NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/12


蔵敷高札場 Zoushiki-kousatsu-jyou 

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 蔵敷高札場(ぞうしきこうさつじょう)は、東京都東大和市蔵敷にある史跡である。都の旧跡に指定されている。
 江戸時代の上意下達(じょういかたつ)を張り出す高札場で、徳川幕府が法度や犯罪人の罪状など住民に知らせるために使われていたもの。お江戸日本橋をはじめ江戸には三五ヶ所あったといわれるが、明治時代になり、不要となると次々に取り壊され、多摩地区では府中とこの蔵敷の二ヶ所しか残っていない。
 旧青梅街道に面した旧名主内野家の門前に設けられたものだが、府中とは違って間口二米ほどの小さい場所となっている。ここに掛けられていた高札のいくつかは、今でも内野家に保管されている。
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2008/7/17


札幌市時計台 Sapporo-shi-tokeidai Sapporo Clock Tower.

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 札幌市の時計台は、札幌農学校の頃、生徒の心身を鍛え兵式訓練などに使う目的で「演武場」(体育館)として1878年に建設された。今では「時計台」の愛称で知られ、多くの人に親しまれている。
 正式には「旧札幌農学校演武場」という名称で、北海道大学の前身である札幌農学校の一施設であった。建設当初は時を知らせる鐘楼だけで、時計は設置されていなかったが、1階を研究室として利用していて振動で実験に不具合が出た事から1881年に設置された。1888年には札幌標準時の時計に指定されている。
 1903年に農学校が現在の北海道大学の場所に移転し、そのままにされていたが、1906年に札幌区が買い取り、解体せずに曳家で現在地に移転した。
 札幌市民に守られてきた時計台は、1970年に国指定重要文化財に指定され、1995年から4年間に亘って修復工事が行われて、展示室や貸しホールとして活用されている。
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2008/2/29


十五夜火とぼし Juugoya-hi-toboshi 

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 十五夜は毎年旧暦の八月一五日、現代でいうと毎年九月から一〇月の初旬頃にあたる。すすきやお団子をお供えして縁側で中秋の名月を眺める静かな印象だが、地域によっては大変賑やかな風習が残る。
 鹿児島県南さつま市には綱引きや相撲を月に奉納する十五夜行事が伝承されている。準備段階にあたる十五夜を知らせる踊り、口説き唄やお囃子、茅引き、綱ねりなどもすべて行事のひとつであり、集落ごとに少しずつ異なっている。
 坊津町の上ノ坊には十五夜火とぼし(じゅうごやひとぼし)と呼ばれる風習がある。
 綱の材料の100キロほどの茅(かや)を山から持って降りる際に、たいまつをたいて村人に知らせるものだ。
 山の中盤付近で、青年たちが番茅と呼ばれる太く束ねた茅の松明を、火の粉を散らしながらぐるぐる回す。番茅はおよそ一七本ほど。その後口説き歌を歌いながら手分けしてふもとまで運びきる。
 この十五夜火とぼしは「南薩摩の十五夜行事」のひとつとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2008/1/30


泊十五夜踊り Tomari-juugoya-odori 

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 鹿児島県南さつま市坊津町には綱引きや相撲を月に奉納する十五夜行事が伝承されている。十五夜を知らせる踊り、口説き唄やお囃子、綱の準備、綱引きなど大まかな流れは同じだが、その中で集落ごとに異なるユニークな風習が盛り込まれている。
 泊十五夜踊りは坊津町泊地区の風習だ。十五夜の日の午後三時頃、着物に白いハチマキをした女性が集まり、列になって九玉神社に向かって踊り練りを行う。境内では宮参りののち、輪になって踊りを奉納する。
 夜になると浴衣に着替え直し、また輪になって踊る。
 踊りの輪の中に数回男子が走りこむオドリコワシは昔の男女が触れ合う機会の名残だ。オドリコワシがあっても女性達は動じず踊り続ける。
 踊りの後は男子による十五夜綱引きが行われ、綱の一部をお月様に奉納する意味で先端を川に投げ込む。
 泊十五夜踊りは「南薩摩の十五夜行事」のひとつとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2007/11/12


