NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/5


月のお皿 Tsukino-osara Moon Plate

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 かつて日本には、満ち欠けによって形を変える月を描写する多くの言葉があった。新月、繊月(さんげつ)、三日月、上弦の月、下弦の月、小望月(こもちづき)、立待月(たちまちづき)、寝待月(ねまちづき)、有明月などの呼び名は、どれも風情にあふれている。
 柴田睦子作「月のお皿」は、金色の飛沫模様が美しい平らな皿だ。デザインはシンプルにして、その姿は威風堂々。静かさの中に強さがある。乗せる料理や季節の食材によって、皿と料理のふたつの表情が豊かに変わる様を味わえるのは、日常の贅沢。
 料理をあしらっておぼろ月夜に見立てるもよし、金の飛沫に月光のしずくを感じるもよし。客人のもてなしはもちろんのこと、ふだんづかいの皿としても役立つ一品である。
 
サイズ:(センチ)
(大)横27×奥27×高2・5
(小)横15×奥15×高2
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2008/2/14


龍飛崎 Tappi-misaki 

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 龍飛崎(たっぴみさき)は、青森県東津軽郡外ヶ浜町にある津軽半島最北端の岬である。
 岬は海抜100m前後の台地状にあり、山並みがいきなり海に落ちる突端が龍飛崎で、高台には日本の灯台50選のひとつにも選ばれている、白亜の龍飛埼灯台が建っている。
 名前はアイヌ語で刀を意味するタムパから来ているとされるが、龍が飛ぶがごとく、強い風が吹くことから龍飛崎と呼ばれるようになったとも言われている。
 岬には津軽海峡冬景色歌謡碑と、碑の丘や太宰治文学碑、吉田松陰碑など、多くの文人・偉人碑が存在している。また、龍飛バス停と龍飛崎灯台を結ぶ階段は、日本唯一の国道階段として知られている。
 岬一帯には、風力発電の風車が回る龍飛ウインドパークと展示館、青函トンネル記念館、龍飛崎シーサイドパークなども存在する。
 龍飛崎は、壮麗で迫力ある、日本を代表する岬である。
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2008/2/6


紙相撲 Kamizumou 

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 それまでの戦乱が一時の終息を迎え、江戸時代は平穏な時が流れるとともに、庶民の文化も大きく発展していった。そんな中、相撲は当時の人々にとっても、非常に人気を博した娯楽であった。そのため、相撲に関連した遊びが多く生み出されたという。紙相撲(かみずもう)もその中の一つであった。
 紙で作った力士である人形を、土俵に見立てた板や厚紙をの上に置き、その隅をトントン叩く。すると紙の力士が互いに動き出し、どちらかが倒れるまで勝敗を争う遊びである。
 昭和二九(1954)年に徳川義幸氏という当時一七才の少年が、独自の紙相撲の方法を考案。これがマスコミに大きく取り上げられ、全国的ブームにまで発展し、遂には、日本紙相撲協会が設立されるまでに至った。
 現在では、紙の大きさや土俵の大きさ、土俵においた時の人形の角度など、本物の大相撲のようにきめ細かい約束事が決められており、全国に多くの愛好者がいる。
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2008/2/5


ガウンガウン祭り Gaun-gaun-tatsuri 

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 深田神社でおこなわれるガウンガウン祭りは、旧暦2月2日に近い日曜日、2月下旬頃に野元の深田神社で開かれる春の大祭であり、鹿児島県指定の無形民俗文化財となっている。ガウンとは、「願」とか「くわ」がなまった事に由来するもので、五穀豊穣を祈願する祭として知られる。
 境内を田んぼに見立て、田植えの様子を派手な化粧に野良着のテチョと呼ばれるおやじをはじめ、太郎、次郎、牛に扮した男の4人で滑稽に演じる。一定したせりふはないが、3人それぞれ決まった持ち場を担当し、即興劇が執り行われる。
 この祭りの主役は子どもたちである。鍬の形をまねた枝で、子どもたちが劇中役者を倒し、倒す回数が多ければ多いほど豊作になるとされているため、枝を手にした子どもたちが群がり、機会をねらって役者を倒そうと必死になる。
 その後、松葉を苗に見立てて境内に植え、最後に餅まきをして豊作を祈る。
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2007/12/26


