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2008/7/15


揚浜式製塩 Agehamashiki-seien 

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 揚浜式製塩(あげはましきせいえん)は、石川県珠洲市清水町に伝わる製塩技術である。県の無形民俗文化財に指定されている。
 能登における製塩は、江戸時代に加賀藩が藩の産業として塩づくりを奨励したため、近世に独自の発展を遂げた。
 近代になり国の専売制が実施されると衰退の途を辿ったが、珠洲市では製塩の保存会が結成されたため、今日まで揚浜式製塩の技術が伝えられている。
 塩田整備にはじまり、体力の消耗の激しい潮汲み、潮撒き、沼井作り、室温60度に達する釜屋での夜を徹しての作業など、塩作りに係る一連の作業に伴う技術は全国唯一のものであり、世界最古の製塩技術と言われている。
 骨をおって作り上げるこの作業から、「手塩にかける」という言葉が生まれたと言われている。
 揚浜式製塩は、今もまろやかで甘味のある天然塩を生み出す、貴重な製塩法である。
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2008/4/15


小丸山公園 Komaruyama-kouen 

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 小丸山公園(こまるやまこうえん)は、石川県七尾市にある、桜の名所としても知られている公園である。
 元々この地には加賀藩藩祖である前田利家の居城であった小丸山城が建っていた。
 天正一〇(1582)年に築城された城で、利家はここで二年間を過ごした。
 今も公園内には石垣や本丸を中心とした三つの曲輪と堀切が残っており、それらを整備しつつ公園として生まれ変わった。
 戦としての城が建っていた場所だけに高台に位置し、眺望に恵まれている。また、海辺に近いこともあり、七尾の町並みと共に七尾湾を一望することもできる。
 園内には約二百本のソメイヨシノやヤエザクラ、シダレザクラが植えられており、シーズンになれば競うように咲き誇り、秋になれば紅葉が公園を美しく着飾り、訪れる人々に憩いと自然の美を与えてくれる。
 利家とまつの銅像も建てられており、小丸山城築城から四百年を経た今、七尾の街を二人静かに見下ろしている。
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2007/1/22


倶利伽羅不動尊 Kurikara-Hudouson Kurikara Fudouson

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 栄寿二(1183)年の平家と木曾義仲の戦いで有名な倶利伽羅峠の近くにある不動尊。日本三大不動尊ともいわれている。
 養老二(718)年、元正天皇の勅願でインドの高僧善無畏三蔵法師がこの地で修法。感得した剣に巻き付いた黒龍の姿を彫刻して、倶利伽羅不動尊と名付けたとあり、それが奥の院の本尊といわれている。
 その一〇〇年後、弘法大師がこの倶利伽羅不動尊にたどり着き、三蔵法師作の不動尊とほぼ同じ像を刻み、護摩法を行った。その像は本堂に祀られている。
 栄寿二年の源平の合戦で、一部を消失したが、源頼朝の寄進で再興、江戸時代には加賀藩の長楽寺と称した祈祷所があった。
 倶利伽羅とは、インドの言葉で「黒い龍」を意味する。
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成巽閣 Seisonkaku Seisonkaku Villa

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 文久三(1863)年の建築。兼六園の中にある。当初は巽御殿(たつみごてん)と呼ばた。
 加賀藩十三代藩主前田斉泰が母である隆子(真龍院・十二代斉広夫人)のために建てた隠居所。
 金沢城から東南の方角、つまり巽にあり、また京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれており、それにも習ってこの名前がついた。
 二階建てで、一階は書院造り、二階は数寄屋造りになっている。重要文化財に指定されているが、江戸時代末期の代表的な建築物である。
 建物の内部は、心配りの行き届いた優雅な空間となっている。
 壁は紙貼りとして土を使わず、階下には紅い漆を用いた。さらに雲母や金などを使い文様が描かれている
 全体的に、色彩豊かな装飾は、成巽閣の大きな特徴である。
 また、成巽閣の庭である飛鶴庭も、国の名勝と指定されている。現在は、歴史博物館となっている。
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2007/1/18


金沢神社 Kanazawa-jinjya Kanazawa Shrine

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 加賀藩主であった前田家は、菅原道真を先祖としている。その菅原道真を祀って、十一代藩主前田春脩(はるなが)が、寛政六(1794)年に建立したのが金沢神社である。
 この時期、春脩は、藩校、明倫堂を創始しているが、その鎮守神として道真を祀ったのである。
 明倫堂は、兼六園建設のため移動したが、鎮守神は残った。そのため十二代藩主前田斉広が建てた竹沢御殿の鎮守神として、竹沢御殿御鎮守天満宮と称した。金沢神社と改称されたのは、明治九(1876)年のことである。
 県内で一番の受験の神社ということで、合格祈願の受験生たちがたくさん詣で、必死に祈念する姿は印象的である。
 また神社内には、金沢の地名の由来となった、金城霊沢がある。その池の周りを三回巡りお願いをすれば願いが叶う、といわれている。
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2007/1/17


善徳寺 Zentokuji Zentokuji Temple

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 富山県南砺市善徳寺は「城端別院善徳寺」と呼ばれ、真宗大谷派の別格別院である。
 創建以来、町の中心となって共に繁栄してきた。加賀一向一揆に代表されるように、真宗と関わりの深いここ北陸地域で、信仰と共に歩んだ歴史を持つ。
 創建は室町時代の文明三(1471)年。本願寺第8代の蓮如上人が開基し、江戸時代の永禄二(1559)年、城端に移された。本尊の阿弥陀如来像は行基が作ったと言われている。江戸時代には加賀藩主前田氏の庇護を受けて越中の頭寺を務め、隆盛を極めたという。境内には龍の彫刻を施した山門や鐘楼などが並び、歴史の重みを感じさせる。
 毎年7月22〜28日の「虫干法会」には、蓮如ゆかりの品々や前田家から寄進された寺宝が公開されるという。
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