NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/2


行基 Gyouki Gyoki

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 行基(ぎょうき)は奈良時代の僧。古代民間仏教のカリスマで、その偉業により行基菩薩と尊称された。
 天智天皇七(668)年、河内国(現・大阪府)に誕生。法興寺の道昭を師として、一五歳で出家。仏教教理の他に、土木技術を学んだ。
 「教団は王権から独立すべきである」という三階教の教えを根本思想に、伝道と社会事業を融合させ、民衆を煽動した。畿内を中心に諸国を巡り、造寺、墾田開発、橋梁架設などを押し進めた。
 驚異的な指導力が朝廷に危惧され、僧尼令違反で禁圧されたが、大仏造営の勧進役を買って出ると、逆に朝廷より大僧正位を授けられた。
 大仏造営中の天平二一(749)年、奈良・菅原寺で八一歳で入滅。『日本霊異記』『本朝法華験記』『日本往生極楽記』に数々の伝説が残る。行基の軌跡を記した「行基図」が、日本地図の原型という説もある。
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2007/9/10


五十鈴神社 Isuzu-jinja 

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 宮城県気仙沼市にある、カツオの水揚げで名高い気仙沼港に程近い神明崎の上にあるのが五十鈴神社(いすずじんじゃ)だ。
 その興りは応永年間(1394~1428)にまで遡る。当時、周辺の村毎に一社の皇大神宮を祀ることになり、丸森に建立されたのが始まりとなる。
 その後の慶安年間(1648~1652)に現在の神明崎に遷座され、今に至っている。
 境内には御祭神を祀った産霊(むすび)社と、気仙沼に海苔養殖と製塩技術を導入した、地元産業開発の祖といわれる猪狩新兵衛翁の御霊を祀る猪狩神社があり、どちらも手厚く保護されている。
 また、神社のすぐ下の神明崎先端にあたる場所には浮見堂と呼ばれるお堂があり、お堂の左右に伸びる朱に塗られた欄干がちょうど海の上に浮いているように見えるなど、深い森と青い海が調和し見事な風景を見せてくれる。
 夜になればこの浮見堂もライトアップされ、よりいっそう幻想的な雰囲気をかもし出す。
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2007/9/6


石井閘門 Ishii-koumon Ishii Locks

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 石井閘門(いしいこうもん)は、宮城県石巻市水押にある建造物である。国の重要文化財に指定されている。
 閘門とは、水位差のある川や運河などで船舶を通すために設ける水位調節機能を持つ施設で、2つの水門の間に船舶を入れる閘室を持っている。
 石井閘門は、北上運河の起点に水位調節のため建造された煉瓦閘門である。
 内務郷大久保利通の命を受け、内務省雇長工師のオランダ人ファン・ドールンが計画し、明治一三(1880)年、竣工した。
 明治政府が東北開発の拠点として建設を進めた野蒜(のびる)築港事業の代表的遺構であり、日本における近代閘門のさきがけである。
 石井閘門は、明治から大正にかけて全国に建造された近代閘門の規範を示すものとして、土木技術史上価値が高い建築物である。
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2007/8/27


群馬 桐生織 Gunma Kiryuu-ori Kiryu Textiles

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 群馬の桐生織(きりゅうおり)は、群馬県桐生市に伝わる伝統的な織物である。
 800年頃、宮中に仕える白滝姫が桐生の山田家に嫁に来て、村人に養蚕や機織りを伝えたのが始まりと伝承されている。
 鎌倉時代末の新田義貞の旗揚げをはじめ、関ヶ原の合戦では、徳川家康が桐生の白絹の旗を用いた事などから、桐生織物はその名を全国的に高めることになった。
 18世紀中頃、京都から技術を導入して発展し、19世紀前半には幕府の保護もあって高級織物を生産するようになり、今日につながっている。
 西の西陣、東の桐生とも言われ、昭和初期までは日本の基幹産業として高級品織物を中心に、繁栄してきた。
 現在、和装離れから産業として苦境に立たされているが、先端科学技術の導入など、今も努力を怠らずに独自の新製品開発を続けている。
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2007/8/16


