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2008/7/17


札幌市時計台 Sapporo-shi-tokeidai Sapporo Clock Tower.

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 札幌市の時計台は、札幌農学校の頃、生徒の心身を鍛え兵式訓練などに使う目的で「演武場」(体育館)として1878年に建設された。今では「時計台」の愛称で知られ、多くの人に親しまれている。
 正式には「旧札幌農学校演武場」という名称で、北海道大学の前身である札幌農学校の一施設であった。建設当初は時を知らせる鐘楼だけで、時計は設置されていなかったが、1階を研究室として利用していて振動で実験に不具合が出た事から1881年に設置された。1888年には札幌標準時の時計に指定されている。
 1903年に農学校が現在の北海道大学の場所に移転し、そのままにされていたが、1906年に札幌区が買い取り、解体せずに曳家で現在地に移転した。
 札幌市民に守られてきた時計台は、1970年に国指定重要文化財に指定され、1995年から4年間に亘って修復工事が行われて、展示室や貸しホールとして活用されている。
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2008/7/10


シュミッツ クリストフ Syumittsu Kurisutofu Dr. Christoph Schmitz

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 漢字学の巨人・白川静氏が構築した白川文字学の研究者で、哲学思想史・日本思想史研究者。ドイツ・ケルン生まれ。東京都在住。
 ドイツと日本の大学で歴史と哲学、哲学史を基礎に日本思想史を学んでいる時に漢字に興味を抱きはじめる。しかし、西洋の漢字教育では、漢字の形とその意味の関係について充分に説明されないことに、落胆。その後、一九九七年、日本の新聞に載った白川静氏のインタビュー記事を読み、「白川先生の偉業や字書を世界に紹介したい」と考え、ドイツの市民大学などで哲学思想史と漢字を教えた後、白川氏訪問のため二〇〇一年に来日、初めて対面する。二〇〇二年、東大法学部に研究生として入学。
 二〇〇三年一二月、白川静著の漢字入門字典『常用字解』の英訳を始め、ほぼ三年かけて完成。漢字の成り立ちを自然に理解できる漢字学習の基礎づくりをめざしている。
[→より詳しい記事を見たい方はこちら]
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2007/10/12


沈金 Chinkin Chinkin (Gold-inlay Carving)

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 沈金(ちんきん)は、漆芸の装飾技法で、漆の塗面に沈金刀と呼ばれる特殊な刀で紋様を彫り、漆を摺りこんだ後、金箔や金粉などを窪みに埋めるもの。日本には室町時代に伝わったと言われ、石川県輪島市に伝わる伝統工芸だ。
 沈金の重要無形文化財保持者(人間国宝)である前史雄氏(1940〜)は、昭和38年金沢美術工芸大学美術学科卒業後、沈金の名工と謳われた父・前得二に師事、技の鍛錬に努めた。
 沈金ノミについて研究を深め、自身でノミのかたちまで考え、各種沈金技術を駆使した作品を生み出す。卓越した沈金技術で描く繊細で情感豊かな表現が独自の作風をつくりだしている。
 後進の指導にも尽力しており、石川県立輪島漆芸技術研修所などにおける漆芸の技術教育に貢献している。
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杉原紙 Sugihara-gami Sugihara Paper

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 杉原紙は、兵庫県多可町加美区に千年以上受け継がれている伝統工芸品だ。
 奥深い谷からこんこんと湧き出る冷たく澄んだ水と、雪の舞う厳しい気候風土に育まれた楮(こうぞ)により生まれた杉原紙。
 奈良時代から歴史がはじまり、他の地方より進んだ製紙技術で写経用紙や薄紙を製造。紙の質・生産量ともに日本一と呼ばれた。しかし、時代の推移とともに洋紙に取って代わられ、大正十四年、杉原谷での紙漉きは幕を閉じたのだった。
 町をあげて日本一の名紙と謳われた杉原紙の保存に取り組むようになったのは昭和四一年から。杉原紙発祥の地の記念碑を立て、昭和四七年には杉原紙研究所を設立、昔ながらの製法で紙漉きを再開、現在では年間700キログラムの紙を生産している。昭和五八年には、県の重要無形文化財に指定されるまでに復活を遂げたのである。
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2007/9/7


