NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/4/25


安井金比羅宮 Yasui-konpiraguu 

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 「安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)」は、京都府京都市東山区にある寺。
 668年、天智天皇の御代として、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建したのが始まりと言われる。
 「安井の金比羅さん」の名で親しまれ、「悪い縁を切り・良縁を結ぶ」のご利益で知られている神社境内には、「縁切り・縁結び碑」と呼ばれる石があり、お札に願い事を書き入れ石に貼ると、願いが叶うといわれている。他に「海上安全」「交通安全」のご利益でも知られている。
 また「金比羅絵馬館」があり、日本独特の信仰絵画である絵馬を展示している。
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2007/4/16


広島 吉原家住宅 Hiroshima Yoshiwarakejutaku Yoshihara Family Residence in Hiroshima

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 吉原家住宅は、京都吉原から移ってきた藤原鎌足の子孫である、豪農・吉原家の住宅。平成三年に国の重要文化財に指定されている。
 同家に伝わる祈祷札などから、江戸時代の寛永十二(1635)年の建築とされる。寄棟造、茅葺の農家としては国で最も古い遺構である。
 間取りは六間取りに土間を持つ規模の大きい構成。土間の中央には柱を建てず、二重の梁組みで大きな空間を支えており、当時としては贅を尽くした作りとなっている。
 天にそびえる切妻の茅葺屋根が端正な姿を当時のままとどめ、大変美しい。また、母屋裏側の大きなぬれ縁は日本情緒たっぷりだ。
 吉原家住宅は、日本の家屋の原型であり、やすらぎを与えてくれる日本人の心の原風景である。
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2007/3/6


伝飛鳥板蓋宮跡 Den-asuka-itabuki-no-miya-ato 

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 伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)は奈良県高市郡明日香村から出土した、飛鳥時代の遺構を指す。
 皇極天皇の宮であり、皇極四(645)年、中大兄皇子が中臣鎌足と共に蘇我入鹿を殺害して、大化の改新の場となった土地である。その後、斉明天皇として再び即位した際にも宮としている。
 板蓋宮跡の名が付くが、これは古代から板蓋宮の遺構があるとして付けられたもので、出土したものは飛鳥浄御原宮(あすかきよみはら)の遺構と言われる。板蓋宮は更に下層に埋まっていると言われており、現在も発掘、調査が行なわれている。
 史跡公園として当時の形に広場や井戸を石敷きで復元し、飛鳥の都を今に伝えている。
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2007/2/27


飛鳥寺 Asuka-dera Asukadera Temple

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 飛鳥寺は奈良県高市郡明日香村に位置する、真言宗豊山派の寺院。
 正しくは安居院(あんごいん)であり、飛鳥寺は古称。山号は鳥形山(とりがたやま)。
 日本最古の本格寺院であり、推古四(596)年、蘇我馬子により建立され、隆盛を誇った。平城京の遷都により奈良に移転。元興寺と名前を変えたが、現在の地にも存続し、本元興寺と称された。
 建久七(1196)年に火災により焼失するが、江戸時代に再興され、現在に至る。
 本尊は銅製釈迦如来坐像、通称を飛鳥大仏、推古十四(606)年、鞍作鳥(くらつくりのとり)の作で、日本最古の大仏と言われる。
 大化の改新の前に中大兄皇子と中臣鎌足が最初に出会った地でもあり、歴史に関係が深い古刹である。
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2007/2/15


観音寺 Kan-non-ji Kannon Temple

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 観音寺は奈良県桜井市、音羽山の山中に位置する融通念仏宗の寺院。山号は音羽山。尼寺三十六所第八番。
 白鳳時代に藤原鎌足を妙楽寺に祀った際に、鎌足の子、定慧が鬼門除けとして建立。鎌足の手による梅の木の「手千眼十一面観世音菩薩」を祀ったのが始まりとされる。
 平安時代には上院、下院、諸堂を有し「音羽百坊」と称され大いに栄えた。貞観十八(876)年に音羽流れと言われる大洪水により多くを流出、現在の堂宇が残る。
 本尊は手千眼十一面観世音菩薩、眼病に霊験あらたかであるといわれ「音羽の観音さん」として親しまれる。
 境内には眼病に利くと言われる音羽の滝や、ギンナンにイチョウの葉が付いたお葉つきイチョウがあり、お守りとして伝えられている。
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2007/2/6


浄妙寺 Jyoumyou-ji 

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 浄妙寺は、神奈川県鎌倉市浄明寺にある臨済宗・建長寺派の寺院である。鎌倉五山第五位で、本尊は釈迦如来。
 文治四(1188)年、鎌倉幕府の重臣である足利義兼により建立された。開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)。
 当初は極楽寺という名の真言宗の寺院だったが、義兼の子・義氏の時に臨済宗となり、寺名も浄妙寺に改名した。
 足利氏が栄えた室町時代は23の塔頭を備える大寺院だったが、現在は本堂、客殿、庫裏、収蔵庫からなる造りで、本堂左手には枯山水庭園、茶室喜泉庵がある。境内は国指定史跡となっている。
 裏山には鎌倉の名の由来となった鎌足稲荷神社があり、昔、僧が茶を喫していたという茶室喜泉庵では、枯山水庭園を見ながら抹茶を楽しめる。
 浄妙寺は、風情を感じられる、雅な古刹である。
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2007/1/30


談山神社 Tanzan-jinjya Tanzan Shrine

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 奈良県桜井市にある「談山(たんざん)神社」。大化の改新の中心人物である藤原鎌足を祀る神社だ。 
 飛鳥時代、藤原鎌足の遺骨を摂津国阿威山から改葬し、鎌足の長男が木造十三重塔(重要文化財)を建てたのが発祥という。
 社名は、鎌足が中大兄皇子と蘇我入鹿を暗殺するために談合した「談い山(かたらいやま)」からとったものと言われる。
 多武峰山中には楼門、本殿、権殿をはじめとする朱塗りの美しい社殿が立ち並ぶ。談山神社は紅葉の名所としても知られ、秋には紅葉の中に浮かび上がる塔を見に多くの観光客が訪れる。
 春と秋には、鎌足公が、飛鳥法興寺の蹴鞠(けまり)会において、はじめて中大兄皇子とまみえ、大化の改新の発端となったことに由来する「蹴鞠祭」が行われるという。
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