角隠し Tsunokakushi 

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 神前や仏前式の結婚式において、文金高島田(ぶんきんたかしまだ)と呼ばれる髷(まげ)を結った髪を飾る帯状の白い布を「角隠し(つのかくし)」という。素材は白絹である事が多い。
 髪の毛の不浄を隠す為とされ、花嫁の恥じらいを包み隠し、神秘性を演出してくれる。
 元々は塵よけや防寒具として使用されていたが、女性が嫁入りする際に怒りを象徴する「角」を隠す事で、従順で淑やかな妻になるという事をあらわしたり、またかつては女性は嫉妬に狂うと鬼になる、と言われたことから、それを防ぐまじないとして結婚式において使われる様になった。
 角隠しは入家を意味する「入」の形に見立て、右端を上にして後ろでまとめている。
 また、「挙式が済むまで新郎以外の人に顔を見せない様に」という意味で、挙式で装う白無垢では綿帽子(わたぼうし)と呼ばれる大きな楕円状の帽子を、色打掛には角隠しを用いる事が多い。
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2007/12/21


尾張 大野城跡 Owari Oono-jou-ato Ono Castle Ruins in Owari

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 大野城は別名・宮山城ともいい、伊勢湾が一望できる青海山(せいかいざん)の山頂に築かれている。城主は尾張源氏の大野氏・一色氏・佐治氏四代と続いた。
 大野城主・佐治氏は、知多水軍を率いて海運による交易などを進め、伊勢湾の海上交通を支配する上で重要な役割を果たしてきた。織田信長の妹と後の徳川秀忠の妻となる姪が佐治氏に嫁いだことも、信長が知多水軍の輸送力を重要視していたためと伝えられる。
 織田信長の妹お市の末娘・小督の方(おごうのかた)は、城主・佐治与九郎のもとへ嫁いだ後、徳川三代将軍家光の母となる。
 現在は城山公園として整備され、二層の天守閣に見立てた展望台と城門が建てられている。伊勢湾をのぞむ天主閣からの景色は素晴らしい。また、物見櫓跡には大野城主であった佐治氏を祀る佐治神社がある。
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2007/11/15


宝船熊手 Takarabune-kumade Takarabune-kumade (Treasure Ship Rakes)

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 毎年一一月に催される酉の市。その発祥の地とされる浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市だけで販売される縁起物が宝船熊手だ。製造販売している店は現在、浅草「よし田」のみ。サイズは二寸から一尺三寸まであり、酉の市が終わった日から一年かけて作られる。
 型で切り抜いた紙に線を描き、絵の具で彩色。面相(顔描き)をすませた人形を宝船に刺し込み、全体のバランスを整えれば完成。特に難しいのが表情を描き分けなければいけない面相だ。この手描きの手法は江戸時代から代々受け継がれてきたもの。現在は「よし田」大女将の吉田啓子さん、長女の京子さんが継承している。
 七福神や財宝、鯛などが鮮やかに彩られ、注連縄の先端を船の舳先に似せて熊手全体が宝船に見立てられているのが特徴。全体に赤い色を使っていることから「赤物」と呼ばれている。鷲神社の酉の市で最も人気の高い縁起物のひとつである。
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2007/11/9


牡丹色(ボタンイロ) Botan-iro 

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 元は薬用として栽培されていた中国原産の牡丹。その美しく妖艶な花は「花の王」として愛好され、そして多くの歌に詠まれ、絵に描かれてきた。日本国内で文学に登場したのは枕草子が最初だとされている。
 その牡丹の花の色に因んで名づけられた日本の伝統色が、濃い紫紅色を指す牡丹色(ぼたんいろ)である。
 平安時代、宮廷の女官達は着物を何枚も重ね着し、その表に表れる衣色の配列を「重ねの色目」として、草や花に見立て季節などを表現していた。牡丹色はその頃より装束に取り上げられるようになったとされている。明治時代に入り、少しずつ化学染料が使われるようになってから、牡丹色は更に濃く鮮やかな赤紫色に染め上げられた。
 紅とは異なる、紫がかった華やかな色合いの着物は、多くの女性に爆発的な支持を得、愛されたのだと伝えられている。
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