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2008/8/26


金山出石寺 Kin-zan-syusseki-ji 

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 愛媛県大洲市と八幡浜市の境にある、標高八一二mの出石山(いずしやま)。その山頂の自然林の霊気に覆われた場所に金山出石寺(きんざんしゅっせきじ)はある。寺全体が瀬戸内海国立公園に指定された名勝地でもあり、雲海から昇る朝日は参拝者に深い感銘を与えている。
 養老二(718)年、鹿を追って山に入り鹿を射ようとして迷い込んだ猟師作右衛門の前で、岩が二つに割れ千手観音菩薩と地蔵菩薩の像が現れたという。殺生を悔いた作右衛門はその後出家し、道教と名乗り一軒の草堂を建て、この仏像を本尊としたのが始まりと言われている。
 その後弘法大師がここを訪れた際に、寺の名前を金山出石寺と定めたといわれる。真言宗御室派(おむろは)別格本山として、一二〇〇年以上の歴史を伝える名刹である。
 現在、四国八十八カ所霊場番外札所になっている。
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2008/8/13


仙遊寺 Senyuu-Ji 

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 仙遊寺(せんゆうじ)は、愛媛県今治市玉川町の作礼山中腹にある真言宗の寺である。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八ヵ所霊場第59番札所とされる。
 天智天皇(362~672年)の勅願により、越智守興が創建したとされる。本尊は、海から上がった竜女が一刀三礼して彫りあげたといわれ、作礼山の由来になっている。
 養老二(718)年までの40年間、阿坊仙人という僧がここで修行諸堂も整えたが、雲と遊ぶかのようにその姿がかき消えたという。寺号はここから付けられた。
 大きな山門からの旧参道には空海ゆかりの井戸があり、霊水として諸病に効き目があったと伝えられている。また、寺内の仙遊寺文庫には、天皇、諸大名の御文、諸状が多数残されている。
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2008/3/12


焼山寺 Shousan-ji 

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 四国霊場第12番である焼山寺(しょうさんじ)。開基は修験道の開祖役小角(えんのおづの)といわれ、焼山寺山を道場として拓き、蔵王権現を祀ったことに始まるとされる。
 またこの寺は深い山中にあるため、四国八十八箇所霊場の中でも随一の難所として知られている。
 山号の由来は、のちに弘法大師がおとずれた時、焼山寺山の台地に大蛇がおり、火を吐いて山を焼くなど村人を困らせていることを聞き、水輪の印を結んで退治したことから、とされている。
 仁王門をくぐると、県の天然記念物に指定された見事な老杉が参道両脇に並び、境内には本堂、右手に大師堂、弁天堂、鐘楼、そして大師伝説の残る岩屋がある。
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2008/3/7


知多 平泉寺 Chita Heisen-ji 

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 知多半島の阿久比町にあるのが、知多四国霊場一六番である平泉寺(へいせんじ)である。天長七(830)年、淳和天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建したと伝えられる。
 本尊は不動明王で、尾張不動尊として信仰を集めている。不動明王立像と毘沙門天立像は中心一木造り彫眼の像で、県指定文化財に指定されている。また、阿弥陀如来像は仁平三(1153)年の在銘仏で県下最古のものとなり、同じく県指定の文化財になっている。
 文治元(1190)年旧暦八月一五日に、源頼朝が野間の里(美浜町)にある父・義朝の墓参りのあと、尾張不動尊に国家安泰などを祈願したといわれる。
 そして墓参りの帰り道、中秋の名月が美しかったので、坊内を大乗坊から円月坊と呼ぶよう命じたと伝えられている。
 

 
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2007/12/3


種間寺 Tanema-ji 

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 四国霊場第34番札所である種間寺(たねまじ)は、敏達天皇六年、仏師達が航海の安全を祈って薬師如来像を彫刻し、本尾山の頂に安置、その後無事帰国することができたことから始まるとされる。
 境内は広く、昭和四五(1970)年に台風の被害を受けたことから、鉄筋コンクリート製の本堂を再建。本堂の手前には、持仏堂、大師堂、観音堂が建っている。
 種間寺という名は、弘法大師が訪れた際、お堂を整え唐から持ち帰った米、麦、粟、きび、豆の五穀の種を蒔いたことが由来とされている。
 ご本尊は安産の薬師として信仰されており、妊婦は柄杓を持参して祈願し、それを自宅の床の間に飾り、無事安産であれば柄杓を寺に納める、という慣わしが伝わっている。
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高知 清滝寺 Kouchi Kiyotaki-ji 

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 四国霊場第35番札所である清滝寺(きよたきじ)は、行基菩薩がこの地を訪れて薬師如来を刻み、本堂として堂宇を建立、景山密院・釈本寺と名付けたのが始まりとされる。
 その後、弘法大師が弘仁年間(810~824)に修法をおこない、満願の日、金剛杖で突くと清水が湧き出て滝になったため、寺号を改めて霊場にしたといわれる。
 この泉はいまも湧き続け、麓の灌漑に役立てられている。
 厄よけ祈願でも知られ、本堂前にある高さ約15メートルの薬師如来像の中をくぐると御利益を授かるといわれている。
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高知 青龍寺 Kouchi Shouryuu-ji 

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 四国霊場第36番札所である青龍寺(しょうりゅうじ)は、唐の国の青龍寺で修業された弘法大師が、師の恩に報いるため建立されたといわれる。
 寺名の由来は、はるか東の空に向かって独鈷(どっこ)を投げると、裏山の松の木に舞い降りた。そこでこの地にお寺を建て青龍寺と名づけ、山号を独鈷山と呼ぶようになった。
 本尊の波切不動明王(なみきりふどうみょうおう)は、大師が入唐の折、暴風雨に合い、風波を切って静めたとされる不動明王の像を刻んだとされるもので、現在でも海上安全の祈願をしてから出航する習わしが残されている。
 200段ほどの急な石段を上り詰めると、正面に本堂がある。左手は大師堂、右手には薬師堂と、横一直線に配置される伽藍配置(がらんはいち)という様式が取られており、唐の「青龍寺」と同様の様式が用いられている。
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高知 岩本寺 Kouchi Iwamoto-ji 

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 四国霊場第37番札所である岩本寺(いわもとじ)は奈良時代、行基が聖武天皇の勅願により高岡神社の別当寺として造立したものとされる。
 天正年間(1573~1592)の兵火によって焼失、その後釈長僧都により再興され、寺名を藤井山・岩本寺と改め現在に至る。
 本堂は昭和五三(1978)年の再建で、格天井には壇家を中心とした人々によって奉納された極彩色の板絵、575枚がはめ込まれており、阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩の五体の本尊がある。
 寺には、一年に三回実るといわれる「三度栗」や、旅の女性を安産に導いた「子安桜」など、弘法大師ゆかりの七不思議が残されている。
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