NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/2


人形岩 Sendai Ningyo-iwa 

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 人形岩は、鹿児島県の西方海岸にある遠近に名高い奇岩。シルエットが親子の人形そっくりなことからこの名がついた。高さ10m以上もある巨岩である。
 夕陽が東シナ海に落ちていくときの人形岩のシルエットはまさに絶景。この岩には、海辺で亡くなった母親が人形岩の父と子に会いにいくためにできたという伝説が残る。この伝説を聞くと、子どもを見下ろす父親の岩の姿が一層哀愁漂うものに見えてくるから不思議だ。
 この人形岩の北側の砂浜は、昔から夏は海水浴場として賑わい、最近では冬も北西の大きな波を生かしたボートセーリングのメッカとして人気である。
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2007/10/24


親子熊岩 Oyakoguma-iwa The Mother and Child Bear Rocks

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北海道の長磯海岸には、自然が作り上げた多数の奇岩が点在している。その中でも一番有名なのが「親子熊岩」。その名にまつわる謂れの残る岩である。
 大昔、飢餓に悩み山奥から海岸に辿りつき、海岸で蟹を小熊に食べさせているうちに、足を滑らせ海に落ちた小熊を助けようと、共に溺れてしまった親熊。小熊を想う親熊の愛の深さに打たれた、神様が親子を海中から救い上げ、そのまま岩の形に変えたというもの。確かに、親熊が小熊を抱きかかえようとしているように見えるシルエットは、自然の産物とは思えないほどリアルな形をしている。
 夕陽が沈む頃には更に情緒のある姿がくっきりと現れる。
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2007/9/19


猿の子踊 Saru-no-ko-odori 

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 猿の子踊(さるのこおどり)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市池田下門にて、不定期に開催されている伝統の民俗芸能である。市の文化財に指定されている。
 延享二(1745)年、今和泉島津家の領主・島津忠郷(しまづたださと)が、日向から猿使いを招き、猿の習性を面白おかしくふりつけ、春と秋の2回、人々の苦労をなぐさめたという。
 猿は山の神、田の神の使いとして考えられた事から、その後、豊作のお祭りとして猿の子踊りが伝えられるようになったとされる。
 踊りでは、子供が真赤な衣装で顔一面赤く塗って扮装した親猿や子猿が、猿使いの命令に従い入り乱れてさまざまな芸をする。
 この奇妙な動作が整然と続けられていく様は実に見事なもので、見る者を楽しませてくれる。
 猿の子踊は、ユーモラスで可愛らしい郷土芸能である。
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2007/8/3


御陣場山 Gojinba-yama The Ruins of Gojinbayama Encampment

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 御陣場山(ごじんばやま)は、宮城県登米市迫町佐沼にある本陣跡である。
 天正一九(1591)年、伊達政宗は豊臣秀吉より葛西・大崎一揆(かさい・おおさきいっき)勢の討伐を命ぜられ、一揆勢に囲まれた領主の木村吉清・清久(きむらよしきよ・きよひさ)親子が籠もる佐沼城へと進軍を開始した。
 葛西大崎一揆とは、小田原に参陣しなかった事を理由に、豊臣秀吉の奥州仕置により領地を失った豪族の反乱である。
 この戦いの時に、政宗がこの地に陣地を構えたので、この名前がついたと伝わっている。
 結局、一揆は正宗により鎮圧され、木村親子は救出された。
 現在は、記念碑が建てられていおり、御廟山(ごびょうやま)からも眺める事ができる。
 御陣場山は、伊達政宗ゆかりの戦国の昔を偲ぶ史跡である。
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2007/7/12


熊野神社・長床 Kumano-jinjya nagatoko 

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 源頼義・義家親子が天書三(1055)年前九年の役で陸奥征討に赴く際、武運を祈って紀州熊野から、熊野堂村(現河沼郡河東町)に勧請創建したのが始まり。
 その後、後三年の役(1083〜1087年)で再びこの地を訪れた源義家は、新宮の地に移すように命じ、造営は応徳二(1085)年に始まり、寛治三(1089)年に完成遷座し現在に至る。
 新宮熊野神社には、多くの国・県・市指定の文化財があるが、中でも長床は、昭和38年に国の重要文化財に指定され昭和46年から足掛け4年の歳月をかけ、膨大な経費を費やして解体修理復元がなされた。
 長床は、長大な規模と太い柱の配列が特徴。四方が吹き抜けのため、内部に林立する太い柱が見通され、いかにも古風でまさしく、平安期の荘厳な趣を今に伝えている。
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2007/7/10


熊越の滝 Kuma-goe-no-taki 

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 北海道東部知床半島のほぼ中央。そのオホーツク海側にある羅臼町を流れる、羅臼川にかかるのが熊越えの滝だ。
 落差15mほどの高さを白く、豪快に流れ落ちる瀑容は、さすが名前に熊という字が入るだけのことはある、と思わせる迫力をかもし出している。
 しかし、その名前の由来はそんな勇壮なものではなく、動物と人との間の、ある物語に彩られている。
 昔、猟師に追われた熊の親子がこの滝に追い詰められた。親熊は小熊だけでも滝の上に逃がそうと、下から小熊を押し上げようとした。そんな親子愛に心打たれた猟師は、その二頭を逃がしてやった。以来、羅臼の熊は人を襲わなくなったという。
 そんな、心温まる逸話を名に冠した滝なのである。
 融雪期には水量も増え、よりいっそうとその雄大な飛瀑と流れ落ちる轟音を味あわせてくれる美しい滝だが、そんなやさしい秘話を聞けば、滝を見る目も幾分変わってくるというものだ。
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2007/6/19


親子岩 Oyako-iwa Oyako-iwa Rocks

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 親子岩(おやこいわ)とは、北海道様似郡様似町にある、大小3つの岩が父と母と子に見え、親子のように寄り添って並ぶ場所のことである。景勝様似八景に選ばれている。
 ウンペ・レプンケというアイヌ語呼称が親子岩の意味を持ち、そこから名付けられたとされる。
 見る向きによって1つにも2つにも見えるこの不思議な岩には、東の方から戦で負けたアイヌの村長が、海に入り岩に姿を変え、追っ手の矢によって3つに割れたという伝承が伝えられている。
 周辺には親子岩展望台、釣り防波堤、親子岩ふれ愛ビーチがあり、海水浴やキャンプ、釣りなど海と親しめる絶好のアウトドアゾーンとなっている。
 親子岩は、夕暮れ時に特に美しく、周辺は自然環境を活かした海岸リゾートとして整備されている眺めの良い観光地である。
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2007/6/18


岩野市兵衛(人間国宝) Iwano Ichibee Ichibee Iwano (Living National Treasure)

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 昭和八(1933)年、福井県今立町生まれ。越前奉書製造で有名な人間国宝、八代目岩野市兵衛の長男として生まれる。九代目の自身も平成十二(2000)年に人間国宝に認定され、親子二代での人間国宝受賞となった。
 先代の市兵衛氏の漉く奉書は、広く内外の版画家から支持されピカソも愛用していたという。
 職人気質は父譲り、毎日ひたすら紙漉きを続けて六十余年、ただただいい紙を、という一念で仕事をしてきた。氏の漉く紙は腰が強く、どうやっても裂くことができないくらい丈夫。画家の精密な筆先でも絵の具が滲むことはない。
 葛飾北斎の極薄の版画用紙を漉いたこともある。復刻版画はバレンを何百回もかける。それに耐える紙を漉くのは難しいが、「挑戦するときは職人の血が騒ぎますね」と氏は穏やかに笑う。根っからの職人魂は、父をも超えた。
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