NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/29


那谷寺 三重塔 Nata-dera Sanjuu-no-tou 

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 石川県小松市のにある那谷寺(なたでら)の三重塔は、江戸時代の寛永一九(1642)年に建立され、高さ約11メートル、桧皮葺(ひわだぶき)、禅宗様を基調とした建物である。
 三層共に軒下が放射状に配される扇垂木(おおぎたるき)になっており、技巧が高く美しい。
 一番下の軒である初層に比べ、二層目の軒が急に小さく、さらに三層目もわずかではあるが小さい。その上に長い相輪が続き、小塔ながらバランスの良い、安定感のある印象だ。 
 平成一九(2007)年の大改修の際に、相輪の土台部分である露盤に、名工宮崎彦九郎吉綱の銘や、建立に携わった工人達の名、露盤の製作経緯などが記されてたことが分かった。
 初層の壁面には、唐獅子の二十の行態や牡丹の細かい浮き彫りが施されており、内部には四天柱(してんばしら)と、胎蔵界の大日如来を安置している。
 昭和一六(1941)年、国の重要文化財に指定されている。
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2008/8/25


妙成寺 五重塔 Myoujou-ji Gojuu-no-tou 

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 妙成寺(みょうじょうじ)は、能登随一の日蓮宗の寺院である。
 前田利家、利常などの寄進により、大伽藍(だいがらん)と称される寺院群が美しく整備されている。
 地形を利用して、東西一直線に少しずつ高く、総門・楼門・五重塔を配してある。このため最高所の五重塔は、空にすっと立ち昇るようなシルエットをみせている。
 五重塔は、元和四(1618)年に建立されている。方三間(ほうさんげん)、栩葺(とちぶき)で、相輪も美しく、装飾も細部まで見事だ。壁の部分に厚い横板を渡す校倉(あぜくら)に似た独特の構造を持っていて、強い海風や地震にも強く、約四百年経った今も欠損がない。大工棟梁は建仁寺流の技を伝える坂上一門といわれており、江戸時代初期の代表的傑作といわれている。
 妙成寺は現在この五重塔も含め、主要建造物十棟が国指定重要文化財、三棟が県指定文化財である。
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2008/8/21


美川のおかえり祭り Mikawa-no-okaerimatsuri 

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 美川のおかえり祭り(みかわのおかえりまつり)は、石川県白山市美川南町の藤冢神社(ふじつかじんじゃ)にて、毎年五月の第3土、日曜日に行われている春祭りである。県の無形民俗文化財に指定されている。
 藤冢神社は旧美川町の産土神として知られている古社で、祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)。
 祭りの起源は不明だが、本吉町奉行所の記録から、文化八(1811)年には行われていた事が確認されている。
 祭りでは、青年団による高らかなラッパを合図に紋付袴の青年団員に担がれた神輿が、蒔絵や漆で意匠を凝らした13台の台車に先導され厄払いを祈願し町内を巡る。
 日曜夜に、10年毎に巡ってくる「おかえり筋」と呼ばれる道を通り、月曜早朝、ラッパ隊と神輿が藤冢神社に戻って来る。
 美川のおかえり祭りは、町内外から多くの人が訪れ、美川の町が祭り一色に染まる伝統行事である。
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2008/7/30


鵜祭 U-matsuri 

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 鵜祭(うまつり)は、石川県羽咋市(はくいし)にある気多大社(けたたいしゃ)にて一二月一六日に行われる神事である。
 厳冬の深夜に鵜をもってして吉凶を占うという珍しい祭りで、平成一二(2000)年二月に国重要無形民俗文化材の指定を受けた。
 毎年一二月一〇日頃、七尾市鵜浦町の鹿渡島で鵜を一羽だけ生け捕りにする。この瞬間から鵜は神として崇められ「鵜様」と呼ばれる。葦で編まれた籠に丁重に納められた鵜様は、三人の鵜捕部(うとりべ)に交代で背負われ、気多大社まで約四〇キロメートルの距離を運ばれる。一行は、路上に出て賽銭をおとし手を合わせる人々に見送られながら、一歩一歩を踏みしめつつ、ゆっくりと大社を目指す。実に三日間の旅路である。
 一二月一六日の午前三時、いよいよ神社で神事が営まれる。二本のロウソクの灯りだけで神職と鵜捕部の問答がおこなわれた後、鵜を神前に向けて放つ。この鵜の跳躍によって翌年の吉凶が占われるという。大役を終えた選ばれし鵜は、その後一ノ宮海岸へ運ばれて、闇の空へと放たれる。 
 
