NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/17


福岡 水天宮 Fukuoka Suitenguu 

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 福岡県久留米市の水天宮(すいてんぐう)は、全国の水天宮の総本社である。起源は源平の時代に遡り、安徳天皇の母后、建礼門院(けんれいもんいん)に使えていた按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)が、寿永四(1185)年の壇ノ浦の戦いで海に沈んだ平家の人々の霊を弔ったのが始まり。
 御祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇、建礼門院、と安徳天皇の祖母の二位の尼の四柱。
 水天宮は水徳の神であるが、安産の神様として特に有名であり、子供の守護神としても知られている。境内には勤皇の志士・真木泉守保臣(まきいずみのかみやすおみ)を祀る真木神社がある。保臣は水天宮二二代宮司で、元治元(1864)年の長州藩と会津藩、薩摩藩とが京都で衝突した蛤御門の変に参加、後自害している。また按察使局伊勢を祀る千代松神社がある。
 福岡では戌の日の水天宮参りは広く知られ、多くの人々が参拝に訪れる。また、水徳の神様だけに海運業者、漁業関係者、水商売の人々の信仰も篤い神社である。
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2008/6/6


光輝く氷のぼんぼりとかまくら祭り Hikarikagayakukoori-no-bonbori-to-kamakura-matsuri 

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 光輝く氷のぼんぼりとかまくら祭りは、平家の落人の里として知られる、栃木県日光市湯西川温泉の冬の風物詩とされる。毎年1月末から2月末日の約一ヶ月行われるという。
 旧栗山村(現在の湯西川地区)は、約800年前の源平の戦いに敗れて身を隠した平家の、落人伝説を伝える地域とされている。
 舞い降りる雪の中に浮かぶ氷のぼんぼりのほのかな光と、暖かいかまくらの中で、雪深い湯西川温泉ならではの風情が楽しめる。そして、夕暮れになる午後5時30分から午後9時まで、氷のぼんぼりに灯りがともされ、ファンタスティックな世界に変わるという。
 メイン会場の他にも、湯西川沿いの沢口河川敷にミニかまくらが作られ、そのひとつひとつにもろうそくの灯りがともされて幻想的な世界を体験できる。
 また、日曜祝祭日には餅つき大会も行われ、ミニかまくら作りも体験する事ができる。
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平家大祭 Heike-taisai 

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 平家大祭(へいけたいさい)は、平家伝説の里で知られる湯西川温泉で、毎年6月5日から7日まで平家落人の復興を願って開催される華やかな祭典である。
 この祭りは、昭和六〇(1985)年6月にオープンした「平家の里」と共に始まったとされる。
 5日の山伏による「火渡り式」を皮切りに、6日には「平家絵巻行列」が行われるという。
 村民(現市民)約250名が、平清盛(たいらのきよもり)など勇敢な武士に扮した行列として、湯殿山神社から平家の里までの道のり約1kmを練り歩く。
 7日には、平家大祭のハイライトともいうべき「九十九姫行列(きゅうじゅうきゅうひめぎょうれつ)」が繰り広げられ、女性たちが華やかな衣装を身にまとい、湯殿山神社から温泉街の中心を通って平家の里までを優雅に歩くという。
 他にも平家の里にて舞われる「蘭陵追うの舞」など様々な催しが温泉街に彩りを添えているという。
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2008/4/3


小烏丸 Kogarasumaru 

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 小烏丸(こがらすまる)とは、天皇家の宝刀である。
 ある日、桓武天皇の元に伊勢神宮からの使いであると、一羽の大きな烏(からす)が舞い降り大刀を授けられた、との伝説からこの名が付けられたと言われる。
 この刀を打ったのは天宝時代の大和の刀鍛冶、天国(あまくに)であるとされている。
 平安時代末期、平貞盛が平将門・藤原純友らの起こした反乱、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を鎮圧する際に、天皇よりこの刀を拝領、以後、平家一門の家宝となっていたが、壇ノ浦の戦いで一度行方不明となる。しかし、江戸時代に入り小烏丸の所在がわかり、現在では皇室御物として保管されている。
 刀剣としての特徴は、刀身の先端から半分以上が両刃となり、斬ることよりも突くことに適した刀で、鋒両刃造(きっさきもろはづくり)または小烏造と呼ばれている。ミステリーの多い、神秘的な刀である。
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2008/3/6


