NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/28


日原の獅子舞 Nippara-no-shishi-mai 

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 日原の獅子舞(にっぱらのししまい)は一石山神社(いっせきやまじんじゃ)の年一回の祭礼に、地区内の各社へ奉納される舞のことである。
 この獅子舞は慶長一七(1612)年、出羽国湯殿山から僧道栄が「三つの獅子頭」を持ってきたことから始まったと伝えられている。
 この地方に伝わる獅子舞の多くは、勇壮な男獅子を中心とした舞だが、日原の獅子舞はとても古典的で優雅な舞とされている。まず女獅子が出てきて、仲太夫、次いで太夫を連れだして三匹になる。全ての舞において、女獅子が先導するという。
 古式ゆかしい、優雅で繊細な女獅子の舞と、温厚かつ剛健な男獅子の舞が楽しめる、珍しい祭礼である。
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2007/11/28


新長谷寺(吉田観音) 三重塔 Shinchoukoku-ji(Kitta-kannon) Sanjuu-no-tou 

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 新長谷寺(しんちょうこくじ)は、別名、吉田(きった)観音ともいい、真言宗智山派のお寺である。鎌倉時代に僧・護忍(弘法大師四代法孫)の開基によるもので、貞応元(1232)年に創建され、以後、時の権力者に保護されてきた。
 ご本尊は十一面観音で「観音さま」の名で親しまれ、二月一八日の「初観音」や八月九日の「九万九千日供養」などの祭事には多くの参拝客で賑わう。
 新長谷寺は文化財の宝庫で「美濃の法隆寺」とも呼ばれているが、その文化財のひとつに数えられるのが三重塔である。
 二階堂出羽守行藤の息女、理秀尼の建立で、徳治二(1307)年竣工。現在の三重塔は、寛正四(1463)年に再建された。江戸時代中期に最上層屋根を銅板に改めたが、昭和の修理で桧皮葺となる。三間三重の和様の均整のとれた塔であり、塔の内部には胎蔵界・大日如来を安置している。
 約二〇メートルの高さがあり、明治四二(1909)年に国の重要文化財に指定されている。
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2007/11/20


居合道(抜刀術) Iai-dou(Battoujutsu) 

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 居合道(いあいどう)は、日本刀を用いた抜刀術(ばっとうじゅつ)で、抜刀から納刀までの一連の動作を中心とした、武道の事である。
 居合の起源は、戦国時代の永禄四(1561)年頃、出羽の国林崎村に生まれた林崎甚助重信(はやしざきじんすけしげのぶ)が、仇討ちのために修行した剣術を、後に流儀として伝えたのがはじまりであると言われている。
 居合とは立会いに対する言葉で、敵の不意の攻撃に対して一瞬をおかず抜刀し敵に勝つ、鞘放れの一刀で勝負をきめる剣技である。
 居合は座った状態からの抜刀術であるが、ただ抜刀術と言った場合、立会いからのものも含む。
 居合道は武道であり、技能の向上のみならず、人格の修練など、各自による精神・肉体鍛錬までを含めた意味を持つ。
 居合道は、世界でも希有な、日本特有の座状の武術・武道である。
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2007/11/8


羽越しな布 Uetsushinafu 

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 羽越しな布(うえつしなふ)は、山形県鶴岡市、新潟県岩船郡山北町に伝わる伝統民芸品である。
 古来より「しな布」として知られる出羽の国・羽越地方の織物は、縄文の時代から山野に自生する科の木(しなのき)の皮を原料とする、日本最古の古代織のひとつとされる。
 縄文や弥生時代から衣装や装飾品などに利用され、今なお昔ながらの技術・技法に基づく手作業によって作られ、完成までには1年の月日を要する。
 ざっくりとした素朴な手触りと自然な色合い、その織目の美しさはもとより、通気性が良く、軽くて水濡れにも強いなどの機能性を兼ね備えた、まさに山形の自然・風土と熟練の手技によって伝承される織物である。
 羽越しな布は、古代から受け継がれた伝統の織物である。
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2007/10/17


