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2008/10/29


生野銀山 ikuno-ginzan 

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 生野銀山(いくのぎんざん)は、兵庫県朝来市生野町にある日本有数の銀山跡である。
 時代は古く、大同二(807)年には開坑され、天文一一(1542)年には山名祐豊が銀鉱脈を発見し、本格的な採掘が始まった。
 江戸時代には佐渡金山、石見銀山と並び徳川幕府の財源的な存在であり、第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎えるが、以後江戸時代を通して産出量は減っていった。
 明治元(1868)年から政府直轄運営となり、フランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力で近代化が進められた。
 明治二九(1896)年には民間に払い下げられ、昭和四八(1973)年、閉山となった。
 現在は、史跡・生野銀山として一般に公開されており、坑道巡りや多数の貴重な鉱物が展示されている鉱山資料館などがある。
 生野銀山は、かつては日本の代表的な銀山であった鉱山跡である。
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2008/3/7


岩船寺 三重塔 Gansen-ji Sanjuu-no-tou 

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 アジサイの名所として知られる岩船寺(がんせんじ)は、京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里にある。天平元(729)年、聖武天皇の勅願により行基(ぎょうき)が建立したと伝わる。
 その後、大同元(806)年に空海の甥・智泉(ちせん)が、密教儀式の道場として報恩院を建立。弘仁四(813)年には嵯峨天皇の皇后が、皇子(後の仁明天皇)誕生を感謝して堂塔伽藍を整え、岩船寺と称するようになった。
 最盛期にはかなりの規模を誇る寺院であったが、承久の変により大半が焼失。現在は本堂と三重の塔を残すのみである。
 山門のほぼ正面奥に三重塔がそびえている。塔は室町時代の嘉吉二(1442)年の建立で、高さ20・5m。本瓦葺で、国の重要文化財に指定されている。初層の内部には来迎柱が立てられ、本尊を安置する須弥壇(しゅみだん)と来迎壁が設けられている。塔の隅垂木(すみたるき)を支える木彫りの天邪鬼(あまのじゃく)がかわいらしい。
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養寿寺 Youju-ji 

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 養寿寺(ようじゅじ)は、大同元(806)年に創建された大変古いお寺で、家康ゆかりの寺として知られている。境内には家康初陣の木像や、大伯母矢田姫の墓といわれる石塔がある。
 市の指定建造物になっているのが鐘楼門(しょうろうもん)。円柱4本で支えられた主屋部のまわりに角柱12本で支える裳階(もこし)をつけた重層の鐘楼門で、「かえるまた」は彫刻家・左甚五郎の作といわれている。
 三月の最終土・日曜日に開かれる釈尊涅槃会(しゃかねはんえ)は「矢田のおかげん」として親しまれ、境内には露店が立ち並び、多くの人々で賑わう。「かげん」とは管弦楽のことで、今から三〇〇年以上前の飢饉の時、音楽を奏でることで安泰や繁栄を祈ったことが由来している。
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2008/2/18


明王院 五重塔(国宝) Myouou-in Gojuu-no-tou 

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 広島県福山市の小高い丘の中腹にある明王院(みょうおういん)。急な石階段を上り切り、境内に足を踏み入れると、真正面に本堂が、そのすぐ左手に五重塔が現われる。いずれも国宝に指定されており、丹塗りの朱が目に鮮やかだ。本堂は大同二(807)年に、五重塔は正平(南朝)三/貞和(北朝)四(1348)年に建立されたと伝えられている。
 明王院五重塔は全国の国宝指定塔の中で5番目に古く、南北朝時代を代表する純和風の建築物で、すらりと伸びた立ち姿は実に美しい。初層内部は心柱を天井上に立てる特異な構造で、四天柱や周囲の壁板には極彩色の仏画や文様が程度良く残されている。天を突く青銅製の相輪は建築当初のもので、水煙は全体が火焔文で珍しい。
 高さ29・14m。外観は常時公開も、内部は非公開とされている。
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2007/12/20


