NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/5


竹駒神社 秋季大祭 Takekoma-jinja Syuuki-taisai 

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 承和九(842)年に創建され、日本三大稲荷の一つに数えられる古社、竹駒神社では、毎年九月の第四土日の二日間にわたって秋季大祭が開催されている。
 豊穣の秋を迎えての御神恩に感謝を捧げる、竹駒神社が鎮座する宮城県稲荷町を挙げての盛大な祭りだ。
 まず、初日となる土曜日には宵宮祭(よいみやまつり)が行われ、市内商店や氏子崇敬者の方々による献灯祭、ビックリ市、芸能まつりなどが神社外苑で開催、華やかな宴の始まりを告げる。
 そして翌日の日曜日が本祭となる秋季大祭で、朝から竹駒音頭や竹駒林の山車が繰り出され、祭のクライマックス到来を告げる。午後からは本宮・青龍・白弧・朱雀・玄武の小神輿5基と市内の各町内子ども会によるたる神輿三十基が繰り出し、祭りは最高潮を迎える。
 日本人が思い描く純然たる日本の秋祭りが、二日間にわたって繰り広げられる。
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2007/6/1


古川起こし太鼓 Furukawa-okoshidaiko Furukawa Okoshi Daiko

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 気多若宮神社の例祭「古川祭(ふるかわまつり)」は、氏子に御神霊をお迎えする準備をさせる為に、太鼓を叩き起こして回る「起こし太鼓」が有名である。祭りは市街地一帯で繰り広げられ、裸男達が激しくぶつかり合う様子に町は熱気と興奮で包まれる。
 「起こし太鼓の里広場」で出立祭が行われてから、大太鼓にまたがった若者が「ドーン、ドーン」と満身の力を込めて打ち出し、大太鼓を乗せた櫓が数百人の裸男達に担がれて、ゆっくりと進む。大太鼓めがけて突進する付け太鼓の裸男達と、阻もうとする大太鼓の護衛とが激しくぶつかり合う「古川やんちゃ」と呼ばれる男達の攻防は、延々4時間に亘って繰り広げられる。
 太鼓担当は青龍、白虎、朱雀、玄武の四つの組に分けられ、抽選で決められる。
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2007/3/15


草薙神社 Kusanagi-jinjya Kusanagi Shrine

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 草薙神社(くさなぎじんじゃ)は、静岡県静岡市清水区草薙にある神社である。祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)となっている。
 草薙は、日本武尊が東征の際に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、後の草薙の剣。三種の神器)で草を薙ぎ、火打ち石で向火を放って賊の火責めを切り抜けた地であり、後に日本武尊の父の景行天皇が、この地に建てたのが草薙神社と伝えられる。
 神社は日本武尊を祀り、草薙の剣を奉納していたが、朱雀元(686)年、草薙の剣は勅命により熱田神宮に奉祀されたという。
 毎年9月20日には例大祭が開催され、「龍勢煙火」と呼ばれる全国的にも有名な煙の花火を打ち上げて、多くの人々で賑わう。
 龍勢煙火は、狼煙(のろし)が原形と言われており、静岡県の無形民俗文化財に指定されている。
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2007/3/9


平城宮跡 朱雀門(世界遺産) Heijyou-kyuu-ato Suzaku-mon Heijokyu Palace Site, Suzaku-mon Gate (World Heritage Site)

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 平城宮跡・朱雀門は、奈良県奈良市にある世界遺産である。
 平城宮は710年に遷都した奈良の都・平城京の大内裏である。平城京の北端に置かれ、120ヘクタールの敷地を誇っていた。
 平城宮の四方には高さ5メートルの築地塀が巡り、それぞれに3つずつ、合わせて12の門が存在していた。
 朱雀門は、平城宮の入り口である南の正面中央に建立された、高さ24メートルに及ぶ巨大な門である。
 平城宮は、平安京遷都後に放棄されて農地となっていたが、その後大がかりな発掘調査が始められ、平城宮跡が世界に比類のない地下遺構、歴史の宝庫であることが明らかになってきた。
 1998年、朱雀門と東院庭園が復原された。
 朱雀門は、朱の色も鮮やかに、人々を引きつけてやまない、幻想的で壮大な門である。
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2007/2/7


平城宮跡(世界遺産) Heijoukyou-seki Heijyou Palace Site (World Heritage Site)

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 奈良時代、和銅三(710)年から延歴十三(794)年の平安遷都まで日本の首都だった平城京。70年余にわたり日本の政治経済文化の中心として栄え、天平文化が華開いた。
 宮跡は1.1.1キロメートル四方で、東へ300メートルの張り出しがあり、全域が特別史跡として保存。平成十(1998)年には遺跡として日本で初めて世界文化遺産にも登録された。
 平城京は、唐の長安をモデルに建築され、道路を碁盤の目のように整備して大極殿、内裏、朝堂院などが並んでいた。広大な敷地内には復元された朱雀門や東院庭園がある。平城京跡資料館・遺構展示館では、多数の出土品の展示や遺構が発掘されたままの姿で公開されている。
 平城京跡は、華やかな天平文化の名残をのこす、古代ロマンあふれる場所である。
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2007/1/30


若宮大路 Wakamiya-ooji Wakamiya Road

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 若宮大路は、神奈川県鎌倉市小町にある、日本の道100選、及び神奈川の風景20選に選定されている参道である。
 若宮大路は、鎌倉市の由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に通じる参道で、養和二(1182)年、源頼朝が妻・政子の安産祈願のため、京都の朱雀大路を参考に造ったものである。現在は神奈川県道21号横浜鎌倉線の一部となっている。
 途中3つの鳥居があり、由比ヶ浜側から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と言う。
 二の鳥居から三の鳥居までの間は、段葛(だんかずら)と呼ばれる、盛土によって道の中央を一段高くする技法が使われている。遠近法によって実際の距離より長く見えるよう、鶴岡八幡宮側に道幅を狭くしているのである。
 若宮大路は、鎌倉の中心地として今も使われ続ける、鎌倉の住民に愛される道である。
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2007/1/18


ひがし茶屋街 Higashi-chayagai Higashi Teahouse Street

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 金沢の浅野山麓を流れる浅野川別名女川の岸、石畳の道を挟むように紅殻格子のお茶屋が軒を連ねる。それがひがし茶屋街だ。
 文政三(1820)年、加賀藩によって作られた茶屋街である。このとき、にし茶屋街も作られ、明治二(1869)年には主計町茶屋も開かれたが、ひがし茶屋街が最も格式が高く、規模も大きかった。
 かつてこの茶屋街では、日が暮れると旦那衆が、酒をたしなみながら芸事を楽しんだ。一見さんお断りが主流だったが、今では茶屋を改装した喫茶店なども多く、気軽に立ち寄れる。それでも日が暮れると軒下灯に明かりが入り、三味線や太鼓の音が聞こえてくる。茶屋街が艶っぽい表情を見せる時間である。
 五木寛之の「朱雀の墓」の舞台ともなった。平成十三(2001)年に国の重要伝統的建造物保存地区に指定された。
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