田束山 Tatsugane-san 

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 宮城県本吉郡南三陸町に位置する田束山(たつがねさん)は、かっては霊峰田束山として奥州平泉で栄華を極めた藤原一族が崇拝していた山である。
 そのため、山頂からは平安時代末期の藤原氏ゆかりの経塚群などが多く出土し、平泉文化を研究するうえでも貴重な場所である。
 山腹には三十三観音や不動明王が並ぶ石像公園や、しあわせの森、ふれあいの森公園などが設けられ、市民の憩いの場ともなっている。
 特に、五月のつつじ、六月のアヤメと初夏の田束山には見所が多く、たくさんの人々で賑わいをみせている。また、山頂から見るリアス式海岸も美しい。
 五月には僧侶と山伏による盛大な護摩祈祷も行われる。
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2007/8/10


白川静 ShirakawaShizuka Shizuka Shirakawa

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 漢字研究の世界的第一人者。
 明治四十三(1910)年、福井生まれ。十代半ばから漢学に親しみ基礎を築く。
 昭和四五(1970)年に「漢字」を上梓。漢字学の通説を覆す独自の視点を獲得する。
 中国の思想・文化を斬新な解釈で綴った「詩経」「金文の世界」「孔子伝」の 刊行を経て、昭和五九(1984)年に「文字」の成り立ちをまとめた字源辞書である「字統」に到達。その後も「漢字」に呪術的な世界観を見出すという独自のアプローチが展開され、「字訓」「字通」を刊行、漢字学三部作は完成した。
 平成9(1997)年に、文字文化研究所所長に就任。翌年に文化功労者として顕彰される。
平成一五(2004)年には文化勲章を受章。平成一七(2006)年十月三〇日、九六歳で逝去。白川静の漢字宇宙
への飽くなき探求は、多くの研究者たちに引き継がれ、発展を遂げている。
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2007/7/25


志野 Shino Shino Ware

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 志野(しの)は、美濃焼の一種で、白い釉薬(うわぐすり)を厚くたっぷりかけて焼き上げた、素朴でどっしりと分厚い表情が魅力の焼き物である。
 志野は、16世紀後半の桃山時代に茶陶として生まれたもの。長石と鉄分を含んだ鉄などで作った釉薬を使って、さまざまな色を出すのが特徴である。釉薬の配合、焼き時間、焼き方などの条件により白やねずみ色、緋(ひ)色などに色を調節する。
 1300年の歴史を刻む焼き物の郷、美濃で生まれた志野は、日本各地の窯が真似たことで本来の姿が失われ、一時期忘れ去られたこともあった。
 しかし、昭和五年、美濃の遺跡で当時の志野のかけらを発見した荒川豊蔵氏により、志野は400年の眠りから目覚めた。以来、荒川豊蔵氏は志野再現の火付け役となり、古典復興の主導者として情熱的に活躍する。
 現在では、この志野の魅力にとりつかれた陶工たちが研究を重ねながら新たな境地を切り開いているという。
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2007/6/26


オタフンベチャシ跡 Otafunbe-chashi-ato 

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 北海道、十勝郡浦幌町の太平洋沿岸の半独立丘陵上にあるアイヌ期の遺跡である。
 「オタ・フンベ」とは、アイヌ語で「砂・クジラ」という意味。また「チャシ」とは「柵」とか「柵囲い」を意味しており、一般的には「砦」の文字を当てる。直訳すれば「砂クジラ砦」ということになるが、チャシはもともと信仰的な施設であり、祭りや談合の場としての機能を果たしていたものと考えられている。
 チャシの多くは河川・海・湖沼を臨む丘陵などの端や頂部を利用して作られており、方形、半円状の壕や土を盛った土壇造りが認められている。
 土地の伝承によると、厚岸アイヌと白糠アイヌの戦いで、白糠軍はこのチャシを死守したと伝えられている。
 オタフンベチャシは、その面積はほぼ縦21m、横7mで、高さは約27mと大きく、最近の調査・研究によると16〜18世紀に造築された痕跡が発見されている。
 オタフンベチャシ跡は、歴史を語るうえでも重要な遺跡である。
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