NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/10


シュミッツ クリストフ Syumittsu Kurisutofu Dr. Christoph Schmitz

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 漢字学の巨人・白川静氏が構築した白川文字学の研究者で、哲学思想史・日本思想史研究者。ドイツ・ケルン生まれ。東京都在住。
 ドイツと日本の大学で歴史と哲学、哲学史を基礎に日本思想史を学んでいる時に漢字に興味を抱きはじめる。しかし、西洋の漢字教育では、漢字の形とその意味の関係について充分に説明されないことに、落胆。その後、一九九七年、日本の新聞に載った白川静氏のインタビュー記事を読み、「白川先生の偉業や字書を世界に紹介したい」と考え、ドイツの市民大学などで哲学思想史と漢字を教えた後、白川氏訪問のため二〇〇一年に来日、初めて対面する。二〇〇二年、東大法学部に研究生として入学。
 二〇〇三年一二月、白川静著の漢字入門字典『常用字解』の英訳を始め、ほぼ三年かけて完成。漢字の成り立ちを自然に理解できる漢字学習の基礎づくりをめざしている。
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2007/11/7


函館ハリストス正教会 Hakodate-harisutosu-seikyoukai 

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 函館ハリストス正教会は、北海道・函館西部のシンボル。日本で初めて建てられたギリシア正教会の聖堂である。
 江戸末期の安政五(1858)年に、キリスト教が禁止されていた日本で、初めてギリシア正教がロシアの司祭ニコライにより伝えられ、ロシア領事館付属の聖堂として建てられたのが始まり。日本のギリシア正教発祥の地となった。鐘の音から地元では「ガンガン寺」とも呼ばれ親しまれている。
 外観は、細長い三角屋根や、3つの小さなドームなどに見られるロシア風ビザンチン様式の建築が特徴的。漆喰塗仕上げの白壁と緑色の屋根の色の調和が美しい建物である。内部には、黄色と赤の唐草文様じゅうたんが敷きつめられ、正面壁面にはロシアから運んできた極彩色の絵が飾られている。
 この聖堂は、日本ハリストス正教会の発祥の地であり、意匠的にも優れているとして昭和五八(1983)年に国の重要文化財に指定された。
 
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2007/10/23


源空寺 Genkuu-ji 

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 源空寺(げんくうじ)は、東京都台東区東上野にある浄土宗の寺である。本尊は、円光大師、阿弥陀如来。
 天正一八(1590)年、道阿霊門上人が湯島に草庵を結び、上人の徳を慕って多くの信者が集まったのが起源とされる。
 慶長九(1604)年、徳川家康によって湯島に寺領を賜わり、堂宇を寄進し、開基された。
 明暦の大火で焼失し、浅草へと移転して諸堂が再建されたが、その後も何度も焼失している。しかし、深い信仰により随時再興され、今日に至っている。
 江戸初期の町奴・幡随院長兵衛(ばんずいんちょうべえ)、天文学者高橋至時、その弟子で日本初の実測地図を作った伊能忠敬、西洋の画風を取り入れた江戸末期の文人・画家谷文晁など、江戸時代に活躍した人々の墓が多くある。
 源空寺は、江戸時代の文学・科学の空気を伝える古寺である。
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2007/9/21


鈴木大拙 SuzukiDaisetsu Daisetz Teitaro Suzuki

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 言葉や思想を持たない「禅」という高度に結晶化された概念に、あえて言葉や思想を盛り込み、世界に向けて発信した偉大な哲学者。
 明治二(1870)年、石川県生まれ。学生時代に鎌倉・円覚寺にて禅と出会い、悟りの境地に達し、禅者として生きる決意を持つ。「大拙」という居士号を得る。
 鈴木大拙(すずきだいせつ)が目指したのは、西洋と東洋を橋渡しすること。願いは、「ひとつの世界」の獲得。禅の英語化という難題を易々と成し遂げ、『老子道徳経』『大乗起信論』を英訳し、『大乗仏教概論』を英文で出版した。
 欧米の知識人達に与えた影響は計り知れない。カウンターカルチャーの時代には、「禅」が西洋人の東洋に対する憧れを育む要因となった。
 生涯、坐禅を怠らず、西と東、民族、人種、宗教などの根深い問題を禅思想を通して考え続け、語り続けた。
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2007/7/26


