NIPPON Kichi - 日本吉

記事数61件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/4/22


アクリルのからくり人形 Akuriru-no-kawakuri-ningyou Acrylic Karakuri Doll

Jp En

 「からくり」は、機巧、絡繰、機関などと書かれるように、日本の伝統的な機械仕掛けのものを指し、特に江戸時代には、時計の歯車の技術を導入した精巧なからくり人形が作られた。
 その「からくり」の仕掛けをわかりやすく図示して世に公開したのが、土佐の郷士、細川半蔵である。この江戸時代の機械工学書『機功図彙(からくりずい)』は多くの職人が技術を発展させるきっかけになり、日本のロボット製造技術の原点ともいわれている。
 そして20世紀に誕生したアクリル樹脂。半蔵の「公開魂」は、この「からくり」を復元した大野勇太郎にも受け継がれ、アクリル製のからくり人形が誕生した。
 現在の最先端技術による透明な歯車の美しさ、それが組み合わさった姿、そして歯車の動く様子が見られるのがすばらしい。
 綺麗な着物を着た人形が美しくお茶を運んでくれる。そのこと自身がとてもエキサイトであるが、中味を知りたい。作りたい。そして仕掛けも綺麗に見せたい。
 そんな職人達の気持ちが日本の美意識を支えている。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/4/16


鴨ヶ浦 Kamogaura 

Jp

 鴨ヶ浦(かもがうら)は、石川県輪島市の輪島崎突端に位置する海岸である。
 輪島港の近くにあり、波の静かな袖ヶ浜に隣接した、海蝕による白い奇岩が連なる岩礁地帯となっており、東西400m、南北150mに渡って広がっている。
 海中に浮遊する植物性プランクトンが、冬の日本海の荒波にもまれて発生した粘液によって、石鹸状の白い泡を作り出す「波の花」の発生ポイントとしても知られ、その荒波によって生まれた様々な奇岩が点在している。また、そうした奇岩を利用した海水プールも設けられている。
 水の透明度も高く、波の穏やかなときであれば泳いでいる魚や磯に生きる様々な生物を間近に観察することもできる。
 すぐ近くに建つ竜ヶ崎灯台からは、日本海から立ち昇る輝く朝日、そして水平線を赤く照らしながら沈み行く夕陽と、一日に二度も絶景に立ち会うこともでき、磯の楽しみと共に景色も堪能することができる絶好の場所となっている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/4/8


柿渋和紙バッグ Kakishibu-washi-baggu 

Jp

 柿渋(かきしぶ)は、柿の実がまだ未熟なうちに収穫し、粉砕、圧搾して得た汁液を発酵させた、赤褐色の半透明の液である。柿タンニンやシブオールを多く含み、発酵によって生じた独特の臭気持つ。防かびや防虫効果があり、古くから建築用の塗料、また布の染料としても伝統的に使われてきた。木材に塗ると、時が経つにつれて赤みを帯びた色合いに変化する、日本古来の天然素材である。
 布や紙の補強剤としても利用され、柿渋和紙という味わい深い和紙も作られるようになった。和紙を柿渋の液で染めると、表面に細かな皺が入り、天日に干してプレスなどするとほんのりとした艶が出る。紙製でありながらしっかりとしたコシを持つため、その用途は様々である。
 柿渋和紙に、草木染で染め上げたコットンスラブをカジュアルに合せた、この新感覚のバッグは、独特の素材感や模様が人気があり、使い込むほど味が出る。日本の生活の知恵が今の感覚の上に蘇る一品である。
Magic Garden
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/18


松前小島 Matsumae-kojima 

Jp

 北海道で唯一の城、松前城の城下町として知られている松前町に「松前小島(まつまえこじま)」はある。沖合24キロメートルにあるこの島は、周囲4キロメートルの無人島である。
 松前小島は北海道の最南端で、国指定の天然記念物となっているため、島内には許可なく立ち入ることはできない。しかし海が荒れた時は避難港として使用するため、灯台と港が設置されている。
 島の海岸は断崖で、ケイマフリ、ウトウ、ウミウ、ウミガラス、ウミネコなど、海鳥の繁殖地となっており、島内の大部分は草原となっている。
 松前小島周辺は大ヒヤク島、小ヒヤク島、天神島、サザエ島などの島が点在してり、また島の周りの海は、対馬海流の影響により温暖なため、様々な生物が生態している。大マグロやブリの群を見るのは稀だが、コブダイ、コウイカ、メバル、カサゴ、ナベカ、リュウグウハゼ、アイナメ、クロソイなどは定番である。潮通しがとてもいいので、透明度は抜群である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/3/11


