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2007/11/12


烏帽子 Eboshi 

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 烏帽子(えぼし)とは、平安時代から近代にかけて被られた、長くて黒い帽子の事である。
 古代の帽子で、平安時代には公家は円筒状の立烏帽子、武家は少し先が折れた折烏帽子を着用した。
 冠から派生していると考えられ、文字どおり烏の羽根のように黒い漆が塗布されている。
 平安時代以降になると、身分の貴賤にかかわらず成人男性が被った帽子を指し、被り物をしていない頭を人前に晒す事は恥辱とされていた。
 当初は布で作られていたが、15世紀頃より紙に漆を馴染ませて強度を持たせた紙製の烏帽子が出現し、江戸期にかけて一般化するとともに、烏帽子の大型化に伴って頭頂を剃り上げる月代(さかやき)が普及し、一般民衆に烏帽子を被らない事が定着していった。
 烏帽子は、中世日本の成人男子にとって、基本となる服飾である。
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2007/10/31


西琳寺 Sairin-ji Sairinji Temple

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 西琳寺は、大阪府羽曳野市古市にある高野山真言宗の寺院である。本尊は薬師如来立像。
 欽明天皇の勅願寺として建立された向原寺を起源とし、7世紀前半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文(かわちのふみ)氏が開基したとされる。
 出土品の瓦などから、飛鳥時代の創建が裏付けられているが、境内の庭に置かれた高さ2メートル近い塔礎石は重量27トンを超え、塔礎としては飛鳥時代最大のものである。また、当時の伽藍の資材について記された資料では、679年には七堂伽藍が完成し、743年まで七堂伽藍を揃えていた事が確認されているが、戦国時代の兵火と明治の廃仏毀釈により堂塔のほぼ全てを喪失した。
 河内飛鳥七福神の1つに数えられ、風折烏帽子に狩衣、釣竿を肩にかけ、こわきに鯛をかかえた姿の恵比寿神も祀られている。
 西琳寺は、長い歴史と伝説を持つ、古代寺院である。
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2007/9/7


羅 Ra 

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 羅(ら)は羅織とも言われ、隣り合う経糸が搦み合って、まるで編み物のような特色を示す綟り織(もじりおり)の一種であり、そうした綟り織の中でも最も古いものと考えられている。
 通常、織物では経糸は平行し、交わることはないが、羅では隣り合った経糸同士が交差する。そして更に隣の経糸とも交差し、網目状に広がっていく特色を持つ。その様が「編み物」と表現される由縁である。
 中国や南米ペルーに紀元前からあるもので、日本には奈良時代に中国から伝来したと見られ、飛鳥時代や奈良時代の遺品に、多種多様なものが今に伝えられている。
 平安時代には、貴族の象徴である烏帽子のほとんどがこの羅で織られたものであるほどだが、平安時代移行は次第に衰退し、江戸時代では最も単純な羅が織られはしていたものの、本格的な復活は昭和に入ってからである。
 夏の織物の王様ともいわれ、軽やかで張りのある生地が織りあがる羅は、二千年経った今も愛され続けている逸品である。
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2007/8/9


三河万歳 Mikawa-manzai 

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 新年を祝う歌舞として、愛知県に伝わる伝統芸能。万歳は新春の祝福芸とされ、現在の「漫才」の元祖となる。中啓(扇の一種)を持った太夫(たゆう)と鼓を打つ才蔵(さいぞう)のコンビが祝文を掛け合いながら舞う姿は、人々の笑いを誘いながら福をもたらすと考えられていた。
 万歳の起源をたどると、およそ700年以上の歴史があると伝えられている。江戸時代には三河出身の徳川家によって優遇され、太夫は武士の特権である帯刀、大紋の着用が許可され、才蔵も素襖を着用し、頭に侍烏帽子を着けることが許された。大名屋敷での万歳や江戸城の元旦の開門の儀式を司るなどして全盛期を迎えたが、戦時下は巡業が困難となり、時代の変化とともに衰退した。
 現在は、西尾市、安城市、幸田町において保存会が結成され、1975年に愛知県の無形民俗文化財に指定されている。
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2007/8/1


