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2008/4/16


旧観坊 Kyuukanbou 

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 旧観坊(きゅうかんぼう)は、石動山(せきどうざん)旧観坊とも称し、その名のとおり、能登と越中の国境にある信仰の山、石動山中にある坊だ。
 坊とは僧侶の宿舎や参拝者達の宿泊施設を表し、石動山信仰が最盛期を迎えたころには山全体に約三百六十の坊が建ち、三千人の衆徒を擁していたという。
 明治初年の廃仏毀釈により、神仏習合の地であった同山は衰退することになるが、旧観坊はその悲運の山に残された唯一の坊である。
 建造年代は不明だが、慶安二(1649)年の書上帳にはすでに記されていることから、それ以前の建造と見られる。
 苔むした入母屋造りの厚い茅葺や時代感のある灰色の壁板など、農家風の構えをもっているが、化粧垂木(けしょうだるき)などの構造様式にはかつての寺坊としての格式を残している。
 周辺は紅葉のスポットとしても知られており、旧観坊を覆うように色付く紅葉や、廃れて森へと還りつつある坊の遺構などが、よりいっそうの趣を訪れるものに与えてくれる。
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2008/3/31


苗村神社 Namura-jinja Namura Shrine

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 苗村神社(なむらじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡竜王町綾戸にある神社である。祭神は国狭槌命(くにさずちのみこと)、大国主命、素盞嗚尊(すさのおのみこと)。
 創祀年月は不詳ながら古墳群が多く、祖霊信仰に始まる神社とされており、現在の東本殿は、地名の那牟羅と同音の長寸(なむら)と呼ばれる。
 安和二(969)年、大和国芳野金峯山の国狭槌命の神霊が、神域の西方に遷座された。この際、社殿が造営され、その社は東本殿に対して西本殿と呼ばれる。
 近隣33の村に氏子を持つ総社で、33年に1度、秋の大祭が行われる。
 境内に立ち並ぶ建築物のほとんどが国宝や重要文化財に指定されているという文化財の宝庫ともいえる神社で、茅葺きの楼門や、境内の不動堂には神仏混合の名残として木造不動明王像が安置されている。
 苗村神社は、古代より長く伝わってきた伝統の神社である。
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2008/3/7


旧佐藤家住宅 Kyuu-satou-ke-juutaku The Old House of the Sato Family

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 旧佐藤家住宅(きゅうさとうけじゅうたく)は宮城県の高蔵寺内に保存されている、一八世紀中頃、江戸時代中期の本百姓の標準的住居である。
 間口である玄関は一四・九メートル、奥行きは七.八メートルの棟を一直線につくる直屋形式(じきやけいしき)である。屋根は四方向に傾斜する茅葺の寄棟造(よせむねつくり)で、屋根の全面にはこの地方独特の半円形に膨らませた櫛形破風(くしがたはふ)の煙出しが付いており、中に入ると広間と土間庭の間仕切りが無い、東北地方独特の間取りとなっている。柱は太い粗削りの鳥居建てという古式の構造である。
 佐藤家は昔「車屋」の屋号を持ち、古くは修験者が住んでいたともいわれている。
 昭和四七年、現在の地に移転され、県指定重要文化財に指定された。
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旧中沢家住宅 Kyuu-nakazawa-ke-juutaku The Old House of the Nakazawa Family

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 旧中川家住宅(きゅうなかがわけじゅうたく)は宮城県名取市の十三塚公園内に保存されている江戸時代中期頃の名取市の標準的農家である。
 建物の構造は屋根が四方向に傾斜する茅葺の寄棟造(よせむねつくり)で、内部は田の字のように四間取りとなっている。この間の取り方は、この地方独特のもので「名取型」と呼ばれている。土間と座敷は仕切りが無く「うしもち柱」「ほいと柱」「嫁かくし柱」と呼ばれる三本の荒削の独立した柱で支えられている。そのため東北地方独特のそぼく且つ重厚間のあるどっしりとした雰囲気がただよう。
 旧中川家住宅は昭和四八年までは実際に人が居住していたが、昭和四九年に国指定の重要文化財となり、昭和五〇から昭和五一年にかけて改築、この地に移転された。
 江戸時代の庶民の生活を今に伝える大変貴重な国の財産である。
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2008/2/18


