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2008/10/23


帆布竹刀袋 Hanpu-shinai-fukuro 

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 この帆布竹刀袋は、国産の8号帆布と天然皮革で創ったフリーサイズの2本入竹刀袋である。
 帆布は厚手の綿織物で、帆船の帆やテントなど、様々な用途で使用されている。張りがあり丈夫で、天然素材のため、風を良く通し中の物が蒸れない。
 使っているうちに柔らかくなり、馴染むと味が出てくるのが特徴で、時間が経つに連れて新品の時とは違った風合いになる。
 32や34など短い竹刀の場合、上部を折り曲げて固定する、小学生から大人まで使える竹刀袋で、素早く開閉できるマジックテープ式は便利であり、ファスナーをスッと開ければ誰でもスムーズに竹刀を取り出せる。
 鍔・鍔止めは上部ポケットに収納されており、背負い紐は長さを無段階調節できる。木刀の持ち運びにも便利な革ベルトと足元ポケット付。
 帆布竹刀袋は、丈夫で使うほどに味の出る、便利な竹刀袋である。
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2008/10/22


室町彫刻 muromachi-choukoku 

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 室町彫刻とは、室町時代(1392~1573)に彫られた、主に仏像・肖像彫刻のことである。
 南北朝・室町を通じて木彫が主流で、偶像を必要としない禅宗が盛んになった事もあり、仏像製作において著しい発達を見た鎌倉時代に比べ、多くの仏師たちは職業仏師に徹し、従来の形式を追うのみで新しい様式を生み出すことがなかったとされる。
 しかし禅宗寺院では仏像はなくとも祖師や開山の像がまつられており、これら肖像彫刻は、個性的な写実表現と禅宗的人格表現を基調とした新しい感覚のものであった。
 また実際には、戦火に見舞われながら仏像が造られ続ける中で、合理性が追求された箱型寄木造りが採用されたり、接着用の膠(にかわ)が多用されたりするなど技法上の改革もあった。
 一方、観阿弥、世阿弥によって大成された能から、仮面彫刻としての能面が生まれている。
 室町彫刻は、仏像彫刻に代わり肖像彫刻が主流となっていった時代の彫刻である。
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2008/10/1


さつま焼 Satsuma-yaki 

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 さつま焼は、鹿児島県に古くから伝わり、四百年の歴史を持つ伝統工芸品である。
 起こりは江戸時代に遡る。元禄・慶長の役の頃、当時の薩摩藩主・島津義弘が朝鮮から陶工を薩摩に連れ帰ったのが始まりだ。その陶工たちが研究を重ねて薩摩の土と向き合い生まれたのがさつま焼である。
 最大の特徴は、白土を使ったその白い焼き色。その高貴な風合いは白もんと呼ばれ、藩主のみに使用が許されたという。また、赤、青、緑、金彩で彩色する豪華で繊細な金襴手という高度な手法や、小刀で緻密な透かし彫りを行うのも特徴のひとつ。さつま焼には陶工たちのたゆまぬ努力の証、繊細で優雅な技が尽くされているのだ。
 慶応三(1867)年にはパリ万博に出展、大絶賛される「SATSUMA」の名を世界に轟かせた。平成十四年には経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されている。
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2008/9/29


緞子 Donsu 

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 緞子(どんす)は、日本に伝わる織物のひとつである。
 経糸(たていと)に諸撚本練糸(もろよりほんねりいと)、緯糸(よこいと)に練糸(ねりいと)を用い、昼夜繻子織(ちゅうやしゅすおり)によって織り上げられる織物で、地質が滑らかで光沢があり、地厚で重量感があることが特徴の、中国の宋代に始まった精妙な織物である。
 先染めの緞子は金襴(きんらん)などと共にほぼ鎌倉時代に中国から舶載され、以後南北朝、室町時代を通じて盛んに輸入され、そのうちの幾つかは現在、最高級の織物・名物裂(めいぶつぎれ)と称されて大切に伝えられている。
 日本では天正年間(1573~1592)に、泉州の堺で中国の明の織技法をもとに織り出され、その後、京都の西陣が中心となり、帯地をはじめ小袖、羽織、寝具などに広く用いられた。
 緞子は、光沢が美しく滑らかな、優雅な織物である。
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槍 Yari 

