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2008/1/8


菅田天神社 Kandaten-jinja Kandaten Shrine

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 菅田天(かんだてん)神社は山梨県甲州市に位置する神社である。
 承和九(842)年に藤原伊勢雄により創建、寛弘元(1004)年、菅原道真を相殿に祀り、以降菅田天神社と称したとされる。
 甲斐府中の鬼門を守る鎮守の地とされ、武田家重宝である源氏八領の具足の一つである国宝「小桜韋威鎧(こざくらかわおどしよろい)」所蔵の寺社として知られる。
 頑健であることから盾が不要であるとされ、別名を楯無鎧(たてなしのよろい)とも称された大鎧であり、御旗と言われる、わが国最古の日の丸旗と共に武田家当主の証として代々受け継がれた。
 祭神は本殿素盞鳴尊、菅原道真ら八柱。境内には菅公由来の座牛像や神楽殿が建ち並び、甲斐源氏の宝物を静かに守る古社である。
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2007/5/24


上ノ国の中世の館 Kaminokunino-chuseino-tate Kaminokuni Fort-Mansion

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 北海道道南の日本海に面する上ノ国町には、「館(たて)」と呼ばれる中世の山城の跡が残る。
 上ノ町に所在する「花沢館」「州崎館」「勝山館」の三館が、北海道遺産に指定された「上ノ国の中世の館」である。このうち最も規模の大きい勝山館跡は、昭和五四年から発掘調査が行われており、謎の多い北海道中世史の空白を埋める貴重な遺構だ。
 勝山館は、松山藩の祖・武田信広が長禄三年(1457)年、アイヌ民族との戦いに勝利した後、居城として築城。発掘調査では、空壕、屋敷跡、食器などともに200人以上の和人とアイヌ民族が一緒に暮らしていた記録も出土され、和人とアイヌ民族の共生の証として注目を集めている。また、出土した陶磁器の45%が中国製だったことから、中国との交易を盛んに行っていたことが窺える。
 上ノ国の中世の館は、歴史のミッシングリンクを埋めるロマン溢れる遺跡である。
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2007/5/22


墨壷 Sumitsubo 

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 大工道具、である。しかしながら単なる道具の域を超えた、造形的に芸術品と言えるようなものも存在している。
 用途は、木材にまっすぐな線を描くことだ。「墨付け」あるいは「けがき」と言う。「池」と呼ばれるくぼみの中に墨を含んだ綿が入っており、その間を通って引き出された墨糸をピンと張り、木材を打つように指で弾くことによって真っ直ぐな線を描く道具である。
 墨付けから工事が始まり、また仕上がりの良し悪しも墨付けの正確さが決定することから、墨壷には機能性とともに仕事の成功を願う職人の気持ちが込められるのだ。
 奈良・東大寺南大門の梁の上で見つかった有名な「忘れものの墨壷」は、実は大切な大工道具を敢えて置いて行ったと思われる当時の棟梁の、恐らく最後の仕事の証でもあり、南大門を守り続けて欲しいという職人の願いの象徴でもあったのだろう。
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赤沢宿 Akasawa-juku Akasawa-juku Post Town

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 赤沢宿は山梨県南巨摩郡早川町に位置する集落である。
 古来より、日蓮宗総本山の身延山と、山岳信仰の地である七面山へと続く参道の途中に位置する身延往還の宿場町として知られる。
 信者の一団である講の泊まる講中宿であり、明治時代には、当時流行した身延講の参詣者で大いに栄えた。
 現在も各宿には板マネギと言われる各地の講が定宿とした証の木版が残っている。
 四方全て山という環境から、大工、杣人(そまびと)、木挽きなどの職人を多く輩出した。
 平成五(1993)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
 深い山と渓谷に囲まれた山間の土地であり、石畳や昔ながらの街並みが往時の面影を今に伝えている。
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2007/4/26


立春 Rissyun 

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 立春とは二十四節気の一つで、この日から立夏の前日までが春にあたり、季節を分ける日である節分翌日の2月4日頃を指す。
 旧暦における春は一年の始まりであることから、この日を基準にした行事や言葉が多く存在する。
 歌に歌われる「八十八夜」はこの日からの数え日であり、霜が落ちず良質の茶葉をとる日の目安として使われている。
 二百十日、二百二十日も立春からの数え日で、台風の多い日とされ、農家の三厄日として数えられている。
 また、この日以降に吹く強い南風のことを「春一番」と呼び、以降春二番、三番と呼ぶ。
 いずれも季節への深い造詣や観察から生まれた言葉であり、自然が身近であったことを示す証でもある。
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2007/4/17


大坊古墳 Daibou-kofun Daibo Kofun

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 大坊古墳は中条の谷を見渡す丘陵の斜面に築かれた、直径約14mの円墳である。加工した石材を組み合わせた横穴式石室が大変見事だ。
 横方向に開口する巨大な入り口から、中に入ることができる。石室の規模は全長11.2m、幅は1.9m。高さも1.9mある大きなもの。大型の切石状の花崗岩を壁や天井、柱に使い、左右対称を意識した築造となっている。
 出土品は確認できていないが、石室の形の特徴から、古墳時代晩期の七世紀前半頃の造立と考えられる。
 今から千四百年も前に造られたとは思えないほどの巨大で均整の取れた石室は、古代の権力者の高い美意識と誇りの証である。
 大坊古墳は、昭和五八年に県指定史跡に認定されている。
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2007/4/4


香川漆器 Kagawa-shikki 

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 香川県高松市を中心に発達した漆器。
 その歴史は江戸時代後期から始まったといわれる。「玉楮象谷(たまかじぞうこく)」という人物が「蒟醤(きんま)」、「存清(ぞんせい)」と呼ばれる、タイや中国から伝わってきた漆器を見本に、研究を重ね、日本独特の漆器に作り上げた。その証として「玉楮象谷」の名から取った「象谷塗」という技法がある。その他、「後藤塗」、「存清」と呼ばれる技法などが作り上げられた。
 象谷塗は、黒漆をベースに、落ち着いた渋みが特徴であり、漆器の素材は「木地」を使用する。漆を何回も塗り重ね、最後に池や川に自生する真菰(まこも)の粉をまいて仕上げる。
 香川漆器は、味わいが深く、また使い込むほどにつやや渋みがでてくる、歴史ある伝統工芸品のひとつである。
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2007/3/26


家紋 Kamon 

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 日本において古くより出自といった自らの家系、血統、家柄、地位を表すために用いられてきた紋章である。単に紋所や紋とも呼ばれる。
 特別な紋章や場合を除いて、家紋を幾つも所有することは自由だったこともあり、墓地や家具、はたまた船舶にまで付けられるほど広まる。
 しかし家紋の使用に制限はなかったと言っても、他家の家紋を無闇勝手に使用してはそれなりの軋轢や摩擦が生じた。特に大名や将軍など、地位の高いものとなれば尚のことであった。そのため、他家の定紋は出来るだけ配慮して使わない暗黙の了解が存在した。
 20,000種もあるといわれる家紋を見ると、モチーフとしては植物とくに花が多く、スタイルとしては丸形が多い。基本形を自由に変化させる、左右対称に見えて、そうではない、気軽で貪欲など、日本人の特徴が家紋にさまざまみえてくる。
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日本の美意識。

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