新城の田植踊 Shinjou-no-taue-odori Taue Odori in Shinjo

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 新城の田植踊は、宮城県気仙沼市の新城地区に古くから伝わる伝統芸能である。
 天保年間(1830~1843)の大凶作の時、平八幡神社に豊作祈願をしたのがその始まりと言い伝えられており、昔は小正月に演じられていた。
 現在は県指定無形民俗文化財にもなっており、各種祭礼時のほか、旧正月には地区の各戸を廻る。
 その踊りは、七人により演じられるもので、弥十郎と呼ばれる役が二人、後の五人はヤッサカと称する踊り手となり、盛り上げる。
 弥十郎は長烏帽子を被り、陣羽織を着て、金輪のついた「しゅろすり」という竹杖を打ち鳴らしながら前口上を述べる。
 ヤッサカたちは、豆絞りの鉢巻を締め、格子縞の長着に豆鈴のついた前回しをつけ、「ヤーンドヤーハイ」のおはやしと共に手太鼓を打ちながら跳ね踊る。
 当時の農民達が絶望の淵から神に捧げた踊りは、あでやかな衣装と共に苦難を明るく乗り越えようという思いを今に伝えている。
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2007/7/30


大倉の役人田植踊 Ookura-no-yakunin-taue-odori Yakunin Taue Odori in Okura

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 大倉の役人田植踊(おおくらのやくにんたうえおどり)は、宮城県仙台市青葉区大倉で、旧暦7月6日に行われる定義如来の夏祭りにて踊られる踊りである。県指定民俗文化財民俗芸能とされる。
 天保三(1833)年、京都生まれの源宗という法印が、大倉の人々に京の踊りを伝えたのが始まりと言われている。
 役人とは、鬼人と呼ばれる弥十郎が、田の神の役を務める意味と伝えられる。
 弥十郎の長である鬼人が、頭に日月の引立烏帽子をかぶり、背に神武天皇と書かれた陣羽織を着て田植踊りを踊る。
 踊りには、讃め言葉や返し言葉があり、鬼人が唄える口上や早乙女の歌・舞振りにこの田植踊の特徴があるとされる。
 大倉の役人田植踊は、地域社会の中で伝承されてきた、伝統ある民俗芸能である。
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2007/7/24


大山寺 稚児行列 Daisen-ji Chigo-gyouretsu Chigo-Gyoretsu at Daisenji Temple

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 鳥取県の大山隠岐国立公園内にある大山寺(だいせんじ)では、毎年10月下旬から11月始めにかけて、「大山紅葉まつり」が開催される。
 大山が赤や黄に彩られる、紅葉の美しい時期に合わせて行われる恒例行事である。
 10月29日には稚児行列(ちごぎょうれつ)のほか、僧兵の練り歩き、大護摩法要、11月3日には大山僧兵太鼓など、各種演目がとり行われる。
 稚児行列は3~5歳の子供達が、お揃いの平安時代の装束・水干を身に付けて、同じく平安時代の化粧を施し練り歩くもの。
 男児は烏帽子を、女児は天冠を被る。その可愛らしい姿の稚児行列は、大山紅葉まつりのフォトコンテストの格好の被写体である。
 
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2007/7/4


阿蘇の火まつり Aso-no-hi-matsuri 

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 阿蘇の火まつりは単独の祭りではない。三月、地域毎に数々行なわれる諸行事を総称して「阿蘇の火まつり」と呼んでいる。
 根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳の阿蘇五岳を中心とした町村各所で行なわれる「野焼き」や「火文字焼き」、阿蘇神社の「火振り神事」などの「火」にまつわる行事がそれである。
 この祭りは、昭和五九年に始まった熊本県の「日本一づくり運動」事業の一環として始められた。
 本来農作業であった野焼きは危険を伴うため、それに代わるものとして「火文字焼き」を始めるなど、5市町村がそれぞれ特徴を活かした様々な催しにまとめられてきた。
 「火祭り」の一大イベントとなった「火文字焼き」は、350mもの「火」の文字が山の斜面を覆うという壮大さである。
 また「火振り神事」は、参道に集まった氏子や観光客たちがカヤの束に火をつけて振り回すという勇壮なもの。御前迎え(ごぜむかえ)とも呼ばれ、阿蘇神社十二祭神のうちの国龍神の結婚の儀式で、火まつりの幕開け行事である。
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