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2008/9/12


芝東照宮 Shiba-toushouguu 

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 東京都港区。そんな都心に程近い場所に広がる芝公園の一角で、静かに佇む古社が芝東照宮(しばとうしょうぐう)である。
 徳川家康を祀るお社であり、元和二(1616)年に創建された。当初はすぐ近くにある増上寺の境内に勧請され、家康公の法名に因んで安国殿と称されていた。現在の増上寺境内にある安国殿とはまた別である。その後の寛永一八(1641)年には、三大将軍家光により三度目の造営がなされ、今に至っている。
 御神体として等身大の寿像が祀られているが、これは慶長六(1601)年の正月に、六十歳となった家康が自ら命じて彫刻させたものだといわれている。
 本殿の右側には高さ26m、樹齢およそ三百年といわれる立派なイチョウの大木が聳えている。これは家光の御手植えと伝えられており、都の天然記念物に指定され「東京都の木」として今も親しまれている。
 境内にはその他にも桜や梅、楓などが四季折々に色付き、徳川三百年の権勢を今に伝えている。
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2008/7/3


麒麟獅子頭 Kirin-shishigashira 

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 麒麟獅子舞(きりんししまい)は因幡地方、現在の鳥取県に伝わる獅子舞である。
 獅子舞は中国から伝わったもので祝いの席や神事の時に祭囃子に合わせて獅子が踊るものである。江戸時代の慶安元(1648)年に初代鳥取藩主となった池田光仲がはじめたといわれている。
 頭は中国の伝説の動物である麒麟の角と面長な頭部、そして獅子の太い眉と口が融合したもので、舞はこの頭を被る二人たちの獅子舞とやはり中国の伝説上の動物である猩猩(しょうじょう)の姿をした先払いの三人で舞う。
 麒麟獅子の頭の中でも国府町の稲荷神社にあるものが一番古く一六世紀、室町時代の作といわれている。
 鳥取県以外では、広島の広島東照宮、北海道利尻島の長浜神社だけにしか見られない伝統芸能であり、麒麟獅子舞は鳥取県の無形文化財に指定されている。
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2008/6/23


紀州東照宮 Kishuu-toushouguu 

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 紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する古社で、全国に十九宮ある東照宮の一つだ。
 徳川家康の十男でもあった紀州藩祖徳川頼宣(よりのぶ)公によって、元和七(1621)年に南海道の総鎮護として創建されたもので、徳川家康を神格化した東照大権現と、頼宣を神格化した南龍大神を祀っている。
 「関西の日光」とも称される威風堂々たる社殿は、桃山時代の遺風をうけた「権現造り」となっており、朱塗の楼門や拝殿、本殿など主要建造物七棟が江戸初期を代表するものとして国の重要文化財の指定を受けている。
 また、刀剣や様々な衣料など一七点におよぶ秘蔵品も重要文化財の指定を受け、同宮で大切に保管されている。
 本殿には左甚五郎作の「緋鯉真鯉」の彫刻や狩野派、土佐派の襖絵などが内部に施されるなど、関西日光の名に恥じない威風を今に伝えている。
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2008/6/6


延年舞 Ennen-mai 

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 延年舞(えんねんまい)は、日光の輪王寺で舞われている千年以上の歴史を持つ舞曲であるという。
 天台宗の慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)が、唐から将来した秘舞曲とされ、寺伝によると祥元(848)年に、慈覚大師が日光山に来山した際に伝えられたという。
 延年舞は、毎年5月17日の午前8時に行われ、太鼓の音が鳴り響くと牡丹や唐草模様が描かれた、緋色の直垂(ひたたれ)に身を包んだ「舞衆(まいしゅう)」と呼ばれる二人の僧侶が登場する。
 朗々と声明(しょうみょう)を唱える一山の僧侶を背に、上座(じょうざ)の舞衆が重々しく、下座の舞衆が烏帽子(えぼし)を着けて軽やかに舞を奉納する。
 東照宮春季例大祭にさきがけて舞われるもので、現在は輪王寺と岩手県の毛越寺(もうつうじ)に残るのみであるという。
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2008/4/11


