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2007/10/31


燕鎚起銅器 Tsubametsuikidouki 

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 燕鎚起銅器(つばめついきどうき)は、新潟県燕市の伝承技術として知られ、金・銀・銅・錫などの素材を鎚(つち)で打ち起こす金属工芸品である。
 江戸時代中期、地元の弥彦山から銅が産出されていた。そこへ仙台から職人がやってきて製造技術を伝えたといわれ、やかん類が生産されていた。これが現在の燕市が鎚起銅器を中心とした、スプーンやフォークなどの食器類、日用品が特産となったはじまりである。
 鎚起銅器は、一枚の銅板から大小さまざまな鎚や鏨(たがね)を用いて形成し、銅器を熱したあとゆっくり冷やす焼鈍(しょうどん)という方法を繰り返し、打ち延ばし・打ち縮めという鍛金の技術を駆使して作品を仕上げていく。
 さらに、表面には彫金で装飾を施し、打出・片方を斜めに彫って線を描く片切彫(かたきりぼり)・彫り上げたくぼみに金・銀・貝など他の材料をはめ込む象嵌(ぞうがん)などの技術が用いられる。
 燕鎚起銅器は、殺菌作用があり熱伝導率が高く、丈夫であるため長年愛用できる逸品である。
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2007/10/4


黒森山 Kuromoriyama Mt. Kuromori

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 黒森山(くろもりやま)は、岩手県盛岡市と紫波町の境界にそびえる標高837mの山である。
 黒森山は岩手県で12も有る名前であるが、中でも一番有名なのが朝島山、鬼ヶ瀬山と並び「大ヶ生三山」のひとつで、南部藩の金鉱の里として屈指のにぎわいをみせていた盛岡の黒森山とされる。
 山頂からは北に岩手山と盛岡市街地、さらに姫神山が見え、東には区界高原の山々から早池峰連峰が見える。西には秋田駒ケ岳から和賀岳などの奥羽山脈の山々、その手前には東根山や南昌山、箱ヶ森などの山々が北上平野を見守ってくれており、間近には朝島山を眺めることができる。
 山頂にはアカマツがあり、周辺には林道を建設しながら伐開後に植えられたカラマツが育っている。
 黒森山は、今は人の訪れることの少ない、静かな山である。
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2007/9/6


盛岡秋まつり Morioka-aki-matsuri Morioka Autumn Festival

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 盛岡秋まつりは、岩手県盛岡市にある盛岡八幡宮で、毎年の九月十四日からの三日間に渡って行われる同宮の例大祭である。十三日には前夜祭も行われている。
 祭りが行われる盛岡八幡宮は、この地を治めた南部家が城下町鎮護のために勧請した、同家の氏神様でもある。
 祭りの興りは宝永六(1709)年、南部藩二十万石の城下町二十三町が完成した折に、各町から一台ずつ山車を出して祝ったのが始まりとされており、この山車行列は今も執り行われ、盛岡市の指定無形文化財にもなっている。
 それら山車の全てが八幡宮からスタートする「八幡下り」や夜に行われる山車大絵巻パレード、八幡宮境内で行われる古式ゆかしい流鏑馬など、三百年間連綿と続く盛岡の秋の風物詩が、三日間にわたって繰り広げられる。
 祭りには欠かせない屋台も参道一杯に立ち並んでおり、南部独特の音頭を取って子供達が練り歩く様をヤキソバを食べながら眺めるのも乙なものである。
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2007/8/17


内田敏郎 Tosirou Utida Toshiro Uchida

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 1925年、東京都台東区生まれ。東京銀器の伝統工芸士。
 古くから独特の光沢と趣で珍重されてきた銀製品。現在、それらの九割が東京でつくられている。
 東京銀器は、絵柄の部分を切り抜き、銅や赤銅などの別の金属をはめ込む切嵌(きりばめ)の他、鍛金、彫金など、江戸時代に培われた技術・技法で、渋い艶と輝きの品々を生み出している。
 1946年より父・宇三郎氏のもとで鍛金技法を、さらに小川友衛氏のところで切嵌技法を修行。現在、鍛金の切嵌作家として活躍。切嵌を得意とする現代の銀師(しろがねし)である。
 1984年、通商産業大臣指定伝統的工芸品「東京銀器」伝統工芸士認定(鍛金部門)。
 1988年、東京都伝統工芸士に認定(東京銀器)。同年、東京都優秀技能者として表彰される。
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2007/8/10


