NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/6/29


チセ Chise Chise

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 チセとは、アイヌ語で「家」に相当する言葉で、アイヌの人々の集落であるコタンに見られた、人々が日常暮らす家の事である。
 住む地域や環境によって素材が変わり、笹・草・萱・葦・樹皮などを壁や屋根に使用し、葡萄の蔓や樹皮などで固定していた。
 外観は寄せ棟造りで、支柱などは栗・桂・イヌエンジュなどを使用し、土台を置かずに地面に直接埋められる。
 チセには、入口から一番奥の、儀式等に使われる神窓、右側の奥の採光用窓、一番手前の炊事等に使用する窓、の3つの窓がある。
 建てられる際に向きが決められていて、チセの中心から神窓が東に向いていたり、西に向いていたりした。そのため、コタン単位でチセの建っている向きは同じ方向となっている。
 チセは居住性が高く暖かい、小さなもので10坪、大きなものは30坪ほどのアイヌの家である。
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2007/5/22


織物 Orimono 

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 染織ともいい、糸を縦横に一定の規則によって交差させ、隣の糸と空間がないように織る布のことを指す。
 縦糸と横糸を交互に組み合わせた平織り、斜めの線を出すことができ、地厚の織物が作れる綾織り、糸の交差の間隔を隣り合わないように織られ、手触りがよく光沢がある朱子織りの3つを織物の三原組織といい、織物の基礎とされている。
 複数の種類の繊維を使い織ることを混用といい、糸の製造段階で、組み合わせることを混紡、縦横の糸を異なる糸で織ることを交織という。
 重量の単位を目付と呼称し、1目付は、4.3055g/㎡であるが、和装品用の織物では、1反の重量をグラムで表す。
 日本の織物の歴史は古く縄文時代に始まったとされ、魏志倭人伝に、3世紀ごろには蚕から糸を紡いだ絹織物が生産されていた記録が残っている。古事記や日本書紀にも、技術者が渡来して中国大陸の技法を伝えたことが記録されている。
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2007/4/13


七尾和ろうそく Nanao-wa-rousoku Nanao Japanese Candles

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 石川県七尾市の伝統工芸に「七尾和ろうそく」がある。植物のハゼの木から採取する蝋を原料とし、芯に和紙を使った日本古来のろうそくだ。
 起こりは江戸時代。仏教の普及と共に仏壇に使う灯りとして用いられてきた。七尾市は、江戸時代、北前船の寄港地として栄え、七尾和ろうそくは北前船で全国各地へ出荷された。
 芯は和紙を使い、よく攪拌(かくはん)した蝋を芯に手で塗り重ねて太くしていく。完成した蝋燭は断面が年輪状になる。絶えず芯から空気が供給されるため、火が大きく風に強い。常に炎のかたちが変化し、油煙が少ないのが特徴だ。
 現代では仏壇で使うだけでなく、お祝い事や記念日などの特別な日の照明として、またリラクゼーション効果のために部屋で灯すなど、若者にも人気だ。
 ゆらゆらと揺れる幻想的な炎が、くつろぎの時間を演出してくれる。
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2007/4/4


讃岐かがり手まり Sanuki-kagaritemari 

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 香川県の観音寺地方で作られている手まり。県の伝統工芸品に指定されている。
 手まりの歴史は、平安時代に中国から伝えられたのが始まりといわれる。香川県観音寺地方では、江戸時代に伝えられ、作られるようになった。、もみがらを和紙で包んで芯を作り、木綿の糸を何重にも巻きつけ、表面に刺繍などの柄を施す。
 讃岐かがり手まりは今現在でも、昔ながらの技法を用い、手作りで作られている。特に、草木染の糸を使った刺繍の鮮やかな色合いと、幾何学的な柄模様がどこか懐かしさがあり人気である。
 保存会の女性たちが、その技法を受け継いでいる。
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2007/3/29


盛岡市 舟ッコ流し Morioka-shi Funekko-nagashi 

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 盛岡市の舟ッコ流しは、北上川の明治橋付近で行なわれる、送り盆の行事である。
 毎年8月中旬のお盆に行なわれ、提灯やお供え物、花などを積んだ、「舟ッコ」と言われる大きな船を北上川に浮かべ、火をかけて流す伝統行事。
 享保年間(1716〜36)に盛岡藩五代藩主、行信の娘、塩子が水灯の法要を行なった事が始まりとされ、その後北上川で水死した遊女たちを慰めるために供養したのが現在の行事となったと伝わる。
 町内会などの単位で舟が作られ、祖先の霊を送るために戒名を書いた紙が載せられて流される。
 舟が焼かれ、川面に沈むたびに明かりが消える様は荘厳で、盛岡に夏の終わりを告げる行事として知られている。
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2007/3/26


お神輿 O-mikoshi Omikoshi / Mikoshi (portable miniature Shinto shrines)

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 日本の神社の祭の際に、神霊が御旅所など、渡御するに当たって一時的に鎮まるとされる輿。輿であるから通常は担ぎ上げて移動するものを指しすが、それを台車に乗せて曳くものなど、別形態のものを指すこともある。
 形状は、小ぶりな神殿をかたどったものが多く、他に、神木、人の性器をかたどったもの、人形を置いたものなどもあり、大きさの単位は、ふつう台輪とよばれる部位の幅で測られる。重さは普通の神輿でも大体1トンぐらい、大きな神輿は約2トンもしくはそれ以上のものもある。
 狩猟と採集による移住を繰り返した時代に行われた収穫祭の祭壇が起源で、農耕が始まり人々が定住するようになると、神に対しても居所としての神社が誕生した。そして神の乗り物として神輿が継承され現在のような形になった。
 神輿が全国的に普及したのは平安時代ごろとされ、それは御霊信仰の普及に伴うものであった。
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2007/3/5


明星院 Myoujyou-in 

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 藩主五島家代々の祈願寺で、寺伝によると弘法大師空海が大同元(806) 年唐からの帰り道にこの寺に立寄り、唐で修めた密教が国家や民衆のために役立つよう祈願された。翌朝、東の空に輝く明けの明星を瑞兆(良いことがある前触れ)と思い、明星院と名付けたという。
 安置された本尊は虚空蔵菩薩。各天井には、五島藩絵師大坪永章の筆になる121枚の花鳥画が極彩色に描かれている。護摩堂には、国指定重要文化財の銅造(薬師)如来立像(飛鳥〜奈良時代初期作)、県指定有形文化財の木造阿弥陀如来立像(平安時代後期作)が安置されている。
 現在の本堂は、安永7(1778)年28代盛運公が火災で焼失していた本堂を再建したもので、檜の芯柱20本を使用してあり、五島最古の木造建築物となっている。
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2007/1/31


豊橋筆 Toyohashi-fude Toyohashi Brushes

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 豊橋筆は、江戸時代後期、現在の愛知県豊橋市の地域を支配していた吉田藩主が、京都から筆作りの職人を呼び寄せ、下流武士に副業として筆作りを指示したことが始まりとされている。
 明治初年には、芯巻筆(しんまきふで)を改良し、現在の筆と同じ作りとなる水筆製法で筆が作られるようになり、それが豊橋筆の基礎となった。
 筆の生産量では全国第2位、書道家向けの高級筆では第1位といわれる。
 現在筆作りの職人375人が、伝統的技術・技法を受け継ぎ、筆作りに励んでいる。
 国の伝統的工芸品に指定されている。主な製品には「書道用」「日本画用」「工芸用」など幅広く生産されている。
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