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2008/9/29


青島盆踊り Aoshima-bon-odori 

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 愛媛県大洲市の青島盆踊り(あおしまぼんおどり)は、毎年八月一三・一四日に開催される大掛かりで華やかな伝統行事である。
 一三日には魚を供養する賑やかな踊りの大漁踊りが、一四日には死者の霊を慰めるため、赤穂四十七士の亡者踊りが披露される。討ち入りの衣装や、鎧兜などを身につけ舞う亡者踊りは哀愁を帯びた印象である。
 青島は一七世紀までは無人島であったが、島原の乱により頻繁に船が往来しはじめ、播磨(はりま)の漁師が立ち寄ったことをきっかけに、播州(ばんしゅう)からの移住者が増えた。それが青島の盆踊りが赤穂四十七士にまつわる由来とされる。現在は県指定の無形民俗文化財に指定されている。
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2008/7/11


西馬音内盆踊り Nishimonai-bon-odori Nishimonai Bon Dancing

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 西馬音内盆踊り(にしもないぼんおどり)は、五穀豊穣や先祖供養を願い、秋田県羽後町の西馬音内地区に伝わる伝統行事。起原は定かではないが、一説によると約七〇〇年前に西馬音に御嶽神社を勧請した折に豊年踊りを踊らせたのが始まりともいわれている。
 昭和五六(1981)年に盆踊りとしては全国で初めて、国の重要無形民俗文化財に指定された。
 笛や太鼓、三味線の囃子が櫓の上で鳴り響く中、未成年の女子は彦三頭巾をかぶり、成人の女性は鳥追い笠という編み笠をかぶって顔を隠し、亡者に変して優雅に舞う。女装した男性の踊り子もいる。
 明るいテンポの「音頭」と、静かなリズムの「がんけ」の二種類の踊り方がある。複雑で難しい足の動きにあわせた手の動きが、なんとも美しい踊りである。
 衣装は代々母から受け継がれてきた端縫いの衣装と決まっていて、衣装の柄やデザインは各自違っている。そこには古い絹や呉服を貰い受けて娘のために作ってきた、母達の長い歴史も物語られている。
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2008/7/10


新野の盆踊り Niino-no-bon-odori Niino Bon Dancing

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 「新野の盆踊り(にいののぼんおどり)」は、八月の中旬に長野県の阿南町新野でおこなわれる民俗芸能である。
 この盆踊りは、天文二(1533)年、現在でも近隣の信仰の厚い瑞光院の開山祝いの際、伊豆下田の人々がやって来て踊っていたものを、お盆に取り入れたのが始まりだといわれている。
 囃子などの鳴り物は一切使わず、肉声だけでおこなわれ、音頭取りと踊り子が一体となって上の句と下の句を掛け合い、調子を合わせ唄い踊るというものだ。
 盆踊りは夜の九時頃から翌朝まで三夜の間、夜を徹しておこなわれ、輪踊りや行列踊りなど休むことなく繰り返し踊り続ける。精霊の供養であり、老若男女、誰でも気軽に輪に入ることができ、真似をしながら踊るという形式である。見る踊りというより、自分自身で自然に踊って楽しむ形である。
 三日目の最後は切り子灯篭に火をつけ、皆、後を振り返らずに秋唄を唄いながら家路に向かっていく。
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東山温泉盆踊り Higashiyama-onsen-bon-odori Higashiyama Hot Spring Bon Dance Festival

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 福島県の東山温泉(ひがしやまおんせん)は、会津若松市郊外にあり、滝が連なり美しい景色で有名な湯川渓谷沿いに温泉宿が立ち並ぶ。
 その歴史は一〇〇〇年以上ととても古く、天平年間に高僧や行基によって発見されてから歓楽街として栄え、会津の奥座敷として今もその面影を残している。
 その温泉街で毎年八月十三日から六日間、盆踊り大会が盛大に開かれる。
 温泉街を流れる湯川の上に大きな櫓を組んで、たくさんの提灯を飾り、夜の温泉街が彩られる。市民とともに、浴衣姿の温泉客や東山の芸者衆など大勢の人々が参加し、「会津磐梯山」の音頭に合わせて櫓の周りを踊る。
 毎夜毎夜、テンポの良い音頭と賑やかな太鼓の音鳴り響く中を人々が踊り明かす、賑やかな盆踊りである。
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2008/4/4


