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2007/11/15


熊谷寺 Kumatani-ji 

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 四国霊場第八番である熊谷寺(くまたにじ)。
 弘法大師が弘仁年間(816~823)にこの地を訪れ、閼伽が谷(あかがたに)で修行されていると、紀州の熊野権現が現われ、1寸8分(約5cm)の金の観世音菩薩像を大師に授けた。
 大師は自から霊木に等身大の千手観音像を刻み、その胸の中に仏舎利120粒とともに、金像の本尊を納めて堂宇を建立、安置したのが起こりとされる。
 昭和二(1927)年火災に遭い、本堂・本尊とも焼失。その後昭和一五(1940)年に本尊を安置する奥殿と拝殿が、昭和四五(1970)年に供養殿と本尊が再建された。
 本堂から更に階段を上った所にある大師堂は、宝永四(1707)年に建立され、安置されている大師像も永享三(1430)年の作とかなり古く、寺宝とされ伝わっている。
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2007/9/6


盛岡秋まつり Morioka-aki-matsuri Morioka Autumn Festival

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 盛岡秋まつりは、岩手県盛岡市にある盛岡八幡宮で、毎年の九月十四日からの三日間に渡って行われる同宮の例大祭である。十三日には前夜祭も行われている。
 祭りが行われる盛岡八幡宮は、この地を治めた南部家が城下町鎮護のために勧請した、同家の氏神様でもある。
 祭りの興りは宝永六(1709)年、南部藩二十万石の城下町二十三町が完成した折に、各町から一台ずつ山車を出して祝ったのが始まりとされており、この山車行列は今も執り行われ、盛岡市の指定無形文化財にもなっている。
 それら山車の全てが八幡宮からスタートする「八幡下り」や夜に行われる山車大絵巻パレード、八幡宮境内で行われる古式ゆかしい流鏑馬など、三百年間連綿と続く盛岡の秋の風物詩が、三日間にわたって繰り広げられる。
 祭りには欠かせない屋台も参道一杯に立ち並んでおり、南部独特の音頭を取って子供達が練り歩く様をヤキソバを食べながら眺めるのも乙なものである。
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2007/7/27


宮城 諏訪神社 Miyagi Suwa-jinja 

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 宮城の諏訪神社(すわじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区上愛子宮下にある神社である。祭神は、健御名方命。
 延暦年間(782~806)の創建と伝えられる。
 かつては国分一の宮と呼ばれ、国分荘の総鎮守であった。古くから武神として名高く、狩猟の神徳があるとされる。
 鎌倉時代の初めには源頼朝が藤原泰衡との戦の前に戦勝を祈願し、戦勝後、家臣の伊沢家影に命じて社殿の改修・改築をしたと伝わる。
 宝永二(1705)年、現在の社殿が再建された。三間社流造、素木造、屋根はこけら葺で、三社造といわれ、中宮、左右宮に分かれている。
 本殿は大きな覆堂に保護されて、よく原形を保っており、県の有形文化財に指定されている。
 宮城の諏訪神社は、長い歴史を誇る古社である。
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2007/7/23


小鹿田焼民陶祭 Onta-yaki-mintousai Onta Folk Pottery Festival

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 小鹿田焼民陶祭(おんたやきみんとうさい)は、大分県日田市源栄町にて毎年10月第2土曜日・日曜日に行われる祭りである。
 宝永二(1705)年、小鹿田焼は開窯したと伝えられる。今もなお、昔ながらの技法を受け継ぐ美しい焼きもので、国重要無形文化財とされている。
 小鹿田焼民陶祭は、小鹿田焼の振興と道祖先達、日頃小鹿田焼を愛好してくれている人々に感謝の思いを込めて行われる祭りである。
 10軒の窯元が、窯から出した大小の皿や湯飲み、花瓶など庭に並べて展示即売し、小野民芸村「ことといの里」でも各窯元の作品の一部が展示される。
 小鹿田焼を市価よりも安く提供しているため、いつもは唐臼の音が響くのどかな里も、この日はたくさんの人出で賑わう。
 小鹿田焼民陶祭は、実用の美を持つ素朴な小鹿田焼を楽しめる、陶芸祭である。
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2007/6/21


