NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/26


等持院 Touji-in 

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 京都市北区の臨済宗天龍寺派の禅寺、等持院(とうじいん)は足利家の菩提寺として知られている。
 暦応四(1341)年、足利家と縁のあった夢窓疎石(むそうそせき)を開山として足利尊氏によって等持寺が創建された。尊氏の死後、寺は菩提所となり、名前を等持院に改められた。
 寺に入るとまず目に入るのが、禅宗の祖師である達磨大師の大きな襖絵である。
 開祖の疎石は多くの庭園を設計したことでも知られており、等持院の東庭も疎石作庭とされている。室町時代の回遊式の庭園は、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。紅葉に囲まれた庭園の眺めはまた格別である。
 霊光殿と呼ばれる納骨堂には、尊氏が信仰した弘法大師作の地蔵尊像を中央に、達磨大師像、疎石の像が祀られている。そしてさらに両側に足利家歴代の将軍達の木像がずらりと安置されており、その様子は圧巻である。
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2008/8/7


香積寺 Koujyaku-ji 

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 紅葉やカタクリの花などが有名な香嵐渓(こうらんけい)の中心にある禅寺で、本尊は聖観世音菩薩である。応永三四(1427)年、この地の豪族であった足助氏一族が滅亡後、菩提を弔うために居館跡に創建された。
 座禅堂は江戸時代後期のものがそのまま現在も使用されている。重々しい鎧を身につけ目を光らせた力強い毘沙門天像は室町時代の永禄二(1559)年の銘が入っており、町指定文化財である。
 江戸時代の寛永一一(1634)年、香積寺一一世の三栄和尚は「美しい自然を、より美しく」との願いをこめて、巴川沿いの参道から香積寺にかけて、楓、杉などを、般若心経を一巻詠むごとに、一本一本植えていった。その後住民の手により植えたとされ、現在の香嵐渓になったとされている。
 毎年紅葉の時期になるとすばらしい景勝地となっている。一一月中は、日没から午後九時まで夜間のライトアップも行われ、幻想的な雰囲気が楽しめる。
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2007/11/12


魚板 Gyoban Gyoban (Fish Drum)

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 魚板(ぎょばん)とは、巨大な木製の魚であり、叩いて時間を知らせるための法具である。
 日本では主に禅宗系の寺院などでよく見受けられ、木魚の原型であるとされている。
 これは、木魚のようにお経や真言を唱える時の、調子をとる為に使われるのではなく、行事や法要、儀式の始まりを山内の皆に報せる為に打ち鳴らされるものである。
 魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じない事から、修行に精進することの象徴であったためとされる。明代には、現代の木魚の形が確立している。
 その呼び名は魚板以外にも魚鼓(ぎょこ)、木魚鼓(もくぎょく)、邦(ほう)とさまざまで、魚の形の法具としては、木魚よりも魚らしい形をしているといえる。
 魚板は、現在でも使用されている、合図のための法具である。
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2007/10/31


水路閣 Suirokaku 

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 琵琶湖疏水事業の一環として施工された水路橋のことを、水路閣(すいろかく)という。この疎水は滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通って京都市東山区蹴上までの区間のことをいう。
 南禅寺境内を横切る煉瓦造りのアーチ橋は、橋の上を琵琶湖疏水の支流が毎秒二トンの割合で流れている。
 京都を代表する景観としても知られるこの橋は、古代ローマの水道橋を参考にして、明治二一(1888)年に建築されたものである。
 建設当時、周辺はたくさんの社寺が点在しているため、周囲の環境を壊さないよう配慮された。そのため南禅寺境内に当時では画期的な異国風建造物の水路閣をつくりあげたのである。
 延長約九三メートル、幅約四メートル、水路幅二、五メートルの赤煉瓦造りで、一三の橋脚でつくるアーチ構造は優れたデザインとして、訪れる観光客の目を楽しませている。
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智積院 Chishaku-in 