磯出大祭礼 Isode-daisairei 

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 磯出大祭礼(いそでだいさいれい)は、茨城県常陸太田市にて七二年に一度ごとに行われる珍しい祭りである。
 県北にある西金砂神社と東金砂神社の神様が、日立水木浜まで一週間かけて往復するもので、次回の開催は2075年となる。
 西金砂神社は、天台沙門宝珠上人が比叡山より分霊したと伝えられる神社で、東金砂神社は、平城天皇の勅願によって宝珠上人が山王権現の分霊を奉斎したのが起源とされる。共に大同元(806)年に創祠され、祭神は大己貴命(おおなむじのみこと)。
 磯出大祭礼は、仁寿元(851)年から一度も途絶えることなく続いている神事で、神が水木浜に上陸した時に夢告したとの伝説から、両神社から水木浜まで奉納の田楽を催しながら、大行列が行われるようになったとされる。
 磯出大祭礼は、七二年に一度しか開催されない壮大な祭りである。
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2007/11/7


羽田神社 Hada-jinja 

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 「羽田のお山がけ」でも知られる、宮城県気仙沼市にある羽田山の麓に鎮座するのが、羽田神社(はだじんじゃ)である。
 おおよそ千三百年前の奈良時代、養老五(721)年に、行基によって五穀豊穣、無病息災を祈って創建されたといわれる。
 また、大同元(806)年には坂上田村麻呂により再建されたとも伝えられる。
 その後、一端は荒廃するものの建久三(1190)年、豊後守・尾形三郎惟義(これよし)によって再興。以後は廃れることなく、波多権現や羽田山大権現、羽田三所権現などとも称されながら、本吉北方二一ヶ村の総鎮守として祀られ、奥東の古社として今に至っている。
 境内には本殿の両隣に樹齢千年を超えるといわれる、巨大な杉の木が二本、聳え立っている。
 同社を再興した尾形三郎惟義の嫡男小太郎と次男の二人が、文治二(1186)年に植えたとする社伝があり、本殿向かって右の杉が太郎坊、左の杉が次郎坊といわれ、千年を経た今も、参拝者達に親しまれている。
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2007/11/5


観音寺と神恵院 Kanonji-to-Shinkeiin Jin’nein and Kannonji Temples

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 大宝三(703)年、日証上人が海上の船から流れてくる琴の音とともに八幡大明神のご神宣を受け、建設したのが琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)であり、神恵院(じんねいん)は上人が八幡宮の別当院として創建したものである。
 後の大同年間(806~809)、弘法大師が本尊聖観世音菩薩をはじめ、諸像を安置し七堂伽藍を建立し観音寺と改め、四国霊場八八ケ所の第六八番目の霊場となった。
 その後、明治初年の廃仏毀釈よって琴弾八幡宮の本地仏は観音寺の西金堂に移されたため、観音寺は六九番目の霊場、神恵院は六八番目の霊場となり、四国霊場では唯一、一つの場所に二つの霊場が存在することとなった。
 神恵院は観音寺の境内より、更に奥の石段を登った先に建てられている。
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2007/10/18


胆沢城 Isawa-jyou 

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 胆沢城は、平安時代はじめの延暦二一(802)年、坂上田村麻呂によって胆沢の地に造られた古代城柵(じょうさく)である。
 大同三(808)年には鎮守府が国府多賀城から胆沢城へ移され、鎮守府胆沢城が成立。10世紀の後半ごろまでの150年間ほど機能していた。
 高さ約3.9メートル、一辺675メートルの築地(ついじ)といわれる土で固めた塀とその内と外に掘られた幅3〜5メートル 、深さ1〜1.5メートルの溝で方形に囲まれていた。
 全体の面積はおよそ46万平方メートル、(東京ドーム9つ分)、その内部は中央南寄りに一辺90メートル四方の塀で区画された政庁域、そのわきに官衙(かんが)や厨(くりや)などが広がっていた。
 大正一一(1922)年に国の指定史跡となった。
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