尾形光琳 Ogata Kourin Ogata Korin

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 江戸時代の画家、工芸家。万治元(1658)年-享保元(1716)年六月二日(7月20日)
 京都の呉服商雁金屋の次男として生まれた。
 光琳三〇歳の頃、父が亡くなった。この頃には雁金屋の経営は破綻していたが、元々遊び人だった光琳は遊興三昧の日々を続け、経済的困窮が一因で、元禄一四(1701)年頃画業を始めた。
 光琳は公家、大名、役人等に多くのパトロンを持っており、ニ条家にも出入りしていたとされる。
 宝永元(1704)年頃、京の役人であった中村内蔵助が江戸詰となり、頼りに江戸へ下った。江戸でも大名や豪商等のパトロンがいたが、宝永六(1709)年には京都に戻った。
 作品は、大画面の屏風、香包、扇面、団扇、手描きの小袖、蒔絵、実弟の尾形乾山の作った陶器への絵付け等、さまざまな作品を残した。特徴として、大体な構図や独特のリズム感、華やかな画面構成は「琳派」と呼ばれる画派の代表的画家とされ光琳模様という言葉を生んだ。
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2007/5/2


極楽山西方寺 Gokurakuzansaihou-Ji 

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 極楽山(定義山)西方寺は、宮城県仙台市青葉区にある浄土宗の寺である。本尊は、阿弥陀如来(定義如来)とされる。
 一二世紀、中国から平家に阿弥陀如来画像の宝軸が送献された。
 平家が壇ノ浦の戦いに敗れた後、平貞能がこの宝軸を守り、名も定義と改めて隠れ住んだ。それが定義如来の名の由縁である。
 建久9(1198)年、貞能が死ぬと、従臣らが墓上に小さな堂を建てて、宝軸を定義如来として祀った。
 宝永3(1706)年、従臣の子孫・早坂源兵衛が出家し、極楽山西方寺の開創となった。
 山内には壮麗な美しさを誇る五重塔をはじめ、天皇塚、長命水、定義玉手箱などがある。また、浄土宗では珍しく祈祷を行い、多くの信者が訪れる。
 極楽山西方寺は、源平時代より続く古式ゆかしい寺院である。
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2007/4/10


榎原神社 Yowara-Jinja Yowara Shrine

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 榎原神社(よわらじんじゃ)は、宮崎県南那珂郡南郷町にある神社である。祭神は、天照大神。宮崎県指定の有形文化財とされる。
 万治元(1658)年、飫肥藩主伊東祐久によって、鵜戸神宮の分霊を祀ったのが創建である。
 榎原山大権現と称されて歴代藩主の崇敬も篤く、社録神領の寄進を受け、東部の鵜戸神宮と並び称せられてきた。
 宝永四(1707)年、現在の社殿が建てられた。当時は八幡造りであったが、寛政一〇(1798)年、権現造りに改装された。
 榎原神社鐘楼も貴重な遺構であり、県文化財に指定されている。
 かつては縁結びや豊作を願う若い男女などが近郷近在から押しかけ、参道は終日賑わったという。「榎原まいり」は、この風習を歌った民謡である。
 榎原神社は、霊験あらたかな、人気の衰えない神社である。
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2007/3/20


増田家住宅 Masudake-jyuutaku 

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 増田家住宅は、那賀郡山崎組の大庄屋を務めた増田家の旧宅である。和歌山県岩出市曽屋に所在する。
 庄屋とは、江戸時代の村役人(村方三役)のひとつで、藩から地方自治に関わる職権を委任され、法令の布達や年貢の徴収などを行う存在であった。藩と村民の間に立ち、中世の豪族の血を引く農村の有力者が任じられることが多かったという。
 増田家住宅跡は、周囲にぐるりとめぐらせた堀や、宝永三(1706)年建造の主屋と宝暦九(1759)年に建てられた長屋門などが当時の姿をそのままとどめている。
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