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 槍(やり)とは、相手を叩いたり突き刺すための武器の一種である。長く伸びた棒の先に突き用の刀剣が装着されたもので、歴史の古い武器である。
 主に、柄と槍頭の二つの部品で構成される。柄は主に木製で、長さは数cmから長い物では5m以上に及ぶ。槍頭は硬質の刃状で、石製の物から金属製の物まで時代によって異なる。
 獣に対する狩の手段として、鋭い牙や爪、突進力を有する動物に槍の持つリーチは有効であった。また、対人の戦闘・戦争においても、剣や棍棒を持った相手のリーチ外から攻撃する、馬上の相手を攻撃する、盾越しに攻撃するなど、用途は多岐に渡る。
 その長さ故に狭い場所での取り回しが欠点となるが、集団戦では味方同士で連携する事により補えるため、洋の東西を問わずして戦場における主兵装として活躍した。
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2008/9/26


真壁石灯篭 Makabe-ishidourou 

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 真壁石灯籠(まかべいしどうろう)は、茨城県真壁地方の筑波、加波、足尾の三山から取れる良質の花崗岩である「真壁石」を用いて製作された灯篭である。
 同地方では古来より花崗岩の持つ硬く、丈夫で美しい特性を利用して生活用具を加工していた。室町時代には仏石作りで名を馳せ、江戸時代に入ると庶民文化の興隆によってその利用範囲も大きく広がっていき、今に続くこととなる。
 真壁石灯籠としては、真壁町内の寺院に文政七(1824)年の銘がある灯篭があり、これが最古のものだといわれている。その造りは精巧かつ優美なもので、柔らかさを持つ彫刻を特徴としている。
 醸し出す重量感は庭に落ち着きを与え、更に年月を重ねるごとに表面は苔むし、よりいっそうの趣と優雅さを纏う。そうした美しさは通人たちに愛され、真壁石の伝統を今に伝えると共に、後人たちによる新しい感覚を加えながら、歴史ある様式美は今も進化していっている。
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塩沢紬 Shiozawatsumugi 

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 塩沢紬(しおざわつむぎ)は、新潟県南魚沼市塩沢に伝わる民芸品であり、国の伝統的工芸品に指定されている。
 この地方の麻布が正倉院に保存されており、奈良時代には既に着物の産地であったことが伺える。この麻織物の技術技法を絹織物にとり入れた織物が塩沢紬で、江戸時代に織り始められた。
 本塩沢と並んで塩沢織物を代表する品であり、国の重要無形文化財に指定されている麻織物「越後上布」の技術を絹織物に応用して誕生した織物とされる。
 材料は、生糸、玉糸、真綿のつむぎ糸で、蚊絣と呼ばれる十字絣や亀甲絣により独特の上品さと落ち着きを備える。結城紬に似た風合いを持ち、暖かである。生産反数が非常に少ないため幻の紬とも言われる。
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2008/9/25


堺打刃物 Sakai-Uchihamono 

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 大阪府の堺市に伝わる「堺打(さかいうち)刃物」は、全国的に有名な刃物である。人類の祖先が一番最初に使った道具が刃物だといわれているが、この地では弥生時代中期、既に集落が営まれ、石包丁が使われていた。
 天文一二(1543)年、ポルトガル人により鉄砲やたばこが伝来し、戦国時代には堺は鉄砲の産地として重要な役割を果たした。その後たばこの葉を刻む「たばこ包丁」が堺で作られるようになり、徳川幕府は堺に品質証明の印である「極印」を附して専売を許可し、堺刃物の名は全国各地へと広がった。江戸時代中期には、出刃包丁が出現し、その後刺身包丁、薄刃包丁などが作られるようになった。
 包丁と並んで和鋏(わばさみ)の生産でもよく知られる。髪結い、植木屋、生け花、呉服など、江戸時代には鋏は暮らしの中になくてはならないものだった。中でも、生け花用の鋏は、堺で最初につくられたと言われている。堺の和鋏は、最初から最後までひとりの手で作られ、細部にまで神経が行き届いている。
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