NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/11


青谷上寺地遺跡 Aoya-kamijichi-iseki The Aoyakamijichi Ruins

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青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡は、弥生時代から大和時代にかけての遺跡。鳥取県鳥取市青谷町に所在する。
 平成三年に青谷羽合道路建設のための調査中に偶然弥生時代の土器が出土したことから発掘が開始された。その後、試掘調査により大規模な遺跡であることが判明し、平成十年から本格的な発掘調査を開始。日本初を含む多くのものが出土、弥生時代を知る貴重な遺跡として注目を集めている。
 出土品は数万点にものぼり、日本初の出土となる「弥生人の脳」や、高い技術を示す木製容器、海外からもたらされた鉄器、戦闘で傷ついたと推測される殺傷の痕の残る人骨が発掘された。このことから、弥生時代に日本人は既に大陸との交易を結んでいたことや国内の戦乱が存在したことなどが窺える。この新たな発見は、太古の歴史を深く知るとともに、新たな可能性を感じさせる。
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2007/4/13


熊谷志衣子 Kumagai Shiiko Shiiko Kumagai

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 岩手県盛岡地方に伝わる伝統工芸品「南部鉄器」を今も造り続ける、鈴木盛久工房(すずきもりひさこうぼう)の第十五代当主である。
 熊谷氏は全国初の女性の釜師。1946(昭和二十一)年生まれ、学生時代に彫金を学び、93年に十五代目を襲名した。
 彼女が作りだす柔らかなフォルムを持った独特な作品は、90年「丸釜」にて鵬雲斎千宗室家元奨励賞を、91年「櫛目丸型鉄瓶」で内閣総理大臣賞など他多数の賞を受賞している。
 南部鉄器は江戸時代中期に京都から職人を招いたのが始まりで、藩の保護や良質の鉄に恵まれたことから岩手に根付き、現在も多くの人々に親しまれている。
 元々彫金を学んでいた熊谷さんはその技術や特性を生かし独自の製品を作成。現在も様々な試行錯誤を繰り返している。
 女性の感性による新たな作品は、伝統工芸品に新たな息吹を吹き込んでいる。
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2007/3/29


南部鉄器 Nanbu-tekki 

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 南部鉄器は岩手県盛岡地方特産の鉄器である。
 江戸時代、南部盛岡藩三代藩主南部重直の命により各地より職人を招き、南部藩の手厚い庇護の下で生み出された工芸品。
 明治時代に一時衰退するが、鉄道開通や皇太子行幸などで広く宣伝され復興、戦後に安い製品に押されるも、伝統品としての質を保つことで価値を高めている。
 多くの製作過程があり、一つの型から十個前後しか生産が出来ない。また、作成に二ヶ月近くを要するものもあり、どちらも熟練の職人たちの技により作られる。
 茶釜、鉄瓶だけではなく、フライパンや風鈴など現在に合わせた製品も作られ、人気を博している。
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2007/1/25


野方遺跡 Nokata-iseki The Ruins of Nokata Village

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 野方遺跡は、福岡県福岡市西区野方にある、弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡である。
 標高17〜20mの扇状地にあり、南北600m、東西200mの南北に細長い台地にある。
 弥生時代には大小2つの溝を巡らし、大きい環濠には住居が10軒程度たてられていた。小さい環濠の中には高床式倉庫が建てられ穀物等を貯蔵していた。
 古墳時代になると300基以上の住居が建てられた。墓地は住居から離れ、住居と墓地を区分けしていたことがわかる。
 環濠からは、土器、石器、鉄器に混じって、サメ、タイ、スズキなどの魚類や貝類、鳥類、動物の骨が出土しており、石棺からは鏡、玉、太刀、管玉、ガラス玉等が出土している。
 野方遺跡は、古代日本の営みを想像出来る、歴史的で感慨深い場所である。
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