NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/15


山田薬師 Yamada-yakushi 

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 奈良時代の僧・行基によって開かれたとされ、新四国曼陀羅霊場・第五三番札所でもある善福寺(ぜんぷくじ)。そこには日本三大薬師のひとつ「山田薬師(やまだやくし)」がある。
 天平年間(729~749)、宇和に天然痘が流行し、多くの死者が出た。困った群主が神に祈りをささげると、行基にすがるようにと告げられ、群主は行基に仏像の彫刻を依頼した。彫り上げられた薬師如来像を山田に安置すると、猛威を振るっていた天然痘はぴたりと止んだという伝説が残る。
 行基は後に朝廷より菩薩の称号が与えられ、行基菩薩と言われるようになった。安置されている薬師如来像は行基菩薩作とされている。
 また、昭和三八年の豪雨で本堂脇の岩山が崩れ落ちた際、本堂は岩の下敷きになったが、像はお堂の外に飛び出し傷一つなく無事だったという話も残る。巨大な岩は今も本堂のすぐ傍にある。
 四月八日の「花祭りの日」には屋根を花で飾った花御堂が作られ、家内安全・無病息災を祈願する人たちで賑わう。
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2007/5/14


さるぼぼ Sarubobo 

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 飛騨弁で、赤ちゃんの事を「ぼぼ」と言う。「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」という意味で、災いが去る(猿)、家内円(猿)満になる等、縁起の良い物とされ、お守りとしても使われている。基本の形は赤い丸顔に赤い身体、黒い頭巾と腹掛けを纏い、両足を広げ、両腕を上げて広げた姿である。最近では赤以外に黄色や緑色など、様々なバリエーションもある。
 飛騨は山深く、奈良時代は「下々の下国」と呼ばれた程で、気候は寒く、土地が無い上に痩せていた。そんな風土から年貢も払えず、男は雑徭(宮大工)として駆り出され、少ない人口が更に減って大変だったといわれている。残された子供達は玩具も買ってもらえず、お婆さん等に作って貰ったのが、この「さるぼぼ」のはじまり。その後、はやり病、特に天然痘が多かった為、魔よけ的な意味で、赤い布で作られる様になった。
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2007/2/28


大杉祭 Oosugi-matsuri Osugi Festival

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 近隣からあんば信仰、天狗信仰として崇められる大杉神社で毎年10月に行われる例祭。
 ハッピ姿の引き手たちが引き回す山車の周りを、鉦、太鼓、笛の音が奏でる舞曲「あんば囃子」(国の選択無形民俗文化財)が盛り上げ、踊り手たちがリズミカルに舞う。
 起源は古く、四代将軍家綱の頃に天然痘が流行し、そのときに村人たちが神社の守り神であった天狗の面を担ぎ出し、村中を練り歩いて悪病退散を祈ったのが始まり。
 大杉神社の場所は、古くには「アンバ」と呼ばれ、銚子と浜崎を湾口とし、現在の霞ヶ関(西浦、北浦)、利根川、印旛沼、手賀沼を含む広大な内海に、突出した半島上にあった。この半島は『常陸風土記』では、安婆島(あんばじま)と記載され、先端に一本の巨杉があった。この巨杉(大杉)が、人々を守護する神様として、「あんばさま」と呼ばれ崇められた。
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