倶利伽羅峠 火牛の像 Kurikaratouge Kagyuunozou 

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 倶利伽羅峠(くりからとうげ)は、旧越中国(えっちゅうこく)である富山県小矢部市と、旧加賀国(かがこく)である石川県津幡町との境界である、標高277mの砺波山(となみやま)にある旧北陸道の峠である。
 火牛の像(かぎゅうのぞう)は、山頂にあるくりから公園内の、倶利伽羅古戦場猿ヶ馬場のすぐ近くにあり、角にたいまつをつけた牛が今にも突進しようとするその姿には鬼気迫るものがある。
 寿永三(1183)年、木曽で兵を挙げた木曽義仲は越中国から侵攻し、10万の軍を率いた加賀国側の平維盛の軍と倶利伽羅峠で対峙した。
 義仲は牛の角に松明をくくりつけ、牛を先頭に山を駆け抜けて平家を破った。これは、その「火牛の計」にちなんだモニュメントで、合戦ではこのような牛が4、5百頭平家の陣に襲いかかったという。
 倶利伽羅峠の火牛の像は、源平合戦の昔が偲ばれる彫像である。
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2008/2/27


長篠城址 Nagashino-joushi 

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 長篠城址(ながしのじょうし)は、愛知県新城市長篠にある城跡である。国の史跡に指定されている。
 永正五(1508)年、菅沼元成により築城され、元成と、その子孫・長篠菅沼氏が居城とした。
 天正三(1575)年、城主・奥平貞昌が500の兵で、武田勝頼15000の大軍相手にした篭城戦は、織田・徳川連合軍が大勝利した「長篠の戦い」の導火線となった事で有名である。
 長篠城は、長篠の戦い後に廃城となり、現在は土塁や内堀、曲輪を残し、城跡にある長篠城址史跡保存館では、城主・奥平家伝来の血染陣太鼓や合戦往事をしのぶ鎧、火縄銃などの武具、古文書などが展示されている。また、春には桜が咲き、幻想的な雰囲気となる。
 長篠城址は、戦国の昔が偲ばれる城跡である。
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2008/2/18


妓王寺 Giou-ji Gioji Temple in Yasu

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 奥嵯峨の祇王寺とは別に、祇王・祇女(ぎおう・ぎじょ)の出身地といわれる滋賀県野洲町にも妓王寺(ぎおうじ)という寺がある。
 平家物語に登場する妓王はこの地に生まれた。父親の戦死後、母とともに都へ向かい、男装して舞いや歌を披露する白拍子(しらびょうし)となる。
 その美貌と優しさから平清盛の寵愛を一身に受けた妓王は、干ばつに苦しむ故郷を救うために、清盛に願い出て水路を掘らせ、一帯は息を吹き返し、有数の米どころとなった。村人たちは感謝を込めてこの水路に「妓王井川(ぎおういがわ)」の名をつけた。
 ある日、仏という美しい白拍子に清盛は心変わりをしてしまう。暇を出された妓王は深く悲しみ、妹の妓女、母とともに尼となって都を離れる。思わぬ結果に「明日は我が身、日が昇ればいつかは沈む。」と悟った仏は、邸を逃げ出し妓王のもとを訪れ、ともに尼となる。
 妓王寺は村人の感謝の念と、妓王と妓女、母親、そして仏の菩提を弔うために建てられたもので、四人の像が安置されている。
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2007/11/28


本山寺 三重塔 Honzan-ji Sanjuu-no-tou 

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 岡山県美咲町にある天台宗岩間山本山寺(いわまさんほんざんじ)。別名、岩間観音。
 白鳳七(679)年、役行者が創建し、奈良時代に唐より帰化した鑑真和上が再建したと伝えられる。岡山県東北部の美作地方(みまさかちほう)では最も古いお寺である。
 鎌倉時代の僧、法然上人の父母が子宝に恵まれるよう祈り続けたところ、後に法然となる勢至丸(せいしまる)を懐妊したと伝えられるゆかりの寺でもある。
 江戸時代に津山藩主となった森家と松平家の霊廟があり、徳川幕府の祈願所でもあった。
 境内の奥にある三重塔は純和様で、高さ二六・五メートル。国の重要文化財に指定されている。津山藩主、森長継が承応元(1652)年に再建したもので、屋根は檜皮葺、外部は木彫りが太く堂々とした姿を見せている。樹齢300年以上のカゴノキや杉木立に囲まれ、静謐な時間が流れる場所である。
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