NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/1


越前小丸城 Echizen-komaru-jou 

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 福井県越前市五分市町の小高い丘にある越前小丸城(えちぜんこまるじょう)。
 長篠の合戦において、織田軍の武将として鉄砲隊を率いて活躍した佐々成政(さっさなりまさ)が、信長の命を受け、越前に与力として入った際に築城。わずか4年の居城ののち、越中富山に移ったため、廃城となった。その短い居城期間から、築城が未完成で終わったという説もある。
 いまでは、本丸を囲む堀の一部と内部の石垣、道を挟んだ場所に造られた櫓(やぐら)の台とみられる土塁のみが残されている。
 僅かな遺構に刻まれた、小丸、北小丸、古城、的場といった文字から、広範囲に城郭設備が整っていて、繁栄していたと想像されている。
 佐々成政、不破光治(ふわみつはる)と共に織田信長の「府中三人衆」と呼ばれた前田利家(まえだとしいえ)が、越前国の一向一揆を鎮圧した様子を記した文字瓦が、昭和七(1932)年、掘削中の城の石垣から見つかったことでも有名である。
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2008/2/18


キセル Kiseru Kiseru

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 キセルは、煙管とも書く喫煙道具で、カンボジア語で管を意味する「クセル」が、訛ったものとされている。
 刻みタバコを喫う為の道具であるが、最近は紙巻タバコを小さく切ったり、そのまま先に差して喫う者も多い。
 起源は、15世紀にヨーロッパから東アジアへ鉄砲が伝来した頃、ポルトガル人が使っていたパイプを真似て作られたとされているが、正確には分かっていない。
 噛みタバコ全盛の江戸時代は、キセルがなくてはタバコが吸えなかった。そのキセルは、長さや太さ、形、材質などに様々な違いがあり、愛煙家は懐と相談して、それぞれ好みのものを所持していた。
 しかし実際にキセルを持てたのは、武士や大店の番頭、主人、女郎などで、庶民には禁止されている時期が多かった。
 キセルは、江戸時代には一種のステータスシンボルであり、情緒ある小道具でもあった嗜好品である。
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2007/11/29


日州透かし象嵌 Nissyu-sukashi-zougan Nisshu-Sukashi Zogan

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 日州透かし象嵌(にっしゅうすかしぞうがん)は、寛永九(1632)年、熊本藩藩主、細川忠利に召抱えられた林又七が、鉄砲や刀の鐔(つば)に象嵌を施した「肥後象嵌」の流れをくむ。
 鐔とは刀剣の柄と刀身との境に挟んで、柄を握る手を防御するものであり、象嵌とは地の素材を彫って、その部分に他の材料をはめこむ技法のことである。
 造りは鍛錬された鉄地に0.3ミリほどの細かい透かし彫りをし、埋め込んだ金が取れないように緻密な彫込をほどこす。人間の手作業としては限界に近い作業である。出来上がった象嵌は華麗な文様と無類の美しさで見る人を魅了する。
 現代でも日州透かし象嵌はこの地方で製作されているが、その作業の困難さから年に数枚しか作ることが出来ない貴重な工芸品である。
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2007/10/1


足助八幡宮 Asuke-hachiman-guu Asuke Hachimangu Shrine

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 足助八幡宮(あすけはちまんぐう)の創建は白鳳三(673)年とされる。明治元(1868)年の神仏分離で神宮寺が取り除かれ、その名残として鐘楼が残されている。
 本殿は室町時代の様式を残す三間社流れ造、檜皮葺(ひわだぶき)の優美な建物で、昭和二五(1950)年に国指定特別重要文化財に指定されている。
 奉納されている扁額「鉄砲的打図板額(てっぽうのまとうちずはんがく)」は 慶長一七(1612)年に、現在の足助町内にあたる三河国岩神村の沢田四郎右衛門尉の作である。鉄砲を描いた扁額は全国でも他に三枚しか現存しない。
 また、推定樹齢五百年の境内のスギは豊田市の天然記念物に指定されている。
 毎年一〇月第二日曜には豪華な山車四台が引かれる足助まつりが、一月には無病息災を祈願して七草粥の炊き出し行事が行われる。
 人々の足を助ける神として、現在では交通安全、病気平癒、安産の神として広く信仰されている。
 
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2007/8/14


家康行列 Ieyasu-gyouretsu Ieyasu Gyoretsu (Procession)

