NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/24


親子熊岩 Oyakoguma-iwa The Mother and Child Bear Rocks

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北海道の長磯海岸には、自然が作り上げた多数の奇岩が点在している。その中でも一番有名なのが「親子熊岩」。その名にまつわる謂れの残る岩である。
 大昔、飢餓に悩み山奥から海岸に辿りつき、海岸で蟹を小熊に食べさせているうちに、足を滑らせ海に落ちた小熊を助けようと、共に溺れてしまった親熊。小熊を想う親熊の愛の深さに打たれた、神様が親子を海中から救い上げ、そのまま岩の形に変えたというもの。確かに、親熊が小熊を抱きかかえようとしているように見えるシルエットは、自然の産物とは思えないほどリアルな形をしている。
 夕陽が沈む頃には更に情緒のある姿がくっきりと現れる。
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2007/10/23


時田英明 Tokita Hideaki Hideaki Tokita

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 日本に数十人しかいないといわれる根付の世界で、大型新人として注目をあつめる根付師・時田英明(ときたひであき)。1979年、東京都生まれ。
 根付とは、江戸時代に流行した、印籠や巾着などを帯から提げるための「留め具」となる小さな飾り物のこと。現在、コレクターは日本よりも海外に多く、彼もまた留学先のニュージーランドで根付の存在をはじめて知り、翡翠彫刻を学び始める。
 その後同国にて、師匠となる彫刻家・ミック氏と出会う。彼に学びながら彫り始めた根付は、世界トップクラスの根付コレクターから絶賛、奨励を受けるようになっていき、2007年には国内でも「日本象牙彫刻会・新人賞」を受賞した。
 「観察する時間は、教わっている時間と同じ。たかが葉っぱ一枚でも、何かを得ようとする努力で、何かが得られる」
 自分をぎりぎりに追い込みながら、直感を研ぎ澄ます生き方の中で生まれる作品は、唯一無二の強烈な存在感を解き放つ。
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2007/10/4


よしの滝 Yoshino-daki The Yoshinodaki Waterfall

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 よしの滝(よしのだき)は、静岡県沼津市戸田新田にある落差6m、幅2mの滝である。
 県道修善寺戸田線沿いにあり、滝の周りには遊歩道が整備されている。また、手前の吊り橋からは、清流の落ちる様子をじっくりと見る事ができる。
 階段状になった段々の岩肌を、水が滑るように流れているという、可愛らしい滝である。
 正面から見ると崩れた岩が前にあり、下の方が見難いが、その冷たく透き通る水には旅の疲れが癒されるようである。
 この滝の南方には「はかま滝」があり、滝を見下ろす位置に展望台があって、オートキャンプ場としても整備されている。
 これらの渓流の水を集めた戸田大川は、アマゴやズガニの生息する美しい川となっている。
 よしの滝は、人の訪れることの少ない、静かな瀑布である。
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2007/6/20


赤沼 Aka-numa 

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 赤沼(あかぬま)は、青森県南津軽郡藤崎町福舘にある民間信仰の場とされた沼である。
 福館の館の地名は、中世に築かれた砦である保塁から付けられたと言われている。
 浪岡川の河跡湖である赤沼は底なしで、藤崎町矢沢の赤沼と通じており、沼の主は蟹であり、坂上田村麻呂にかかわる伝説を伝えるという。
 また、村に異変があると赤く濁った事から、その名がついたといわれており、その色で豊凶を占っていたと伝わっている。
 赤沼のほとりには薬師如来が祀られていたが、この地方の八幡宮が中島と小畑地区に分離するに当たって、合祀された。
 赤沼は、不思議な伝説を持つ沼であり、その存在は村にとって吉凶を知る上で、とても重要なものであったと推察出来る場所である。
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2007/1/28


雫石城 Shizukuishi-jou Shizukuishi Castle

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 築城は南北朝時代、南朝方の拠点として滴石戸沢氏(しずくいしとざわし)によって興国(こうこく)元(1340)年頃に築かれたとされる。
 出羽国への交通の要衝にあたる雫石盆地のほぼ中央の台地の先端に位置し、南に雫石川、北に蟹沢川が東流する。
 東西に連なる郭は東から本丸、二の丸、三の丸跡と伝えられ、さらに西郭が続き、本丸は東西が約90m、南北が60mほどで、幅6〜12m、深さ2〜5mの薬研堀も残っており、斯波氏の氏神の八幡宮をまつる。
 天正14(1586)年に南部信直に攻められ落城し、天正20(1592)年には豊臣秀吉の城破却令で廃城となった。
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2006/12/15


八戸焼 Hachinohe-yaki Hachinohe Ware

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 八戸焼は、江戸時代末期(幕末期)まで青森県八戸市内の蟹沢山中で焼かれていた伝統的な焼き物の呼び名。、現在では昭山窯ただひとつだけではあるが、伝統的な八戸焼が作り続けられている。
 その昔八戸焼は、庶民のための焼物として親しまれていた。しかし、時代とともに廃れていき、昭和に入ると「幻の焼物」などと呼ばれるようにまでなったのだった。
現在の八戸焼は、昭和50年、昭山窯初代渡辺昭山により復興を遂げた。佐渡の窯元に生まれた昭山は、ふとしたことから八戸焼の存在を知る。その魅力に取り付かれて研究に没頭し、遂に「八戸焼・昭山窯・渡辺陶房」を開窯するに到ったのである。そして試行錯誤の末、独自の八戸焼を造り出した。現在は、二代目、渡辺真樹が伝統の技を受け継いでいる。
八戸焼は、青森県の伝統工芸品に指定されている。
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