東近江 最上踊り Higashi-oumi Mogami-odori The Mogami Odori Dance in Higashiomi City

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 東近江市は市町村合併に伴い、豊かで多様な伝統文化が受け継がれる町として知られている。「最上踊り(もがみおどり)」もこの地に受け継がれる貴重な民俗芸能のひとつである。
 最上踊りは平安末期から中世にかけて流行した芸能、風流(ふりゅう)の中の小歌踊りに分類される踊りであるとされ、素朴な中にも優雅さが感じられる踊りである。
 出羽国の名族最上家は、家臣間の派閥争いの結果、元和八(1622)年に所領没収となった。その後山形から近江に移され、この地に大森陣屋を構えることとなった。その前で、領民が藩の繁栄を願って披露した唄や踊りが、最上踊りと名づけられ、この地に三〇〇年以上伝わるようになったといわれている。
 現在では保存会が結成され、最上家ゆかりの地である山形でも披露されることがあるという。
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2007/9/13


金華山 Kinka-san 

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 金華山(きんかざん)は、宮城県石巻市に面した石巻湾に浮かぶ島であり、その島全体を覆うように聳える山のことである。
 山頂までの高さは445mで、周囲約26kmの島全域が山となっている。岩盤がむき出しの海岸線から原生林の山が隆起する様は、荘厳ささえ感じる迫力である。
 青森の恐山、山形の出羽三山と並び「奥州三霊場」に数えられる超自然の霊島であり、島のほぼ全てを太古の原生林が覆い、神の使いとされる鹿が多数生息する不思議な島でもある。
 また、島全体はおよそ千二百年以上前に祀られ、「三年続けてお参りすれば、一生お金に困ることはない」という言い伝えを持つ黄金山神社の神域となっている。
 そのため、古来から登山信仰のお山がけが行われ、その頂上からは遠く仙台市や蔵王、栗駒連峰を眺望することができる。
 多くの自然と歴史が残されたこの島には、霊験と景勝、島に息づく命の美しさを同時に味わう贅沢を求めて、今も参拝者が途切れることなく訪れている。
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2007/8/17


陸奥上街道 Mutsukami-kaidou The Mutsukami-kaido Road

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 奥州街道の一関から栗駒、一迫町真坂を通って岩出山を結び、出羽街道に至る道で、国の指定記念物史跡に指定されている。
 元禄二年(1686年)松尾芭蕉が奥州行脚の折、平泉からの帰途この街道を通ったことが知られ、「おくのほそ道」の舞台となった街道として著名である。
 一部石畳になるなどしているが、自然のまま木々に囲まれひっそりとした小道はまさに「おくの細道」という名前がぴったり。そこはかとなく懐かしささえ感じるような道である。
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2007/8/14


内子町 三嶋神社 Uchiko-cho Mishima-jinja 

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 内子町(うちこちょう)の三嶋神社(みしまじんじゃ)は、愛媛県喜多郡内子町にある神社である。祭神は大山積命、高おかみ神。
 和銅五(712)年、創建されたと伝えられる。拝殿内部には佐藤秀文の絵馬をはじめ、多くの絵馬が掲げられている。
 天正五(1568)年と寛保三(1743)年の2度にわたって焼失するが、それぞれ大野山城守、加藤出羽守らの支援で再建された。
 境内には、県の天然記念物に指定されている「乳出の大イチョウ」と呼ばれる推定樹齢1300年、根回り15m、高さ45mの大樹があり、幹に垂れ下がる気根の皮を煎じて飲むと乳の出がよくなるという言われている。
 更に、「三島神社の兄弟かや」と呼ばれる樹高約25mと30mの二本の大かやがあり、共に推定樹齢は700~800年とされ、町の天然記念物に指定されている。
 内子町の三嶋神社は、大樹で有名な古社である。
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