円通院霊屋 Entsuuu-in-otamaya 

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 円通院(えんつういん)は、宮城県の松島にある伊達光宗の菩提を弔った寺である。
 伊達光宗は、仙台藩二代藩主忠宗の二男であり、将来を託望される文武両道に秀でた人物だったが、わずか19歳の齢で死去する。
 その御霊を弔うために正保四(1647)年に円通院に建立されたのが、三慧殿(さんけいでん)との別名も持つ霊屋(おたまや)である。
 内部にある厨子にはキリシタン文化の影響が垣間見え、厨子の右扉には日本最古といわれる西洋バラや十字架などが描かれている。
 一説よると光宗は、その文武に優れた才能のため、外様大名から名君が出ることを恐れた幕府から毒殺されたとも言われており、そんな幕府に反発するかのように、使節団としてヨーロッパに赴いた支倉常長(はせくらつねなが)らが持ち帰った西洋文明の影響をわざと色濃く反映させたとも伝えられている。
 絢爛豪華で優美なその厨子には、伊達家の気概が映し出されている。
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2007/7/25


北上運河 Kitakami-unga 

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 北上運河(きたかみうんが)は、宮城県石巻市の中心部を流れる旧北上川の河口から鳴瀬川の河口までを結ぶ約12kmの運河である。
 水をなみなみとたたえた川面は美しく、運河沿いの歩道は真っ青な空と川の景色を楽しめる格好の散歩道である。
 北上運河は明治新政府による、我が国初の西洋式港湾である野蒜(のびる)築湾に伴い開削されたもので、明治十五(1882)年に完成した。
 開削当時に植えられた黒松林や、地元名産の稲井石を使った石積護岸、海面と北上川の水位差を利用して造られた煉瓦造りの石井閘門(こうもん)などが残り、明治の面影を偲ばせる。この石井閘門は、現在も現役で稼動中だという。
 現在、これらの遺構を保全しながら新たな水辺空間を造り出す地域運動が進められている。1999年にオープンした「北上川・運河交流館」がそのひとつで、交流館では運河紀行をバーチャル体験できるほか、歴史を学べる展示物もある。水の都、石巻ならではの試みである。
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2007/7/6


丸窓 Marumado Round Window

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 西洋では、住居は自然から人間を隔てて守るもの、と考えるが、日本人にとって住居は、自然の延長であり、自然と一体化し、共に生きるところ、と考える。
 その考え方は建築様式にも及び、窓にもその特徴は現れる。
 建築物が自然と一体化して生きていく場所であれば、窓は外と内をつなぐもの、自然と人間を結びつけるもの。庭の緑や花が見え、風が吹き込み、昼は日差しの照り返りがまぶしく、夜は月光が忍び込んでくる。そのような自然を楽しむため、窓の形に工夫を凝らしたうえで、さらに自然との一体化を図る。その代表的な窓として、丸窓がある。
 丸くくりぬかれ、文様が施された窓は、月のようでもあり、宇宙のようでもあり、人の手が加わりながらも、さらに外の自然を美しく見せる。
 自然と共に生きる、その考え方が形となった、ひとつの美しい例である。
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2007/6/18


北海道 豊平館 Hokkaidou Houhei-kan The Hoheikan

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 豊平館(ほうへいかん)は鹿鳴館より古く、1880年に高級西洋ホテルとして開拓使によって建てられた。
 白亜の外壁に、当時では珍しい窓枠などがウルトラ・マリンブルーに縁取られた麗しい姿を今でも見せている。創建当時、宝石のラピスラズリから作られていたというウルトラ・マリンブルーの色は、実は長く失われていた。様々な理由により別の色に塗られていたのだ。しかし、1982〜86年の大改修の時に特注の塗料によって復活した。
 この豪華な施設は、一番初めに明治天皇の宿泊所として利用された事でも知られる。当時は、現在の札幌市民会館が建つ場所にホテルとして完成したが、その後公会堂になったり、師団司令部や米軍の接収、三越の札幌支店など時代に翻弄されながら、1958年に札幌コンサートホールや道立文学館などの文化施設が集まる中島公園の中に移築された。
 現在は日本全国で唯一、国の重要文化財の結婚式場として利用されている。
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