魚板 Gyoban Gyoban (Fish Drum)

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 魚板(ぎょばん)とは、巨大な木製の魚であり、叩いて時間を知らせるための法具である。
 日本では主に禅宗系の寺院などでよく見受けられ、木魚の原型であるとされている。
 これは、木魚のようにお経や真言を唱える時の、調子をとる為に使われるのではなく、行事や法要、儀式の始まりを山内の皆に報せる為に打ち鳴らされるものである。
 魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じない事から、修行に精進することの象徴であったためとされる。明代には、現代の木魚の形が確立している。
 その呼び名は魚板以外にも魚鼓(ぎょこ)、木魚鼓(もくぎょく)、邦(ほう)とさまざまで、魚の形の法具としては、木魚よりも魚らしい形をしているといえる。
 魚板は、現在でも使用されている、合図のための法具である。
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2007/9/4


白浜神社例大祭 火達祭 Shirahama-jinja-reitaisai Hitachi-sai Hitachi Festival at Shizuoka Shirahama Shrine

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 伊豆半島の先端、下田市にある白浜神社(しらはまじんじゃ)は、正式名を伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)といい、伊豆最古の宮として知られる。伊古奈比咩命、三嶋大明神、見目、若宮、剣の御子の五柱を祀る。二千四百年前、三嶋大明神が黒潮にのって伊豆へ到着し、お供の見目、若宮、剣の御子の進言により加茂の姫神である伊古奈比咩命を后として迎え、白浜の地に宮を構えたという。
 「火達祭(ひたちさい)」は、毎年一〇月下旬に三嶋大明神の祭典が始まることを伊豆七島の神たちに知らせる合図として、火祭りを行うものである。
 祭典前夜に伊豆七島を表した井桁に点火。かがり火を灯し、玉串の奉納後、背後の花火が点火され吹き上がる。そろそろ火も消えかけた頃、最後に大きな打ち上げ花火が夜空を彩る。
 翌日は大のぼりの下、境内は出店で賑わいを見せ、白浜太鼓や下田市無形文化財「三番叟(さんばそう)」の舞が一般公開される。


 
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2007/7/26


北上川のヨシ原 Kitakami-gawa-no-yoshihara 

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 豊かな水量を湛え、肥沃な大地を育む東北地方屈指の大河、北上川。
 その川の河口から上流10kmにかけて広がるヨシ原の大群落が、北上川のヨシ原だ。
 日本の河川では最大級の規模を誇り、河口付近であることもあってアクセスもよく、大群落が紡ぎ出すどこまでも広がっているかのような開放的な空間に魅せられた人たちが後を絶たず訪れる。
 これら自然の恵みは藁葺き屋根の材料としても用いられ、冬に行われるヨシ刈りは雪の季節を知らせる風物詩として、そこに住む人々の生活と密着し、また大事されてきた。
 一帯は日本の音風景百選にも選ばれ、北上川を渡る風がヨシ原全体を揺らし、広大な空間にオーケストラにも例えられるような清々しい音を響かせる。
 そのどこか懐かしさを感じさせる音に抱かれ、風にそよぐヨシ原をみやれば、自分が指揮者になったような気分にもさせてくれる。
 広大なヨシ原の前で、タクトを振るってみるのも一興かもしれない。
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2007/6/18


能面 小喝食 Noumen Kokasshiki Noh Mask Ko-kasshiki

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 能で少年をあらわす面の一つ。
 年が若く、剃髪をしていない半僧半俗の十二から十七歳の僧。禅宗の寺で食事の時間や献立を知らせる役目の僧のことを喝食と呼び、特に前髪の大きさが小さく、年齢が若いものを小喝食と呼ぶ。
 全体にやさしい顔に描かれており、頬にはえくぼがあるかわいい子供の面相で、健全な若者のため表情に曇りがないのが特徴。
 遊狂物で使用されることが多く花月(かげつ)では父との再会を待つ半俗半僧の少年花月、自然居士(じねんこじ)では説法を行う半俗の少年僧、東岸居士(とうがんこじ)では念仏踊りをしながら、馬で諸国を説法して回ったとされる僧として使われる。
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