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 智積院(ちしゃくいん)は、千葉の成田山新勝寺、神奈川の川崎大師平間寺、東京の高尾山薬王院の大本山など、全国にある約三千の寺を有する真言宗智山派の総本山である。ここは、豊臣秀吉にとって初めての子であった棄丸(すてまる)の菩提寺とした祥雲禅寺(しょううんぜんじ)の跡として知られる。
 また、桃山時代の長谷川等伯(はせがわとうはく)作による「楓図」、その子・久蔵(きゅうぞう)作による「桜図」といった金碧障壁画が、客殿を鮮やかに飾っている。いずれも国宝に指定されており、迫力ある美しさに人々が足をとめる。
 「利休好みの庭」と伝わる名勝庭園は、豊臣秀吉が建立した祥雲禅寺の時に原形が造られた。この庭園は、中国の廬山(ろざん)をまねてつくられた池泉鑑賞式庭園で、床の下まで深緑の池が入り込む形になっている。滝や石組み、斜面の植え込みなど、小さい庭園ながらも様々な景色をみることができる。
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2007/10/12


広園寺 Kouon-ji 

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 広園寺(こうおんじ)は、東京都八王子市山田町にある臨済宗南禅寺派の寺である。本尊は、弥勒菩薩。多摩八十八ヶ所霊場番外札所とされる。
 康応元(1389)年、甲州塩山向岳寺の峻翁令山(しゅんのうれいざん)を招いて開かれ、開基は寺伝によれば大江備中守師親であるというが、他説には片倉城主・長井道広であるともいい、詳細は明らかではない。
 境域十数万坪といわれ、かつては塔頭十ヶ寺が配置されてあったが、戦国時代の末、八王子城陥落とともに戦火にかかり、元禄一〇(1697)年にも再度焼失し、現在のものは江戸時代中頃の建物である。ただ、山門のみ元禄の火災をまぬがれた江戸期はじめの建立といわれている。
 境内一帯は東京都の史跡に指定されており、建物も4棟が都指定文化財とされている。
 広園寺は、住宅地の中で幽玄の昔を思わせる姿を残す古刹である。
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2007/10/11


金剛山大隆寺 Kongouzan-dairyuu-ji 

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 宇和津町の金剛山大隆寺(こんごうざんだいりゅうじ)は、野川の龍華山等覚寺、今は廃寺となった安国山大通寺とともに、宇和島藩伊達家の菩提寺であった。
 慶長一三(1608)年、伊勢国の武将富田信高(とみたのぶたか)が、関ヶ原の戦いでの功績を徳川家康に認められ、伊予国宇和島藩一二万石に加増移封された。信高は父・一白の菩提を弔うために禅寺を建立。後に宇和島藩第五代藩主・伊達村候(だてむらとき)がこの寺を再興し、簾方大和尚を招いて金剛山大隆寺と改めた。
 墓には五代村候、七代宗紀(むねただ)、九代宗徳(むねえ)の藩主のほか、藩主夫人や多くの重臣も葬られている。境内には市の名勝に指定された庭園があり、経蔵や茶室、書院と見事な調和が図られ、訪れる人々の目を楽しませている。
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宇和島 西江寺 Uwajima Seigou-ji 

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 西江寺(せいごうじ)は臨済宗の禅寺で、宇和島では「えんま様」と呼ばれ親しまれている。貞治四(1365)年、京都東福寺開山聖一国師(しょういちこくし)の法孫和尚によって開山された。寛永二(1625)年には宇和島藩初代藩主の伊達秀宗(だてひでむね)により現在地に移され、今日に至っている。
 本堂内には、伊予生まれの天才芸術家・村上天心(むらかみてんしん)作の「閻魔大王木彫座像」「閻魔大王画彫像」「地獄極楽絵図」などがあり、広々とした堂内に迫力を添えている。年に数回、一般公開される。
 寺の庭園は県の名勝に指定。三尊石を中心に左右対象に鶴亀を配し 枯山水の様式を用い、バランスよく仕上げられている。桃山式より江戸初期の作庭といわれ、時代の特色を取り入れようと苦心した跡が見られる。清水を使わない枯山水の美的効果がよく生かされている点では、四国一との呼び声も高い。
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