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2008/10/3


牧水祭 Bokusui-sai 

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 牧水祭は宮崎県日向市東郷町坪谷で行われる祭りである。東郷町出身の歌人、若山牧水を偲ぶため、毎年9月に行われる。
 若山牧水は明治一八(1885)年生まれで、10代のころ、歌に才能があることを認められ、早稲田大学に入学。その後尾上紫舟(おのえさいしゅう)に師事した。明治四三(1910)年に第2歌集「別離」を出版し、歌の世界「歌壇」に認められた。
 祭りは牧水を偲び、多くのファンが集まる。生家の裏に建てられた歌碑に牧水の好きだった酒を注ぎ、代表作を読み上げる。牧水記念館では牧水の直筆の色紙や歌が展示され、牧水公園の「ふるさとの家」では、短歌の朗詠など大会が開催される。
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2008/6/2


片男波 Kataonami 

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 江戸の歴史や文化が残る和歌山県南西部の和歌浦(わかのうら)地区。古来より歌人の憧れの景勝地としても有名で、この地を詠んだ歌が数多く万葉集に収められている。
 和歌浦地区東側を流れる和歌川河口に広がる、海水と淡水が混じり合う汽水域が片男波(かたおなみ)と呼ばれる。
 現在は潮干狩りや海水浴の季節には特に大勢の人たちで賑わう片男波だが、ここもまた奈良・平安時代から多くの歌人に愛されてきた、古くからの景勝地である。
 片男波という名前は、山部赤人が詠んだ万葉集「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」の「潟を無み」に由来しているという説が有力である。万葉の時代の、干潟で餌をついばむ鶴の姿が思い浮かぶ。
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2008/4/8


高台寺圓徳院 Koudaiji-entokuin 

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 圓徳院(えんとくいん)は、寛永九(1632)年に、北政所ねね(きたのまんどころねね)の次男・木下利房(きのしたとしふさ)により、高台寺の三江和尚(さんこうおしょう)を開基とした寺院である。また、北政所ねねの終焉の地である。
 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後、その妻ねねは、「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長一〇(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と、その前庭を山内に移築して移り住んだという。
 それ以来、大名・禅僧・茶人・歌人・画家・陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられている。
 また、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作庭による庭園が、臥龍池(がりょうち)と偃月池(えんげつち)を中心に広がり、マツとカエデの木立の下にウマスギゴケが地面を覆っており、方丈前庭の白砂とウマスギゴケの植え込みなどの色彩が楽しめる。
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2007/10/31


奈良 柿本神社 Nara Kakinomoto-jinjya Nara Kakinomoto Shrine

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 奈良の柿本神社は、奈良県葛城市柿本にある神社である。祭神は三十六歌仙の一人、柿本人麻呂で、島根県益田市にある柿本神社本社の摂社にあたる。
 万葉の歌人、柿本人麻呂の生地ともいわれ、各地に散在する人麻呂伝説の一つとなっている。
 石見国で没した人麻呂を宝亀元(770)年に改葬して、社殿を建てたのが始まりという。
 柿本人麻呂は宮廷歌人であり、格調高い作風で万葉集中随一の叙情歌人と言われた。後世、歌聖と称される。
 社殿左側にある墓は江戸時代の造営、また神社隣の影現寺は別寺で、通称柿本寺と呼ばれている。
 本堂には、紀僧正真済作といわれる木造の人麻呂像が安置されているが、非公開とされている。
 奈良の柿本神社は、人麻呂死後数年で創建された、由緒ある神社である。
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吉野 西行庵 Yoshino Saigyou-an Yoshino Saigyo-an Hut

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 西行庵は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある庵である。
 西行は、「新古今集」や「山家集」で知られる、平安末期の歌人。西行庵は、旅の歌人・西行法師が、俗塵を避けて3年の春秋を隠棲したとされる小さな庵である。
 近くには今も苔清水と呼ばれる清らかな水が湧き出ていて、貞亨元(1684)年には西行を慕って松尾芭蕉もここを訪れ、歌を詠んでいる。
 清水は、大和の水31選の一つに数えられている。
 西行の歌碑や、芭蕉の句碑が立ち、春秋は桜、紅葉が美しい。
 西行庵は、歌の心を刺激する場所である。
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2007/10/17


赤人寺 Shakunin-ji Shakuninji Temple

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 赤人寺(しゃくにんじ)は、滋賀県東近江市下麻生町にある天台宗の寺である。本尊は如意輪観音。蒲生観音第19番札所とされる。
 山部神社に隣接し、共に万葉の歌人、山部赤人(やまべのあかひと)ゆかりの社寺とされる。
 山部赤人は、奈良時代初期に活躍した歌聖とまで言われた歌人で、経歴は不明だが、広く各地を旅してまわっていた。
 山部赤人が田子の浦から如意輪観音像を迎えて祀ったのが、創建の由来と伝えられる。
 境内にある赤人桜は別名・冠かけの桜とも呼ばれ、赤人がこの桜の枝に冠をかけたところ、はずれなくなったので、赤人はこの地に永住するようになったと伝わる。
 境内に立つ石造七重塔は鎌倉時代のものであり、国の重要文化財に指定されている。
 赤人寺は、山部赤人臨終の地と伝えられる歴史ある寺院である。
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山部神社 Yamabe-jinja Yamabe Shrine

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 「山部神社(やまべじんじゃ)」は奈良時代の万葉歌人、山部赤人(やまべのあかひと)を祭神として祀っている神社として知られている。
 境内には江戸時代の歌人・渡忠秋(わたりただあき)が、赤人の歌「田籠の浦にうち出てみればしろたへの・不二の高嶺にゆきはふりつつ」を刻んだ歌碑が立っている。
 赤人の経歴は詳しくはわかっていないが、残された多くの歌から、広く各地を旅した歌人であるとされ、蒲生町下麻生で生涯を閉じたといわれている。
 境内に入るとまず目に付くのが、立ち木を利用した立派な「勧請吊(かんじょうづり)」であろう。勧請吊はこの地方でよく行われるもので、「除災招福」を願って正月に奉納されるものだという。
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2007/10/15


玉藻公園 Tamamo-kouen Tamamo Park

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 玉藻公園(たまもこうえん)は香川県高松市JR高松駅近辺の高松城、別名・玉藻城跡に昭和三〇(1955)年に作られた公園である。
 高松城は天正時代(1590年頃)豊臣秀吉の家臣である生駒親正(いこまちかまさ)によって築城され、後の江戸時代には、水戸黄門で有名な水戸光國の兄、松平頼重(まつだいらよりしげ)が藩主となり長年に渡り栄華をきわめた城である。
 玉藻城のいわれは、万葉集でも有名な歌人・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことにちなんで、この地の海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるとされる。
 公園内では一年を通じ、春の桜見物、秋の菊花展、お茶会、植木市などのイベントが数多く開かれる。
 また、大正六(1917)年、城跡に建てられた高松市立玉藻公園披雲閣は歴史と由緒ある建物であり、現在は会議、茶会、華店などが開かる。
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