NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/24


福岡 香椎宮 Fukuoka Kashii-guu 

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 福岡県福岡市東区に鎮座する香椎宮(かしいぐう)は、伊勢神宮、岩清水八幡宮、気比神宮とともに本朝四所の一つである。また10年に一度天皇の勅使が遣される勅祭社でもある。
 建立は聖武天皇の神亀元(724)年、祭神は新羅の征伐と熊襲の平定に尽力した仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后(じんぐうこうごう)そして応神天皇、住吉大神である。
 神社は市の中心部に位置しながら樹木の森に囲まれ、不思議な静けさと格式の高い神聖さを漂わせている。正面の立派な楼門の扉には菊の紋章が彫られ、境内には神功皇后が植えられたという御神木の綾杉がそびえたち、朱色の拝殿、本殿へと続く。現在の建物は享和元(1801)年筑前藩主の黒田斉清(くろだなりきよ)が再建したものである。
 香椎宮は不老水の湧き出る神社としても有名である。大臣であった武内宿禰(たけうちのすくね)は、仲哀天皇と神功皇后の食事にこの水を使い、自らの食事にも使ったので300歳まで生きたと伝えられている。
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2008/7/1


海岸寺 Kaiganji 

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 海岸寺(かいがんじ)は、長野県との県境に位置する山梨県北杜市にある臨済宗の名刹である。
 養老元(717)年、行基が現在の地である津金山の南斜面に庵を構えたのが始まりとされる。
 海抜約1000mに位置し、天候によっては眼下に雲海を見ることができることから海岸寺という名が付いたといわれている。
 寛治年間(1087~1094)には新羅三郎義光が、京より玄観律師を同寺に迎え、国家鎮護の大道場として隆盛するも、天正一〇(1582)年の織田信長による甲斐侵攻の際、兵火によって堂宇の多くを焼失した。
 現在の堂宇の多くは中興の祖である即應宗智和尚により、寛文六(1666)年に再建されたものである。
 境内には江戸時代の石仏師が一〇年以上の歳月をかけて彫り上げた百体あまりの石仏があり、これを目当てに訪れる人も多い。
 四季折々の風景と共に、様々な表情を見せる石仏をゆっくりと巡ってみるのも良いかもしれない。
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2008/6/6


八戸えんぶり Hachinohe-enburi 

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 「八戸えんぶり」とは、毎年二月一七日から四日間、八戸地方で行われる伝統芸能である。豊年祈願のお祭りとして知られ、昭和五四(1979)年二月、県内初となる国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 「えんぶり」とは、昔「えぶり」という農具を手に持って舞ったことが由来となり、それがなまって「えんぶり」と言われるようになったといわれる。
 太夫と呼ばれる舞い手をはじめ、歌い手など総勢二〇人ほどで一組が構成される。太夫は農耕馬の頭を象徴する色鮮やかな烏帽子をかぶり、種まきから稲刈りまでの稲作における動作を表現し、頭を大きく振りながら舞うのが特徴であるとされる。
 えんぶりには「ながえんぶり」という昔ながらのゆっくりした形と、「どうさいえんぶり」という現代的な調子の速い活発な形があるといわれる。
 この祭りは、長者山新羅神社を中心に行われる。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりに数えられているという。
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2008/5/1


鬼ノ城址 kino-joushi 

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 鬼ノ城址(きのじょうせき)は、岡山県総社市奥坂にある城跡である。
 築城の時期については諸説あるが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した、天智天皇二(663)年の白村江の海戦において大敗した後、唐・新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城のひとつと考えられている。
 吉備高原の南端に位置する標高400mの鬼城山に築かれた山城で、全周約2.8kmの城壁が築かれ、城門が4ヶ所、排水機能をもつ水門が6ヶ所存在していた。
 快晴時には、瀬戸内から遠く四国の山並みも望見される眺望絶景の地で、現在は公園として整備されており、角楼や西門を復元し、城壁に沿って遊歩道が整備され、ハイキングコースとしても脚光をあびている。
 鬼ノ城址は、長い歴史を誇る古代山城跡である。
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2007/11/12


