも研師の名前が記録されるなど、この頃にはすでに研磨という分野の重要さが、ある程度確立されていたと考えられている。
 現代では美の観点から嗜まれる日本刀だが、その美をとことんまで追求、高度な手法を駆使して、刀工の作風や鍛錬法に基づく微妙な地鉄の特質を引き出し、その魅力を余すことなく表現する術は、もはや芸術の域にあるといっても過言ではないだろう。
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2007/4/13


加賀竿 Kaga-zao Kaga Fishing Rod

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 石川県加賀市には、「加賀竿」という伝統工芸品がある。江戸時代から技術を伝承してきた高級釣竿だ。
 江戸時代、浅野川の清流では、武士に対し、「釣り」を「健康増進」を目的として奨励していた。鮎釣りは武士にのみ許された特権であり、その竿さばきは剣術にも通じるところがあるなど、隠れた武芸の鍛錬の場でもあった。
 鮎釣りには堅牢な釣り竿が求められ、元禄の頃から竿師が登場するようになったという。やがて漆塗りや加飾が施されるようになり、現在の加賀竿の原型が形成された。
 加賀竿は2年生の竹を高熱加工して強靭さを加え、漆を数回から十数回に渡り塗り重ねる。質実剛健を旨とするため、華美な装飾を避け、黒呂色(くろろいろ)を基調とする。
 しなやかで腰の強い竹の加賀竿は本物志向の人々の支持を集め、最高級の釣竿として今も根強い人気を持つ。
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