天草 高浜焼 Amakusa Takahama-yaki 

Jp

 熊本県天草地方で焼かれる陶磁器類をまとめて、天草陶磁器(あまくさとうじき)と呼ぶ。平成一五(2003)年に国の伝統的工芸品に指定された際、新たに名付けられた呼び名で、高浜焼(たかはまやき)はこれらを代表する磁器の一つ。
 宝暦一二(1762)年、上田伝五右衛門が天草西海岸に産出される純度の高い陶石を使用して磁器を作るため、肥前の陶工を招いて高浜に窯を開き、白磁の生産をしたことに始まる。安永六(1777)年、長崎奉行によりオランダ向きの焼物製作を命じられ、染付色絵の欧風皿などの生産を行い、明治三三(1900)年まで続けられたが廃窯した。昭和二七(1952)年に再興され、現在は白磁の食器類を中心に作られている。
 現代の生活様式に調和する「白く」「薄く」「透明な」をモットーに、世界に誇る天草陶石の良質の原料を生かし、洗練された高度な技を駆使して焼き継がれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/25


塚本快示(人間国宝) TsukamotoKaiji 

Jp

 つかもと・かいじ。大正元(1912)年一二月一四日~平成二(1990)年六月一〇日。陶芸家で、世界陶磁の宝といわれる中国白磁(はくじ)・青白磁(せいはくじ)の再現に成功した。
 岐阜県土岐市の製陶を家業とする家に生まれ、一五歳で父を助けながら作陶を始める。戦後、陶芸デザイナーの日根野作三に師事し、クラフト風な磁器の制作と平行して中国陶磁の研究に励んだ。主に目標としたのは、中国北宋時代に製作された白磁・青白磁である。
 白磁・青白磁は透明な釉薬(ゆうやく)をかけるため、白い陶肌を生む陶土が必要不可欠。そのため、日本のみならず世界各地で陶土を捜し求めた。
 三六歳の頃、古陶磁研究家の小山冨士夫が著した『影青記』に感銘を受け、自らの技術を更に磨き精度を高めていった。特に、陶土がまだ乾き切らないうちに竹のヘラなどで刻まれる片切り模様の精緻さと優美さは、他の追随を許さなかった。
 昭和五八(1983)年、重要無形文化財「白磁」「青白磁」保持者(人間国宝)に認定された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/24


高田焼 Kouda-yaki 

Jp

 高田焼(こうだやき)は別名・八代焼(やつしろやき)とも呼ばれ、熊本県八代市に四〇〇年以上伝わる焼物である。
 陶工・尊楷(そんかい)は、豊臣秀吉が朝鮮出兵した折に連れてきた、数多くの優れた技術者のひとりである。一度本国へ戻り、高麗焼の技法を身につけた尊楷は、慶長七(1602)年、現在の福岡県北九州市にあたる豊前小倉の藩主・細川忠興に招かれ、上野(あがの)の窯を築いたと言われている。
 その後、細川藩の肥後転封に伴って、尊楷は息子達と共に八代郡高田郷奈良木村に窯を開き、それが後に高田焼と呼ばれるようになったという。
 素地が完全に乾く前に模様を彫り込み、そこに白土を埋め込む。そして余分な土を削り落とした後に透明な釉薬をかける、白土象嵌(ぞうがん)と呼ばれる特殊な技法が特徴的である。
 高麗の伝統を日本の今に伝える、美しく貴重な焼物である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/15


青磁釉 Seijiyuu 

Jp

 澄み渡る空のような、透明感のある薄青色に焼きあがる青磁は、中国で生まれ、人々を魅了し、日本でも古来より重宝されてきた。
 青磁の青色を出す青磁釉の原料になるのは灰で、中国の陶工が、焼成中の器の表面に燃料用の薪の灰が降りかかって化学作用を起こしたことからヒントを得た。と伝えられている。
 原料になる植物灰に、僅かに鉄分を加えた釉薬を使い、高い温度で還元焼成したものだけが青磁と呼ばれるという。釉薬に含まれる鉄分の加減で色が複雑に変化するため、安定した色を出すのは非常に難しいとされているが、それはまた作品の面白さにも繋がっている。産地や時代ごとに色合いに変化が見られ、青磁の奥深さが感じられる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数61件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5445
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter