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2008/9/29


瞰望岩 Ganbou-iwa 

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 瞰望岩(がんぼういわ)は、別名インガルシとも呼ばれ、アイヌ語で「見晴らしの良い所」を意味する。北海道遠軽町のシンボル的な存在となっている。町名である遠軽(えんがる)の由来もこの言葉からきているとされる。
 瞰望岩周辺の丘陵には広大な公園があり、春には山桜や芝桜が辺りをピンク色に染め、夏はヒマワリが咲き誇る。
 ひとたび高さ約80mの岩の頂上に登ると、360度見渡す限りの大パノラマが広がり素晴しい眺望がのぞむことができる。町のあらゆる所からその姿を望む事が出来る瞰望岩は、その昔アイヌの人々が集落同士で戦った古戦場としての悲しい伝説が残る場所でもある。
 北海道自然百選に指定されていて、頂上には開拓記念碑が建てられている。
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2008/6/30


羽衣石城 Ueshi-Jo 

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 羽衣石城(うえしじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にあった山城である。
 正平二一(1366)年、南条貞宗によって標高376mの羽衣石山に築城され、以後、南条氏の拠点として使用された。
 山陰道と東郷池に臨む東伯耆の要衝にあり、尼子氏や毛利氏と激しい攻防を繰り返した。
 慶長五(1600)年、関ヶ原の合戦で南条氏が敗れ、羽衣石城は廃城となる。
 昭和六(1931)年、南条氏の子孫の手により、山上に模擬天守が建てられた。
 現在、羽衣石城にはよく整備された模擬天守と物見櫓風の展望台があり、山頂部に本の丸、二の丸、三の丸を配置し、主郭部から西へ削平地が幾段も置かれ、東の尾根には2筋の堀切が残る。
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2007/10/29


がんぼう岩 Ganbou-iwa Ganbou Rock

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 北海道の東道、紋別郡遠軽町にある高さ78メートルの岩山。自然百選にも選定されている。
 頂上には展望台があり、徒歩で15分ほど。
 遠軽町のシンボル的存在になっているこの岩は「この町では朝日を真っ先に浴びる岩山」「夕日に暖かく包まれる岩山」として親しまれている。
 がんぼう岩の名の由来はアイヌ語の「インガルシ」(見晴らしの良いところ)からきている。アイヌ民族の古戦場とも呼ばれる、その展望台からの見晴らしはパノラマ360度のすばらしい眺望が広がる。
 周辺には岩山の登り口にもなっている「太陽の丘遠軽公園」があり、町民の憩いの場として親しまれている。
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2007/9/13


日向十五夜祭り Hyuuga-jyuugoya-matsuri Jugoya Festival (Moon Festival) in Hyuga

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 日向十五夜祭り(ひゅうがじゅうごやまつり)は宮崎県日向市で毎年中秋の名月の頃に催される祭りで、人々からは「十五夜さん」とよばれている。
 日向市あげての祭りであり、見立細工や花屋台が奉納され、舞踊隊が道一杯を練り歩くことで有名である。沿道では多数の人々が見物し、県外からも多くの観光客が訪れる。
 この祭りのルーツは、壇ノ浦の戦いで、椎葉に逃げ落ちた平家の武者を追ってきた、那須与市(なすのよいち)、工藤祐経(くどうすけつね)の二人の武将がいた。彼らが兵士の士気を高めるため、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮から勧請し建てた、富高八幡宮の祭礼が始まりといわれている。
 近年では日向市に八百年前から受け継がれている日向十五夜太鼓も組み込まれ、まつりの雰囲気を一層盛り上げている。
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2007/8/24


