NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/13


桜(サクラ) Sakura 

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 言わずとしれた日本の春の象徴、桜。日本で最も有名な花である。
 「サクラ」の名称の由来は、一般的に「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものとされる。また他説として、春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)だからとされるとも考えられている。
 風流事を称して「花鳥風月」というが、日本の古典において単に「花」と言えば桜のことを指す。桜は、俳句の世界では古くから春の季語として用いられ、江戸時代の俳人・松尾芭蕉は次の句を詠んでいる。
「さまざまの事おもひ出す桜哉」
 開花時期には、大勢の花見客が桜の名所を訪れる。短い開花だからこそ、散る花の艶やかな美しさがきわだつ桜。古来より愛されてきた、日本人の心の原風景である。
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2008/6/25


乙字ケ滝 Otsuji-ga-taki 

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 乙字ケ滝(おつじがたき)は、福島県石川郡玉川村にある、落差6m、幅100mの滝である。日本の滝百選の一つに選ばれている。
 那須連峰に源を発する阿武隈川が、国道118号の境に石英安山岩質凝炭岩の断層を作っており、水が乙字の形をして流れ落ちている滝で、名称はここから来ている。
 水かさを増すと100mの川幅いっぱいに落下する様から、小ナイヤガラの滝とも言われる。
 元禄二(1689)年には俳聖松尾芭蕉が訪れ、その時に詠んだ「五月雨の滝降りうづむ水かさ哉」の句碑が滝見不動尊御堂の傍らに建立されており、他に聖徳太子石像なども建ち、全体が公園として整備されている。
 滝の左岸にある乙字ヶ滝遺跡は、約2万年前の石器、石斧などが出土しており、須賀川市で最も古い遺跡とされる。
 乙字ケ滝は、自然の雄大さを感じられる滝である。
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2008/5/15


俳句 Haiku 

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 俳句(はいく)は、五文字、七文字、五文字から成る日本独自の定型詩であり、世界最短の詩としても知られている。
 日本の伝統的詩形の一つである「連歌」から派生した「俳諧連歌」の、第一行目である発句を独立させる形で生まれた近代文芸である。
 室町時代に入り、連歌より俳諧連歌が大いに嗜まれていたが、江戸時代に松尾芭蕉が、自立性の高い発句を数多く詠んだことが源流となり、その後の明治に入って正岡子規の文学運動によって俳句として自立、発展していくこととなった。
 五、七、五の音数による言葉を発した時のリズムと、季節を象徴的に示す「季語」、発句の完結性を表す「切れ」によって、非常に短い詩でありながら心象を大きくひろげることができる特徴を持っており、今も昔も人々をひきつけて止まない魅力となっている。
 現代においても性別や年齢を問わず、俳句と聞けば言葉は簡単に出ずとも五、七、五のリズムを思い浮かべることができるほど、日本人の深くに浸透している詩の形式でもあるだろう。
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2008/2/6


落柿舎 Rakushi-sha 

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 落柿舎(らくししゃ)は、京都嵯峨野の豊かな緑の中に佇む一軒の草庵である。
 江戸期の俳人であり、松尾芭蕉門下の「蕉門十哲」の一人でもあった向井去来(むかいきょらい)が閉居としていた庵で、貞享三(1686)年に造営された。
 落柿舎の名の由来は、庭に実った柿を売る契約を交わし、代金ももらったその翌日、台風で全て落ちてしまった出来事にあるという。
 元禄四(1691)年には芭蕉がこの庵に滞在、「嵯峨日記」を記したともいわれている。
 去来の没後は庵は荒廃し、元の場所も分からなくなっていたが、明和七(1770)年、京都の俳人であった井上重厚が、現在の地に再建した。
 嵯峨野に広がる山と、のどかな田園風景に溶け込むわら葺きの建物は、いつか見たような懐かしい風情を漂わせている。
 去来在宅を訪れる人に知らせていたといわれる蓑と笠が、今も土間の壁に掛けられている。
 庵に赴けば、入り口から見える蓑と笠。どうやら主人は在宅のようである。
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2007/10/31


吉野 西行庵 Yoshino Saigyou-an Yoshino Saigyo-an Hut

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 西行庵は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある庵である。
 西行は、「新古今集」や「山家集」で知られる、平安末期の歌人。西行庵は、旅の歌人・西行法師が、俗塵を避けて3年の春秋を隠棲したとされる小さな庵である。
 近くには今も苔清水と呼ばれる清らかな水が湧き出ていて、貞亨元(1684)年には西行を慕って松尾芭蕉もここを訪れ、歌を詠んでいる。
 清水は、大和の水31選の一つに数えられている。
 西行の歌碑や、芭蕉の句碑が立ち、春秋は桜、紅葉が美しい。
 西行庵は、歌の心を刺激する場所である。
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2007/10/4


沼津 日枝神社 Numazu Hie-jinja Hie Shrine in Numazu

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 沼津日枝(ぬまづひえ)神社は、静岡県の沼津市に鎮座し明治に至るまで近郷近在二二ヶ村の総鎮守であった。
 嘉保二(1095)年、比叡山の天台僧兵の強訴に対し関白・藤原師通(ふじわらのもろみち)が兵を向け僧兵に負傷者が出たため、師通は呪詛により急逝してしまう。この事件の翌年の永長元(1096)年、師通の母によって所領地で大岡庄と呼ばれていた現在の地に勧請したのが始まりとされる。
 山王信仰に基づいて京都の日吉神社より大山咋神、大己貴神、大歳神の三座を分祀して建立されたため、山王社とも称される。
 同社には国の重要文化財に指定されている「紙本着色山王霊験記(しほんちゃくしょくさんのうれいけんき)」の一巻が保存されているほか、数多くの古文書類が残されていることでも知られ、境内には同社を訪れた松尾芭蕉の句碑もある。
 毎年の九月二三日からの二日間には例大祭も催され、沼津の秋の風物詩として、「山王さん」の愛称と共に今も地域の人々に親しまれている神社である。
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2007/9/6


韮神山三十三観音 Niragami-yama-sanjuu-san-kannon Niragamiyama 33 Kannon Stone Statues

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 韮神山三十三観音(にらがみやまさんじゅうさんかんのん)は、宮城県柴田郡村田町沼辺の町はずれにそびえ立つ、標高94mの韮神山山頂にある石仏群である。
 韮神山は、黄韮が自生していたのでこの名前がついたとされる山で、かつては文治の役の古戦場であり、現在は藤原実方の歌碑が建ち、松尾芭蕉が歌を詠んだ地としても知られている。
 展望台からは雄大な蔵王連峰や白石川の大パノラマが体感でき、その展望台付近に三十三観音は祀られている。
 三十三観音は、弘化三(1846)年、大河原等の複数の寄進者によって韮神山の頂に建立されたもので、西国三十三観音をこの地に移したとされ、当時の厚い信仰心が込められている。
 韮神山三十三観音は、素朴な崇敬の念が感じられる仏像群である。
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2007/8/17


陸奥上街道 Mutsukami-kaidou The Mutsukami-kaido Road

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 奥州街道の一関から栗駒、一迫町真坂を通って岩出山を結び、出羽街道に至る道で、国の指定記念物史跡に指定されている。
 元禄二年(1686年)松尾芭蕉が奥州行脚の折、平泉からの帰途この街道を通ったことが知られ、「おくのほそ道」の舞台となった街道として著名である。
 一部石畳になるなどしているが、自然のまま木々に囲まれひっそりとした小道はまさに「おくの細道」という名前がぴったり。そこはかとなく懐かしささえ感じるような道である。
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