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2008/8/25


内子町 立川神楽 Uchiko-cho Tachikawa-kagura 

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 内子町(うちこちょう)の立川神楽(たちかわかぐら)は、愛媛県喜多郡内子町中川の川中三島神社に伝わる伝統芸能である。
 川中三島神社は、和銅五(712)年、創建されたと伝えられ、享和二(1802)年、火事で炎上し、その後再建された。祭神は大山積命、高おかみ神で、喜多郡一宮とされる。
 立川神楽は、再建後、鎮火の神楽舞いを奉納するようになったことが起源と伝えられ、町の無形民族文化財に指定されている。
 出雲系の神楽で、保存会に伝わる神歌集をもとに、神様が降りてくる「舞の口」、盆を月と太陽に見立てた「盆の舞」など、17種類もの演目があり、1回の奉納に要する時間は5時間近くにも及ぶ。
 毎年春には、2月第1日曜~4月29日まで、内子町内外で約30回にも及ぶ奉納を行っている。
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2008/7/22


門前町 Monzen-machi Monzen-machi

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 門前町(もんぜんまち)とは、有力な寺院・神社の周辺に、参拝客を相手にする商工業者が集まることによって形成された町のことである。
 神社の場合には鳥居前町(とりいまえまち)ともいい、広義には、寺院・神社の信徒が近隣に集落を形成した寺内町(じないちょう)・社家町(しゃけまち)も含めて門前町という。
 成田山新勝寺の千葉県成田市、日光東照宮・日光二荒山神社・輪王寺などの栃木県日光市、豊川稲荷の愛知県豊川市、伊勢神宮の三重県伊勢市、出雲大社の島根県出雲市、金刀比羅宮の香川県仲多度郡琴平町などが代表的な門前町とされる。
 規模が大きいものは、宗教都市として定義する場合もある。
 門前町は、主に平和であった江戸時代に形成された、神社や寺が庶民の暮らしに貢献しながら育まれた町人文化が体現されている町である。
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2008/6/26


米子城(湊山城) Yonago-jou(tsuyama-jou) 

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 米子城(よなごじょう)別名湊山城(つやまじょう)は鳥取県の米子市にある城である。元々は中海を背に周囲の水壕に海水を引き入れられた浮城であった。現在、水壕は埋め立てられている。
 最初の築城は応仁の乱の時西軍の山名氏であるとされているが、天正年間(1573~1591)豊臣の家臣、吉川元春によって飯山に築かれ、その子の吉川広家が飯山から峰続きの湊山に新城を築いた。これが、現在の米子城である。
 その後、何人か城主は変わり、寛永九(1632)年に池田由之(いけだよしゆき)が城主となった。
 本丸は湊山の山頂に位置し、中村忠一が城主の時に四層五階の大天守閣が築かれた。
 現在では、本丸までの道程に番所跡や遠見櫓跡などが残されている。
 湊山の山頂からは出雲地方の平野部や日本海、中海を一望することが出来る。
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2008/4/25


萬祥山焼 Banshouzan-yaki 

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 萬祥山焼(ばんしょうざんやき)は、島根県出雲市大津町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 元々、大津地区は地元産の良質な粘土を利用した瓦などの窯業が盛んであった。
 明治五(1872)年頃、日野源左衛門(ひのげんざえもん)が、地元の豊富な粘土を使用して焼いたのが始まりとされる。
 開窯当時は、来原焼(くりはらやき)と呼んでいたが、後に大津町長の森広操軒(もりひろそうけん)の命名で、萬祥山焼と呼ばれるようになった。
 当初は日用雑器が主だったが、明治二五(1892)年頃から茶の道具類が主となったという。他に、酒器や花器なども製作されている。
 その特徴は青銅、伊羅保釉(いらぼゆう)などが使われる事とされている。
 萬祥山焼は、明治以来の伝統を今に受け継ぐ民芸陶器である。
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斐伊川和紙 Hiikawa-washi 

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 斐伊川和紙(ひいかわわし)は、島根県雲南市に伝わる伝統工芸品である。
 斐伊川沿いの奥出雲地方は、古くから「紙漉きの里」として知られており、斐伊川の清流付近から生産される良質な雁皮(がんぴ)・楮(こうぞ)・三椏(みつまた)の原料を使い、障子紙、中折半紙などの生産を行なっていた。
 江戸時代には松江藩主による保護奨励もなされ、出雲地方最大の紙の生産地となった。
 明治以降、和紙生産伝習所を設置して高等小学校2年生を対象に紙漉き技術の指導を行ない、後継者育成に力を入れたが、安価で大量にできる機械製品に押され、現在製作しているのは七代続く和紙職人1人となってしまった。
 各種材料の特性を活かし様々な用途に活用できる斐伊川和紙は、強靭で長期保存に堪える特性を持っている。
 斐伊川和紙は、和紙ならではの美しさが人気の伝統工芸品である。
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2008/2/6


土俵 Dohyou 

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 日本の国技である相撲の歴史は大変古く、「古事記」の中に記されている建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が出雲の国をかけた「力くらべ」が起源とされている。
 土俵(どひょう)は、相撲を取る力士たちが勝負を争う神聖な場所を指す。土俵はその字のごとく、俵に土を詰めたものを使うためにこう呼ばれる。
 その大きさは江戸時代では直径一三尺、三メートル九四センチであったが、昭和六(1931)年、天皇がご覧になる天覧試合の時より直径が一五尺、四メートル五五センチとされた。
 現代の大相撲の本場所の土俵は、円周となる勝負俵一六、東西南北の真中の俵だけ円よりも俵一個分外にだしている徳俵四、周囲を囲む角俵二八、四角の上げ俵(外俵)四、土俵に上がる上がり段(踏み俵)一〇、小さめの水桶俵四の六種類六六俵を使用している。
 土俵は勝負を行う神聖な場所であることから、真中に穴を掘り日本酒や塩、米などが奉納される。また、女人禁制とされる場所としても有名である。
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2008/1/8


八雲本陣 Yagumo-honjin Yagumo Honjin

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 八雲本陣(やぐもほんじん)とは、出雲地方屈指の地主、木幡家(こわたけ)が代々守ってきた本陣宿で、江戸時代に松江藩主が領土内を見回る際に利用されていた。
 木幡家は酒造業を営みながらも、庄屋をまとめる下郡役も務めたため、名家と呼ばれている。
 敷地一二〇〇坪、建坪八〇〇坪の大きな建物は、享保一八(1733)年に建てられ、当時、旅館として営業されていたが昭和四四年に重要文化財として指定された。
 近年まで料理旅館として営業しており、室内の調度品もすばらしいものが多い。
 八雲本陣は昔の人々の生活が身近に感じられるような、心やすらげる場所である。
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2007/12/25


熊野大社 Kumano-taisha 

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 八雲町にある熊野大社(くまのたいしゃ)は、「日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)」とも呼ばれ、生活に欠くことのできない火の発祥の神社として知られている。
 熊野大神櫛御気野命(くまののおおかみくしみけぬのみこと)が祭神として祀られている。古来より、出雲国の食物の生産を見守る神の中でも、一番位の高い神様だったと伝えられており、現在でも農作物を守る神として大切にされている。
 明治三(1871)年、近代社格制度によって国幣中社に、大正五(1961)年に大社に昇格したとされる。
 熊野大神宮、熊野坐神社と呼ばれていたが、昭和五二(1977)年に熊野大社に改称された。
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