新田荘遺跡 Nittashou-iseki Nitta-no-sho Ruins

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 新田荘遺跡(にったのしょういせき)は、群馬県太田市に広がる国指定の史跡である。
 新田荘は、平安時代末期の12世紀中頃に成立した新田氏の荘園であり、新田義重によって開発され、今も新田氏ゆかりの館跡や神社、寺院などが多数残っている。
 この史跡は、新田荘に関連する円福寺、十二所神社、総持寺、長楽寺、東照宮、明王院、生品神社ら各寺社の境内と、反町館跡、江田館跡、重殿水源、矢太神水源の11の遺跡から構成されている。
 寺社境内・館跡・湧水地など、太田市・尾島町・新田町の1市2町に跨る、広域に存在する複数の中世遺跡を、荘園としてとらえている、珍しい史跡である。
 新田荘遺跡は、鎌倉時代から南北朝時代に活躍した新田一族の栄華と、日本の中世史を伝える貴重な史料である。
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2007/8/9


玉虫塗 Tamamushi-nuri Tamamushi Lacquer Ware

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 国内はもちろん海外でも人気のある仙台生まれの漆芸。
 昭和三年、当時の商工省(現在の経済産業省)工芸指導所が仙台に設立され、昭和七年に所員であった小岩峻(作家名:古明)によって開発された漆器の塗装法である。量産と海外輸出を目的として、日本古来の伝統工芸に新たな技術を加えて、外国人の趣味嗜好に合うように商品開発された。
 光や角度により艶やかな光沢と色調を見せることから「玉虫塗り」と命名された。
 漆器本来の下塗りの後、表面に銀粉をまき、赤や緑の玉虫漆で上塗をする。この銀粉まきと玉虫漆の上塗りを工程を十数回から多いもので数十回漆を塗り重ねることにより、玉虫の羽のような風合いが出てくる。
 さらに沈金(ちんきん)や蒔絵(まきえ)と呼ばれる模様付けを施すことにより製品となる。
 戦後は輸出漆器の中心を担うほど海外で人気となり、和洋、どちらにも調和する漆器として現在でも親しまれている。
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2007/8/6


三河湖 Mikawa-ko Lake Mikawa

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 三河湖(みかわこ)は、愛知県豊田市羽布町に広がる、面積約107ヘクタールの湖である。
 昭和三八(1963)年に竣工した羽布ダムの建設により、巴川をせきとめて誕生した人造湖で、湖周辺には貸しボート、桟橋、見晴らし台、広い駐車場などが存在する。
 雄々しい山々を背景にした広大な湖で、四季折々に変化をとげる雄大な美しさで知られている。
 三河湖は周遊することができ、民宿、キャンプ場、ボートクラブ、釣りなどの観光スポットとして開発が進められ、人々が大自然を満喫できる場所となっている。
 湖の名前は、ダム建設時の県知事によって付けられたものである。
 湖岸には、地域の保全・開発とダム建築に貢献した川合好太郎氏の顕彰碑が建てられている。
 三河湖は、アウトドアライフを充分に身体で感じることの出来る、豊富な自然を誇る景勝地である。
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2007/7/30


柿右衛門(濁手) Kakiemon(Nigoshi-de) Kakiemon Nigoshide Technique

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 「柿右衛門(かきえもん)」は、世界中に知られた日本を代表する磁器のブランド。この柿右衛門を語る際に忘れてはならないのが「濁手(にごしで)」である。
 柿右衛門の色絵がより美しく映えるように開発された素地がこの「濁手」。「濁し(にごし)」とは、佐賀県地方の方言で、米の研ぎ汁を指す。真っ白ではなく温かみのある乳白色の磁胎、それが「濁手」であり、この素地があってこそ柿右衛門様式の余白の美が成り立つと言える。この技術が確立、作品が盛んに作られるようになったのは江戸初期の五代柿右衛門の頃。しかし、原料の調達等大変コストがかかるため、一時期姿を消すこととなる。その後復活したのは、文化庁や一般の愛好者からの強い要望に応えるため、十二代・十三代柿右衛門が昭和二八年頃に復元に成功してからだ。
 昭和四六年に濁手の技術は国の需要文化財に指定。そして十四代柿右衛門が人間国宝に認定、現在も昔ながらの技法を継承しながら現代の要素を取り入れた作品を作り続けている。
 
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