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2008/7/15


揚浜式製塩 Agehamashiki-seien 

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 揚浜式製塩(あげはましきせいえん)は、石川県珠洲市清水町に伝わる製塩技術である。県の無形民俗文化財に指定されている。
 能登における製塩は、江戸時代に加賀藩が藩の産業として塩づくりを奨励したため、近世に独自の発展を遂げた。
 近代になり国の専売制が実施されると衰退の途を辿ったが、珠洲市では製塩の保存会が結成されたため、今日まで揚浜式製塩の技術が伝えられている。
 塩田整備にはじまり、体力の消耗の激しい潮汲み、潮撒き、沼井作り、室温60度に達する釜屋での夜を徹しての作業など、塩作りに係る一連の作業に伴う技術は全国唯一のものであり、世界最古の製塩技術と言われている。
 骨をおって作り上げるこの作業から、「手塩にかける」という言葉が生まれたと言われている。
 揚浜式製塩は、今もまろやかで甘味のある天然塩を生み出す、貴重な製塩法である。
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2008/6/10


須曽蝦夷穴古墳 Susoezoana-kofun 

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 波穏やかな七尾湾に囲まれた石川県能登島。その能登島の高台にあるのが須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)である。
 古墳に附随する前室から出土した土器や直刀片などから、作られたのは七世紀の中頃、古墳時代末期と見られている。
 一辺が20m弱の四角い墳丘を持ち、そこに二基一対の石積みの横穴式石室様の慕室が設けられている。
 石積みの技法に、付近の海岸から運んだと思われる安山岩板石を用いてドーム型の慕室を作る角三角持送(すみさんかくもちおくり)技法が用いられていることや、石室が二つあることなど、当時の朝鮮半島の高句麗式の古墳に通じる点も多く、全国的に見ても珍しい遺構である。
 また、古墳そのものの建造が少なくなったころにしては、比較的規模が大きいこともその特色として知られている。
 昭和五六(1981)年には、国の史跡にも指定されており、古墳のある高台からの七尾南湾の眺望の良さも特色のひとつと言えるだろう。
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2008/5/14


五色ヶ浜 Goshikiga-hama 

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 日本海に突き出た能登半島の先端付近、いわゆる奥能登の珠洲郡内浦町にあるのが五色ヶ浜だ。
 周辺には悲恋伝説が残る恋路海岸や赤茶色の岩礁が連なる赤碕海岸などもあり、日本海の美しい海岸の続くスポットでもある。
 一日に五回、砂の色が五色に変化するという言い伝えが残っており、それがこの浜の名の由来となっている。
 遠浅になっていることもあって打ち寄せる波は非常に穏やかで、透明度の高い奥能登の海の美しさと相まって、砂浜の白さがいっそう際立っている。
 浜そのものは海水浴場にもなっており、シーズンになれば海水浴客で賑わいを見せる。
 また、シーズンを過ぎても、この静かで美しい海岸は、絶好の夕陽のスポットになる。
 日本海の水平線へと沈み行く、赤く燃える落日は、白い砂浜を一時だけ、赤い絨毯へと変貌させてくれるだろう。
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重蔵神社 Juuzou-jinja 

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 重蔵神社(じゅうぞうじんじゃ)は、石川県輪島市にある輪島港近くの町、河井町に鎮座する神社である。
 その創祀年代は定かではないが、社伝によれば崇神天皇の御代(紀元前97~30)、大彦命(おおびこのみこと)により、神田を寄進されたこともあるとされる古社である。
 平安時代に編纂された延喜式神名帳にも、鳳至比古(ふげしひこ)神社、あるいは辺津比咩(へつひめ)神社として載せられている。
 天平勝宝八(756)年、修験道の僧、泰澄により現在の地に寺院が建立されることとなり、以後、神仏習合のお社として発展していくこととなる。
 十蔵大権現、または重蔵宮とも称され、最盛期には七堂伽藍が立ち並ぶ荘厳な境内であったといわれている。
 本殿は明治四三(1910)年に焼失するも、翌年には原形を元に再建され、国指定重要文化財である社宝の木造菩薩面と共に、悠久の歴史を今に伝えている。
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