天海 Tenkai 

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 天海(てんかい)は江戸時代初期、天台宗の僧。
 天文五(1536)年、会津(現・福島県)生まれ。11歳で出家し、18歳の頃に比叡山に入る。華厳、唯識、禅、儒学や易教、国学を修めた。
 慶長一三(1608)年頃に、徳川家康の知遇を得る。家康の参謀、朝廷との交渉役として活躍。仙波(埼玉県川越市)の北院(喜多院)や江戸崎(茨城県那珂町)の不動院の住職を兼任し、延暦寺や日光山の整備・再興にも従事した。
 仏法と王法の合一を説いた「山王一実神道」の奥義を、天海は家康に伝授する。家康の死後、東照大権現を贈号して、江戸から日光への遷葬を指揮した。遂に家康を日本の守護神に祀りあげた。
 その後も、東叡山・寛永寺の創建や都市計画を指導、江戸鎮護を構想し続けた。108歳で入滅。その5年後に、朝廷より慈眼大師号を追贈された。
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2008/1/8


寛永寺 五重塔 Kanei-ji Gojuu-no-tou 

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 東京都台東区の上野公園に寛永寺の五重塔がある。
 寛永一六(1639)年の建立。上野東照宮の建物の一部であったが、明治の神仏分離によって寛永寺の所属となった。
 寛永寺の創立者は徳川家光、初代住職は天海、本尊は薬師如来である。日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇った。
 境内は現在の上野公園のほぼ全域を占め、墓地には徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍一五人のうち六人が眠る。
 しかし慶応四(1868)年の上野戦争で主要な伽藍は焼失されてしまう。
 五重塔は、旧本坊表門や清水観音堂などのいくつかの建物とともに焼失せずに残った。
 構造は三間五重塔、五重銅瓦葺からなり、全層が和風造りである。高さは地上から一番上の宝珠まで、36・36メートル。一層の中央、心柱をかこんで、東西南北に薬師、阿弥陀、弥勒、釈迦の四方四仏を安置している。
 明治四四(1911)年、国指定重要文化財となった。
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2007/12/26


岩槻人形 Iwatsuki-ningyou 

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 岩槻人形(いわつきにんぎょう)は、埼玉県の岩槻で古くから作り続けられている桐塑人形(とうそにんぎょう)である。
 岩槻の周辺は古来から桐の産地であり、箪笥や下駄の生産が盛んであった。
 そこに、日光東照宮の造営に当たっていた工匠たちが留まり、そうした桐細工物の加工で出た桐の粉を糊と練り固めて人形を作ったのが始まりといわれている。
 また、岩槻の水が人形の顔を塗る胡粉を溶くのに適していたことも幸いしたといわれている。
 壊れにくい上に量産も可能であり、精巧度も高いことから岩槻を中心に急速に発達。また、すぐ近くに江戸という一大市場があったこともその発展に影響したといわれている。
 江戸中期以降では、人形造りは藩士の内職として盛んに行われるようになり、藩の専売品にもなっていた。
 現在でも岩槻の代表産業の一つであり、平成一九年には国の伝統的工芸品にも指定され、その白く、細やかで美しい人形を生み出し続けている。
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2007/12/4


だんじり工芸 Danjiri-kougei 

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 だんじり工芸(だんじりこうげい)は、大阪府八尾市に伝わる伝統工芸品である。
 だんじりとは、大阪などの伝統的な祭りに使われる山車の事を言い、岸和田のだんじり祭りなどで、その言葉が知られている。
 だんじりの語源は諸説あり、屋台をじりじりと動かすことから、「台ずり」が転じたか「山車(だし)」が方言化され、「だんじり」になったとする説などがあり、正確な語源は不詳とされる。
 だんじりは、江戸時代末期に幕府が当地の山車を造る大工たちの技術を認め、日光東照宮の修築施工を命じたことがあったほど、宮大工の最高の技術を結集した工芸品と言われている。
 現在では、展示会出展や愛好家のためのミニチュアだんじりの製作も行われている。
 だんじり工芸は、祭りには欠かせない伝統的な工芸品である。
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