熊野奥照神社 Kumano-okuteru-jinja 

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 熊野奥照神社(くまのおくてるじんじゃ)は、当初、現在の津軽半島の小泊にあたる奥尾崎に立てられたらが、延暦七(788)年、後の弘前市となる扇野庄に移築された。
 大同二(807)年、坂上田村麻呂が、蝦夷征伐にあたり勝利を祈願した神社といわれている。
 現在の本殿は、慶長一八(1613)年に二代藩主・津軽信枚が再建した。
 簡素な造りではあるが、室町から鎌倉時代にかけての建築様式が随所に見られ、屋根の懸魚(げぎょ)や桁隠(けたかくし)の彫刻等には桃山時代と見られる珍しい建築様式も取り入れられるなど、幅広い年代の技を見ることができる。
 地方色が少ない点において資料的価値も高く、国重要文化財に指定されている。
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2007/8/21


貝吹の鍵万燈 Kaifuki-no-kagi-mantou Kagi Manto in Kaifuku

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 西尾市東部に位置する標高一六〇m余りの万灯山(まんとうやま)。その山の西斜面で盆の行事として行われる火祭りが八九〇年にわたる歴史ある「鍵万燈(かぎまんとう)」である。
 この周辺の山々には真言宗と天台宗の寺が多くあり、応徳・寛治の頃に争いが続き多くの死者を出したといわれている。山頂には犠牲者である僧兵の霊が祭られており、その霊を鎮めるために一〇八の火を灯して供養したのがはじまりとされている。
 一〇八のスズミとも呼ばれる松明(たいまつ)が約二〇〇mにわたって並べられ、その灯線は先の曲がった道具である鉤(かぎ)の形に見えることから「かぎ万燈」と呼ばれるようになった。夜空にくっきりとその形が浮かび上がる、幻想的なお盆の夜の行事である。
 西尾市無形民俗文化財に指定されている。
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2007/8/2


機織沼 Hataori-numa Hataorinuma Pond

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 宮城県東和町錦織にひっそりと佇む機織沼(はたおりぬま)は、伊達政宗に敗れた葛西一族の悲話を秘めた、かつては人はもちろん舟も入れない古来からの霊沼だった。
 往時、沼の南西の小高い丘の上に湖水城があり、西郡新左衛門が城主であったが、天正十八(1590)年に起こった葛西大崎一揆に葛西一族として参戦、伊達氏との戦いの中、佐沼城で討死する。
 新左衛門の奥方であり、機織の名人だった錦ノ前は知らせを受けるや敵に捉えられることを良しとせず、城に火を放ち、沼に入水してしまう。
 その後、晴れて沼が凪の日には、昼夜を問わず沼底から機を織る音が聞こえ、その音を聞いたものには災いが訪れると言われるようになった。村の人々は恐れ、畔に弁才天を祭った祠を建て錦ノ前の霊を慰めた。以来、機を織る音は聞こえなくなったという。
 そうした戦国の悲話に彩られた沼も、今では年中釣りを楽しむ人で、静かな水面を賑わせている。
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2007/7/31


ヤッサ祭り Yassa-matsuri Yassa Festival

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 ヤッサ祭りは、毎年9月29日に群馬県の(旧)月夜野町(つきよのまち)の若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)で行われる例祭である。
 裸で数珠つなぎになった男衆が、下帯姿で社殿の柱によじのぼり、「ヤッサ、モッサ、シンジュウロウ」と声を掛け合いうねり歩くことから「ヤッサ祭り」の名が付いたと言われる。
 祭りの起源は定かではないが、かつてこの地が水害に遭った際、若者たちが数珠つなぎになって人々を救ったという説や、400年前に名胡桃城(なぐるみじょう)の合戦の折に、大木新重郎という武士が村人を救おうと腰ひもを掴ませて誘導した、という説などがある。
 祭りでは男衆が歩きながら押し合いへし合いし、寝そべるなどを数回繰り返した後に社殿の大鈴をもぎ取る。見事にもぎ取れたら、その年は豊作になると言われている。
 ヤッサ祭りは400年の伝統を持つ、素朴で勇壮な祭りである。
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