貞照院 Teishou-in 

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 後世の愛知県碧南市発展に繋がったといわれる伏見屋新田(ふしみやしんでん)を、親子二代にわたって開拓したのが三宅又兵衛(みやけまたべえ)という江戸で米穀商を営んでいた人物。その縁者が元禄年間(1688~1704)に草庵を築いた。後に有志が集まり寺としたのが貞照院(ていしょういん)の始まりとされる。
 貞照院の象徴ともいわれる茅葺きの山門は応永年間(1394~1428)に建立され、碧南市に現存する建造物の中では最古のもの。
 二二四一冊の経典が納められている経蔵(きょうぞう)は天明五(1785)年頃に建立されたと伝えられる。毎年夏には大蔵経の供養の後、経典の「虫干し供養」が数日にわたって多くの参詣者達によって行われる。
 貞照院はまた秋の紅葉の名所としても親しまれている。
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2008/1/8


旧取手宿本陣 Kyu-toridejuku-honjin Old Toridejuku Honjin

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 貞享四(1687)年に、水戸街道を通る大名などが利用する宿である本陣として取手宿の名主である染野家が選ばれた。それが旧取手宿本陣(きゅうとりでじゅくほんじん)である。
 寛政六(1794)年に一度焼失、翌年に立て直されたものが現在の母屋である。
 寄棟茅葺、桁行19m、梁間13・3mの大型の民家だが、式台玄関の上部に入母屋破風を造っており、重厚感を出している。
 内部は、宿泊を行う本陣部分と住宅部分が分かれており、三間続きの間や、書院造りの上段の間等があり、風格を重んじた造りとなっている。
 敷地内には、第9代水戸藩主徳川斉昭が天保一一(1840)年に水戸に戻る途中の利根川での船で詠んだ唄「指して行 さほのとりての渡し舟 おもふかたへは とくつきにけり」と、石に刻んだ歌碑が残っている。この歌碑は、後に江戸屋敷から届けられたもので、水戸徳川家と染野家のゆかりを示している。
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2007/11/26


あきる野 広徳寺 Akiruno Koutoku-ji 

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 広徳寺(こうとくじ)は、東京都あきる野市を流れる秋川の南岸、秋川丘陵の麓に位置する寺で、鎌倉五山建長寺の末寺でもある。
 明徳年間(1390~1394)に、この地域の長者の妻が開基、応永十(1403)年に建長寺の住職により開山された。
 天文年間(1532~1555)には北条氏康により再興され、今も客殿には北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の各位牌が安置されている。
 室町建築の面影を残す茅葺の山門をくぐるとまずは参道を挟んで聳え立つ二本のイチョウの木が出迎えてくれる。季節が訪れれば、見事な紅葉を楽しませてくれる。
 江戸時代には一万二千坪もあり、その全体が都の指定史跡になっているという広い境内には大きなカヤとタラウヨがあり、格式ある本堂など、禅宗の伽藍との見事な調和を見せてくれる。
 都の天然記念物にもなっているタラウヨの葉の裏には文字が書けるため、今では葉の一枚一枚に参拝客の願い事が書き込まれ、願掛けの木のように親しまれている。
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2007/11/14


薄(ススキ) Susuki 

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 イネ科・ススキ属の「薄(すすき)」は、日当たりの良い野原や川原などに生息する多年草で、1〜2m程の高さになる。
「芒」とも表記されるが、古くは「尾花(おばな)」と呼ばれ秋の七草の一つに数えられている。また、十五夜の月見には秋の七草の一つの萩(はぎ)と共に、飾られる事が多い。
 日本全国に分布していた薄は、以前は茅葺き屋根の材料や家畜の餌として利用されていたが、近年はその機会も少なくなっているので、草原も稀少なものになっている。
 夏の終わり頃に茎の先端に長さ20〜30cm程の花穂を付け、秋には十数本に分かれたその穂にフワッとした白い毛が生え、草原を白く染めていく。サラサラと風に揺られて聞こえる音は、季節の移り変わりを色濃く感じさせる。
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