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2008/10/22


千尋岬の化石漣痕 chihiromisakino-kasekirenkon 

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 足摺岬の西、高知県土佐清水市の三崎地区には、三崎層群という約2000万年前の地層が分布している。浅い海に、砂岩と泥岩の互層が堆積したものである。
 ここの千尋岬(ちひろみさき)にある砂岩層の表面には、地層が単一方向に傾いている単斜構造の化石漣痕(かせきれんこん)が、200メートルにも及ぶ範囲に広がっている。
 漣痕とは、浅い海底の砂の表面にできた漣(さざなみ)の跡のことをいう。
 波の化石である。
 昭和二八(1953)年、国の天然記念物に指定された。
 そのほか三崎層群の中には、生物の痕跡がみられる生痕化石もあり、このあたりの太古の地面の記憶を今に伝えている。
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2008/9/10


葉山の郷 Hayamano-gou 

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 平成の大合併によって、高岡郡東津野村と葉山村が合併して生まれた津野町は、高知県の中西部に位置し、約九割が山林で占められている町である。
 その津野町に農村体験や宿泊に利用できる葉山村農業体験実習館「葉山の郷(はやまのごう)」がある。ここでは、各種研修に利用出来るほか、農村ならではの環境の中で、こんにゃく作りや蕎麦打ち、陶芸、絵付けなどの体験が出来る。
 葉山の郷の近くを流れる新荘川(しんようがわ)は、絶滅されたとされる日本かわうそが最後に発見されたと伝えられる清流で、かわうその里とも呼ばれている。「かわうそ自然公園」「かわうそ学習館」などの施設が隣接している。 
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2008/7/28


高知 火振り漁 Kouchi Hiburi-ryou 

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 火振り漁(ひぶりりょう)は、高知県四万十市の全長196kmある一級河川・四万十川(しまんとがわ)流域や、全長約125kmの仁淀川などで行われている伝統漁法である。
 火振り漁とは、何艘かの舟が上流側から火を振って鮎を驚かし下の船が張った網に追い込むという伝統的な鮎漁で、昔は大松の灯りで鮎を追っていたという。
 現在は、発電機を川舟に積み照明ランプの明かりと、竹ざおで水面をたたく音で鮎を網に追い込む。川の透明度も高く、仕掛けた網にかかっている魚の姿が船の上から見える。
 仕掛けてから約1時間後に網を引き揚げる。絡ませないように舟を操る船頭と、漁師の手際よさが勝負で、川岸では網を竹竿に掛けて鮎を外す作業を、鮮度が落ちないように川漁師らが黙々とこなす。
 火振り漁は、土佐に伝わる伝統的な鮎漁である。
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2008/4/4


花取り踊り(高知県斗賀野) Hanatori-odori (Kouchi-ken Tokano) Hanatori Odori in Tokano in Kochi Prefecture

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 高知県高岡郡佐川町斗賀野地区では、白倉神社と美都岐神社の二ヶ所で花取り踊り(はなとりおどり)が開催される。
 花取り踊りは中世から伝わる「太刀踊り」の一種。花取城という難攻不落の城の前で、寄手(よせて)は里人を集め、太刀を抜き踊ってみせた。盆踊りかと城の護衛が油断したところを攻め取った、という逸話から生まれている。
 一一月初旬の朝、ワラで作った実物大の馬が境内に据えられ、二人の天狗が長い竹棒を手に立つ。やがて太鼓のリズムに合わせて花傘をかぶり、青い衣装に太刀をもった踊り手が12名ほど並んで鳥居をくぐって現われる。続いて元気なお囃子とともに子供神輿が登場する。
 踊り手はしだいに輪になって境内を踊りはじめる。剣舞のようないでたちで躍動感あふれる踊りだ。その間二人の天狗はその間観客に近づき、からかう。
 踊りはおよそ一時間続き、最後に餅投げをして終了する。
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2008/1/23


土佐凧 Tosa-dako 

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 土佐凧(とさだこ)は手漉き土佐和紙を使用、正方形を45度回し角を立てた特徴的な形をしている。
 力強い墨の線に、魔除けの赤色を基調とした華麗な彩色は雅で、大変に美しい。
 凧は用途別に3種類に分けられ、絵凧と呼ばれる凧には武者や姫だるま、鶴を、定紋凧には家紋を、祝凧には「祝」などの慶祝文字をあしらう。
 凧は古代中国で兵器や宗教的な占いの為に作り出され、平安時代に日本に渡来したと言われており、土佐では、長曽我部氏が戦国時代の四国平定に、空とぶ兵器としてこれを用いた。 それが江戸時代になってからは男児出生を祝う行事となり、また、還暦の祝いに凧揚げをする風習も出来たと言われている。
 現在では香南市香我美町の1軒のみで作られ続けている。
 子どもの遊び道具としてももちろん、装飾用の美術工芸品としても大変に貴重で価値がある工芸品である。
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2007/12/3


種間寺 Tanema-ji 

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 四国霊場第34番札所である種間寺(たねまじ)は、敏達天皇六年、仏師達が航海の安全を祈って薬師如来像を彫刻し、本尾山の頂に安置、その後無事帰国することができたことから始まるとされる。
 境内は広く、昭和四五(1970)年に台風の被害を受けたことから、鉄筋コンクリート製の本堂を再建。本堂の手前には、持仏堂、大師堂、観音堂が建っている。
 種間寺という名は、弘法大師が訪れた際、お堂を整え唐から持ち帰った米、麦、粟、きび、豆の五穀の種を蒔いたことが由来とされている。
 ご本尊は安産の薬師として信仰されており、妊婦は柄杓を持参して祈願し、それを自宅の床の間に飾り、無事安産であれば柄杓を寺に納める、という慣わしが伝わっている。
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高知 清滝寺 Kouchi Kiyotaki-ji 

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 四国霊場第35番札所である清滝寺(きよたきじ)は、行基菩薩がこの地を訪れて薬師如来を刻み、本堂として堂宇を建立、景山密院・釈本寺と名付けたのが始まりとされる。
 その後、弘法大師が弘仁年間(810~824)に修法をおこない、満願の日、金剛杖で突くと清水が湧き出て滝になったため、寺号を改めて霊場にしたといわれる。
 この泉はいまも湧き続け、麓の灌漑に役立てられている。
 厄よけ祈願でも知られ、本堂前にある高さ約15メートルの薬師如来像の中をくぐると御利益を授かるといわれている。
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高知 青龍寺 Kouchi Shouryuu-ji 

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 四国霊場第36番札所である青龍寺(しょうりゅうじ)は、唐の国の青龍寺で修業された弘法大師が、師の恩に報いるため建立されたといわれる。
 寺名の由来は、はるか東の空に向かって独鈷(どっこ)を投げると、裏山の松の木に舞い降りた。そこでこの地にお寺を建て青龍寺と名づけ、山号を独鈷山と呼ぶようになった。
 本尊の波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)は、大師が入唐の折、暴風雨に合い、風波を切って静めたとされる不動明王の像を刻んだとされるもので、現在でも海上安全の祈願をしてから出航する習わしが残されている。
 200段ほどの急な石段を上り詰めると、正面に本堂がある。左手は大師堂、右手には薬師堂と、横一直線に配置される伽藍配置(がらんはいち)という様式が取られており、唐の「青龍寺」と同様の様式が用いられている。
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