花取り踊り(高知県斗賀野) Hanatori-odori (Kouchi-ken Tokano) Hanatori Odori in Tokano in Kochi Prefecture

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 高知県高岡郡佐川町斗賀野地区では、白倉神社と美都岐神社の二ヶ所で花取り踊り(はなとりおどり)が開催される。
 花取り踊りは中世から伝わる「太刀踊り」の一種。花取城という難攻不落の城の前で、寄手(よせて)は里人を集め、太刀を抜き踊ってみせた。盆踊りかと城の護衛が油断したところを攻め取った、という逸話から生まれている。
 一一月初旬の朝、ワラで作った実物大の馬が境内に据えられ、二人の天狗が長い竹棒を手に立つ。やがて太鼓のリズムに合わせて花傘をかぶり、青い衣装に太刀をもった踊り手が12名ほど並んで鳥居をくぐって現われる。続いて元気なお囃子とともに子供神輿が登場する。
 踊り手はしだいに輪になって境内を踊りはじめる。剣舞のようないでたちで躍動感あふれる踊りだ。その間二人の天狗はその間観客に近づき、からかう。
 踊りはおよそ一時間続き、最後に餅投げをして終了する。
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2007/10/16


よさこい祭り Yosakoi-matsuri Yosakoi Festival

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 その生れは以外に新しい。戦後の不況を吹き飛ばそうと、高知商工会議所が発案し、1954年から始まった祭り。徳島の阿波踊りを意識して作られた。
 鳴子(なるこ、作物を狙う鳥を追い払う農機具)を手に持って鳴らすことを思いつき、現在でもよさこい祭りの重要なアイテムになっている。
 開始当初は日本舞踊の振り付けを踏襲した盆踊りスタイルであったが、武政英策(たけまさえいさく)氏が楽曲の自由なアレンジを許したため、その後色々なバリエーションを生むことになった。現在ではサンバ、ロック、ヒップホップ、演歌、フラメンコ、フラダンスなど各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けを披露し、伝統を色濃く残す「正調」とともに観客を楽しませている。
 因みに「よさこい」とは、夜さり来い(夜にいらっしゃい)という古語が変化した言葉。
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2007/10/5


綾渡の夜念仏と盆踊り Ayado-no-yoru-nenbutsu-to-bon-odori 

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 綾渡(あやど)は足助(あすけ)の東方に位置し、小さな集落は民話の里として知られる。この地に数多くの文化財を有する古刹、平勝寺(へいしょうじ)がある。毎年八月一〇日と一五日には、境内で「夜念仏(よねんぶつ)と盆踊り」が行われる。
 夜念仏は、新仏と呼ばれる一年内に亡くなった人の霊を慰めるために回向(えこう)を手向ける行事のことで、一方の盆踊りは、新仏供養の後、故人をしのんで楽器を使わずに歌い踊る手踊りのことをいう。かつては広範囲で行われていたが、今では綾渡の里だけとなった。その綾渡も過疎化によって担い手の青年の数が減り、継続が危ぶまれたことから、昭和三五(1960)年に保存会を結成。以前は新仏のある家々を回っていたものが、現在は平勝寺境内でのみ行っている。
 綾渡の夜念仏と盆踊りは、「盆に行われる芸能の古風な姿を伺わせ、芸能の変遷の過程と地域的特色を示すものとして特に重要である」ことから、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/18


大浦太鼓踊り Ooura-taiko-odori 

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 大浦太鼓踊り(おおうらたいこおどり)は、鹿児島県南さつま市大浦町の日新祠堂(じっしんじどう)にて、毎年八月一五日のお盆に奉納されている踊りである。
 日新祠堂は、永田・吉見家の庭内にある、戦国時代の薩摩領主・島津忠良の位牌を祀る場所で、祭神は日新公の別名もある島津忠良。
 踊りの起源・起因はよく分かっていないが、忠良が大浦へ遊行した際に供覧に添えたとか、忠良自身が振り付けしたとか、それ以前から存在したなど諸説ある。
 踊りは、鉦2人、小太鼓2人、歌い手3人、大太鼓16人で構成され、大太鼓は白装束で太鼓に背旗、鉦・小太鼓・歌は花笠のかぶりものをして踊る。
 当日はまず日新祠堂に奉納し、西福寺で戦没者を慰霊して踊り、その後いつくかの集落にて踊る。
 大浦太鼓踊りは、地元では盆踊(ぼんのおどり)とも言われる郷土芸能である。
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