鬼室神社 Kishitsu-jinja Kishitsu Shrine

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 鬼室神社(きしつじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡日野町小野にある神社である。祭神は、鬼室集斯(きしつしゅうし)。
 鬼室集斯は、斉明天皇六(660)年、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた百済を復興すべく戦った鬼室福信(ふくしん)の子供である。
 百済国復興運動に失敗後、渡来した百済人であり、優れた文化人であったと言われている。
 集斯は時の天智天皇に重用され、男女700余人とともに蒲生郡に移り住んだ。
 神社の本殿裏の石祠に鬼室集斯が葬られ、祀られているところから、永享元(1429)年、この名称で創建されたとされる。
 古くは不動堂と言い、小野村の西の宮として江戸期まで崇敬された社であり、小野の宮座である室徒株(むろとかぶ)によって護持されてきた。
 鬼室神社は、朝鮮渡来の亡命貴族を祀る古から続く社である。
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2007/9/14


比木神社 Hiki-jinja Hiki Shrine

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 西暦660年、唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた朝鮮の古代国家「百済」、その王族や武官の多くは日本に亡命したと言われている。
 その王族のひとりである福智王(ふくちおう)は、現在の高鍋町蚊口浦に流れ着き、木城町に住んだと伝わる。
 福知王が住んだ場所は火棄(ひき)と名づけられ、王の亡き後は火棄大明神として祀られた。仁寿二(852)年、火棄は「比木」と改められ、現在の比木神社へと至る。
 言葉こそ通じなかったが、福知王をはじめ、高い文化を持った百済の人々は、多くの住民達に崇められ、その地に神として祀られたとされる。
 福知王の比木神社と父・禎嘉王(ていかおう)が祀られている神門神社の間で、年に一度二人が対面する儀式が行われている。異国の地で王を守り続け、亡くなった百済の人々を慰める儀式でもある。
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2007/8/16


八戸三社大祭 Hachinohe-sansha-taisai 

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 東北の夏真盛り、七月の終わりに行われる八戸三社大祭(はちのへさんしゃたいさい)は、 約二八〇年の歴史を誇る八戸最大級の伝統あるお祭りで、国指定の重要無形民俗文化財とされる。
 享保六(1721)年、法霊社と呼ばれていた頃の龗(おがみ)神社で、豊作を祈る祭りとして始められた。当時の記録によると約百年後の天保四(1833)年、現在の様に山車はなく神輿と一緒に行列に参加している。その後明治二九(1896)年に「新羅神社」と「神明宮」が参加して三社の大祭となった。
 毎年七月三一日から八月四日までの五日間、豪華絢爛な山車が町を練り歩く祭りは、八月一日と三日に行われる龗神社、新羅神社、神明宮の三社の神輿の行列と、伝説や童話、歌舞伎などを題材に飾り付けられた二〇数台の山車が町を流す情緒ある風景が大きな見どころだ。
 前夜祭、お通り 、中日、お還り、後夜祭という五日間は、どの日も熱気に溢れ、心地良く聞こえてくる太鼓や笛のお囃子の音色などが見物客を魅了している。
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2007/7/17


花沢館跡 Hanazawa-no-tate-ato 

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 花沢館跡は、北海道上ノ国町に位置し、15世紀頃に和人・渡党(わたりとう)と称される本州系の人々が、北海道南部への進出の拠点として築いた館「道南12館」のひとつである。面積は約2万9000平方m。
 北海道最古の記録である「新羅(しんら)之記録」によると、花沢館の館主・蛎崎季繁(かきざきすえしげ)が長禄元(1457)年のコシャマインの戦いの際にも堅く守って屈しなかったとされる館跡である。
 昭和二十(1945)年頃に、約二千枚の古銭と鉄鍋、近年には館後方部から15世紀後半の珠洲焼のすり鉢などが発見されている。
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