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 家康行列(いえやすぎょうれつ)は、愛知県岡崎市にて毎年4月に行われる催事である。
 岡崎市主催の戦国祭り「家康行列」は、桜が満開な「桜まつり」のメインイベントして開催される。
 行列の起源は江戸時代にまでさかのぼり、明治初期には龍城神社の行事として行われていた。
 天下統一した徳川家康の遺影をしのび、三河武士をたたえる行事で、公募で選ばれた徳川家康を中心に武士団、姫列など1000余名の武者、騎馬十余頭が市内主要路を練り歩く。
 勇猛な三河武士団の出陣式や行進、地域の歴史紹介などによる、絢爛豪華な時代絵巻は、素晴らしい見せものなっている。
 桜が綺麗な河川敷は桜百景のひとつにも数えられている場所で、家康行列との融合は幻想的な印象を見る者に与える。
 行進中に、鉄砲隊と槍隊が演武を披露するほか、河川敷では「合戦祭り」が開催される。
 家康行列は、岡崎の春の風物詩となっているイベントである。
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2007/8/10


大名行列 Daimyou-gyouretsu Daimyo’s Procession

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 徳川幕府三代将軍徳川家光は、幕府体制維持のために、武家諸法度に参勤交代をもりこみ制度化させた。これによって大名の妻や子は江戸に居住することを義務付けられ、大名自身は1年おきに江戸と国許を往復しなければならなくなった。この往復する大名一行の行列を大名行列という。
 この大名行列の人数、内容とも大名の石高によって細かく定められていた。よく映画などで見受ける「シタニー、シタニー」の掛け声の露払いを先頭に、六尺、挟み箱、毛槍、弓、鉄砲、徒士、小姓、大名、家老、大名籠、奥女中、腰元、長持などが続いていく。
 江戸時代最大の石高藩、加賀藩では実に二千五百人の行列という記録も残っている。
 江戸時代初期には各藩権威を争い華麗な行列であったが、経費がかさむことから次第に簡素化されていった。
 
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2007/8/6


中登神社例大祭 Cyuunobori-jinja-reitai-sai The Annual festival of Chunobori Shrine

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 中登神社例大祭(ちゅうのぼりじんじゃれいたいさい)は、宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町の三ヶ所坂本にある中登神社にて行われる祭りである。
 中登神社はかつては中登山頂にあったが、後に三ヶ所(さんがしょ)神社に合祀され、その後三ヶ所神社から分祀されて現在の所に祀られたという。
 中登神社例大祭は、毎年9月最終日曜日に開催されており、前日行われる三ケ所神社例大祭に続いて、神社境内にて荒踊(あらおどり)が奉納される。
 荒踊は武者装束で槍、弓、鉄砲などの武器を持って踊る所から名付けられており、国指定重要無形民俗文化財とされている。
 天正年間(1573~1592)、炎王山専光寺より伝わったとされ、行列隊形で踊られる勇壮な踊りと、円形隊形で静かな踊りを組み合わせた舞踊である。
 中登神社例大祭は、古来より伝わる迫力ある民俗芸能である。
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2007/7/24


八代 妙見祭 Yatsushiro Myoukensai Yatsushiro Myoken Festival

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 熊本県八代市の八代神社で、毎年十一月二二日から二三日に開催されるのが、八代妙見祭(やつしろみょうけんさい)である。
 長崎諏訪神社のくんち祭りと福岡筥崎宮放生会(はこざきぐうほうじょうや)と並び、「九州三大まつり」と称される。
 祭りが行われる八代神社は文治二(1186)年に創建されたもので、妙見宮という別名もあり、これが祭りの名の由来となっている。
 妙見の名については、今からおよそ千三百年前に中国から妙見神が、体が亀で頭が蛇という亀蛇(きだ)に乗って八代に上陸したという故事に基づいており、祭りもこの故事に則って江戸時代初期に、当時の八代城主であった細川忠興(ただおき)公が始めたのがその原型といわれている。
 神輿や笠鉾、獅子、亀蛇、花奴、鉄砲隊、花馬などの絢爛豪華な祭礼神幸行列や、河原を豪快に疾走する神馬、ユーモラスな動きで演舞を見せる亀蛇など、静と動の祭りの醍醐味を思う存分に楽しめる2日間となっている。
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