岩手 桜山神社 Iwate sakurayama-jinjya 

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 岩手県盛岡市内丸にある桜山神社。もともとは盛岡城の三の丸にあり、盛岡藩の総鎮守として篤く信仰された神社である。
 創建は江戸時代の寛延二(1749)年。盛岡藩の8代藩主・南部利視が初代藩主の没後百五十年にあたることから盛岡城内の淡路丸に勧請したのがはじまりだ。
 明治維新の際、明治四(1871)年に廃藩置県により盛岡城は廃城。それに伴い、桜山神社も遷座を余儀なくされ、妙泉寺山に場所を移したが、第二次世界大戦後、再建された盛岡城内に戻ってきた。
 現在祀られているのは初代藩主だけでなく、藩祖・光行、2代藩主・利重、11代藩主・利敬の4人。南部藩の守り神として今も盛岡を見守りつづけている。
 神宝の南北朝初期国長作とされる刀は国指定の重要文化財。毎年5月25〜27日には例大祭が行われ、武者行列やさんさ踊りが賑やかに執り行われる。
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2007/7/31


大瓜神楽 Oori-kagura Ori Kagura

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 大瓜神楽(おおりかぐら)は、宮城県黒川郡大衡村大瓜の貴船神社にて行われている神事である。村の文化財に指定されている。
 嘉吉三(1443)年7月、柏木より勧請されたのが貴船神社の創祠とされる。
 明治一〇(1877)年頃、岩手県より南部神楽師を招き、石川喜左衛門他8名が神楽を伝授され、大瓜神楽が発足した。
 大正時代末期に火災に遭い、神楽面以外の道具全てが焼失したが、2年後には地元有志の寄付金により再発足した。
 貴船神社の例祭日は旧暦の9月19日で、子ども神輿と共に大瓜神楽が奉納される。
 神楽は、南部神楽の流れをくみ、神舞物、軍記物、道化者の三種が舞われている。
 大瓜神楽は、地元に密着した、厳かな神事である。
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2007/7/10


岩手 旧後藤家住宅 Iwate Kyuu-gotouk-e-jyuutaku 

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 江戸時代の豪農の住宅をそのままとどめる貴重な遺構、「旧後藤家住宅」。岩手県奥州市前沢区七日町に所在する。
 建立年代は定かではないが、解体工事中に地下掘立柱の穴底から発見された笠塔婆の残骸に、元禄八(1695)年の記録があることから、江戸時代の建造と推測されている。
 旧後藤家住宅は、南部の曲り家式家屋(平面がL字形をし、突出部が広い厩となっている構造)、東北地方における民家の形式を代表する家屋。間取りは、全体の半分を占める土間と、床上に二列の部屋を配した平面からなり、上・下屋から構成されている。土間には、断面多角形の太い上屋柱が林立している。直家、寄棟茅葺の原形をとどめ、盛土や無双窓など、日本の民家の建築史上大変貴重なものである。
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2007/6/20


新羅神社 Sinra-jinja 

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 新羅神社(しんらじんじゃ)は、青森県八戸市長者にある神社である。祭神は、素戔嗚尊、新羅三郎義光。
 延宝六(1678)年、八戸南部二代目藩主直政により、領内の五穀豊饒・万人安穏・無病息災などの祈願所として三社堂・虚空蔵堂と称したのが創祀といわれる。
 文政一〇(1827)年、八代藩主信真により現在の社殿が造営された。本殿は入母屋造りで、向背柱廻りや正面扉などに華麗な彩色模様が施されている。
 明治二(1869)年、社号を三社堂から新羅神社に改めた。
 昭和五一(1976)年、長者山新羅神社と改称する。
 2月には、八戸地方に春を呼ぶ「えんぶり」の奉納舞、8月には八戸三社大祭が開催され、大祭中の8月2日には代々八戸南部藩に伝承されたといわれる加賀美流騎馬打毬が行われる。
 新羅神社は、長者山の名で地域住民から親しまれている社である。
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